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『SOGI』通信 No.65

 葬儀に参列すると、「死者」と「近親者」の関係がさまざまであることがわかる。
 また死者本人にとっての「近親者」というのも難しい。かつてであれば「喪主」「遺族」「親戚」…という関係の序列があった。だから葬祭業者は「喪主(施主)さまはどなたですか?」とまず訊く。この喪主はさまざまな決定権を有するだけではなく、答礼、挨拶等の役割を演じてもらうべき人、という意味合いがある。実際には喪主≒施主=費用を負担する人、という意味をもつので、際立って「喪主様」が横行する。

 戦前の明治民法の下では「喪主」=「祭祀主宰者」=「家の跡継ぎ」であり、喪主を務めることは社会に後継者であることを宣する意味をもつのが通例であった(「通例」とことわるのは常に例外は存するからである)。

 今でも旧家では喪主=跡継ぎであるケースが見られる。戦後民法下では家が「世帯」となり基本単位が「夫婦」になったこともあり、「配偶者」が喪主を務めることが多くなった。

 これに対し「喪主は本来は家の後継者が務めるものだが戦後は配偶者が務めるように変化してきた」と説明されることがある。だがこれは細かくいえば違う。
「喪主とは死者を弔う近親者の代表をいうが、明治民法下では家の後継者が務めることが多く、戦後は配偶者が務めることが多くなった」…と社会体制の変化によるもの、と説明するのが正確である。

 だがいま、単身世帯が4分の1を占めるようになると、「夫婦が世帯の基本単位」とはいえなくなってくる。単身者の場合には、親が健在であれば親が、別居しても子がいれば子が、きょうだいがいればきょうだいが喪主を務めるだろう。

 だが、親や子やきょうだいがいても疎遠である場合は問題である。
 ある人は「天涯孤独」と自称していた。親しくしていた僧侶が入院の保証人にもなり、「喪主」「導師」として葬儀も執り行って、寺の共同墓に遺骨を埋蔵した。「友人に僧侶」がいたことで死後の事務処理が円滑に進められた、かと思った。だが弁護士が調べたところ、若い時から離れて通信連絡を絶っていた姉と弟がいたことがわかった。1千万円近い遺産から葬儀等の事務処理に有した金を僧侶に支払い、遺産は生前関係を絶っていた姉、弟に相続された。

 きょうだいのケースはまだいい。きょうだいは生存せず甥や姪のケースはどうか。生前会ったことも話も聞いたことがない甥、姪が警察や自治体から「最も近い人、相続資格のある人」と指摘されたら、財産が多ければ喪主を務めるだろうが、喪主を務めることも相続人となることも拒否する事例が少なくない。また葬儀はしても(多くは直葬となるだろう)遺骨の引き取りを拒否する事例がある。遺体、遺骨の引き取りを拒否される事例は年間約3万人、その近親者の多くは、こうした甥、姪の関係にある人である。

 すでに「近親者」を「血縁」中心に計る論理が通じない時代に入った。施主を友人・知人や入居先の施設等の関係者が務める事例も増加している。「ご遺族」不在の葬儀は今後さらに増加する。
            


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