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『SOGI』通信 No.79

 25年ほど前、雑誌『SOGI』を創刊する頃、藤井正雄先生(現・大正大学名誉教授)に葬送について教えていただいた。その時既に藤井先生が「最近の葬儀では、死者を放って財産相続の争いをしているケースが多い」と指摘されていた。
 死者を弔い、葬る席が、死者を横においての家族の醜い財産争いの場となり、そこで死者を弔っているのは誰なのだろうか、という疑問を覚えたことを記憶している。

 こうしたケースが少なくないことは現場の人にも聞いた。
「死者のことなんて遺族は誰も関心をもたないから、嫌になってしまう」
「思わず『ここは故人さまの前ですよ』と言ってしまった」
「俺たちの仕事は何なのだろう?と考えてしまうよね」
「家族の言うことを聞いていたらやってられない。みんな故人のことより自分たちの金のことが大切なのだから」

 北海道の「俺は『お弔い屋さん』だ」と誇り高く仕事をしていた人は特に憤っていたものだ。
 時代は大きく変わった。小型葬の時代になった。
 本人とほんとうに親しかった人だけでも、葬式の期間中、死者を囲み、丁寧に別れるならそれでもいい。葬儀のクオリティ(質)は、祭壇の大きさでも会葬者の数でもない。送るべき人が死者と触れ合って、最期を充分に別れるための時間をつかったか、にあるのだから。

 でも他人がいないことをいいことに、柩の傍にいるわけでもなく、だらしない恰好での与太話三昧。突然遺産相続の話になってつかみ合いの喧嘩まで起きる。…葬式の仕方に決まりがあるわけではないが、死者を弔わない自由まであるのだろうか。 「争族」と言われる遺産相続を巡る相続人同士の争いは、もはや珍しい問題ではない。司法統計年報によれば家庭裁判所で遺産相続を巡る調停成立件数は約9千件。金持ちだけの争いだけではない。1千万円以下の相続財産について約3千件を占めたという。でも家庭裁判所までもち込まれるケースの10倍は争いごととしてある。

 80歳を過ぎての死があたりまえ、90歳以上で亡くなるケースも珍しいわけではない。「高齢者が死ぬのはあたりまえ」という空気が蔓延している。葬式費用すら惜しいとなる。
「大往生」と言ってもいい。せめて親、祖父母、曽祖父母の人生を振り返り、感謝をもって温かく見送ってあげようではないか。いかなる死も現実を超克している。その死に出遭うということは、いのちをもう一度考える機会となる。これは自分が人間であることの避けられない課題なのだ。特に子どもたちが死に出遭う機会はそうはない。

 私の母は98歳、認知症歴14年、老衰で死んだ。なぜか小学3年の頃、近所の子と喧嘩したことを謝りに、母に手を引かれて連れていかれたことを思い出した。認知症になっても、戦死した弟の骨箱として送られた中に石1つが入っていたことを悔しがっていた。その母親を子としての責任で弔い、葬った。孫たちもそれぞれ長い間祖母の顔を撫でていた。







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