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『SOGI』通信 No.66

 首都圏の話だろう、と思っていると、いつのまにか全国各地に飛び火。現代は葬送情報の伝わる速度がとても速い。特に「手間を省く」類の話の伝達は速い。

 葬儀の慣習は、かつては変化が遅いといわれた。その地固有の習俗が生き続けている例も少なくない。
「街場に行くと違うが、ここいらでは昔からこうやってきた」という言い方は現地の人からよく聞く。

 でも「昔から」というのが曲者である。それが「戦前から」のこともあるし、「5年ほど前から」のこともある。また、変化の潮流というのはバラバラ伝わり、地域によって早い、遅いがある。
 一般に都市部が早く、郡部が遅いという傾向にあるが、ある郡部が周囲の都市部よりも早く変化することもある。その地の長老や葬儀社の社長が情報通で「これはいい」とその地に導入した場合にそうした変化が早く起こる。そうしたキーマン(鍵となる人)に出会わないと、なぜ変化したのかもわからない。

 最近では、各地に展開する大手互助会の動きで変わることもある。
 首都圏で見られる「出棺前初七日」だが、遺族、葬儀社、僧侶の思惑が重なって起きた変化である。でも、大手互助会がいち早くマニュアルに取り入れることがなかったなら、こんなにも早く、受け入れられることはなかっただろう。
 
 火葬というのは遺族にとって疲れる。だから火葬後の法要や宴席は少しだるい状態となりがちであった。「先にやってしまえば」という提案には遺族は飛びつきやすい。僧侶にしても、早く葬式を済ませたい事情のある日もある。葬儀社にしても、近年の葬式は小型化したとはいえ、人手がかかるようになってきている。早く終えられるものならありがたい。そうしたそれぞれの事情に合致したのが、初七日の出棺前への繰り上げである。
 7日おきに供養することのもつ役割などというものは、葬儀当日に初七日を繰り上げた段階で忘れられたから、それが数時間前にこようが、たいした変化ではない、と受け入れられたのだろう。

 それよりも問題なのは、看取りから通夜までの手間のかけなさであろう。病院で死亡すると葬儀社に頼んで遺体をどこかに運んで保全してもらい、都合のいい日に通夜、葬儀が設定されて、それまで遺体はひとりぼっちということもある。もちろん一時も遺体の側から離れたくない遺族もいる。その差が極端だ。葬儀社からすると、自宅安置ならともかく、遺体を預かるのであれば、その間に遺族に出入りを繰り返されるのは面倒である。従業員を効率的に動かそうとするなら、手間は少ないほうがいい。
 葬式が、しばしば手間をかけて行われるのは、死の受容を丁寧に運ぶ知恵もあっただろう。遺族をけっして急がせてはならないが、遺体の放ったらかし、遺体への無関心はいいものではないだろう。

 遺族に事情もあるから手間より集中して、という場合もあるだろう。しかし、少なくとも葬儀社や僧侶は、遺族の想いに先立って簡略化、手間を省くことを提案することはしないほうがいい。
 そのうち「遺体さえなければ」などと言いだす人が出てくるのではないか。
            


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