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『SOGI』通信 No.55

 2011年3月11日の出来事を太平洋戦争の終結の日に並ぶような出来事と理解する意見がある。彼らはそれだけ重要視しているからなのだろう。「戦後」という言葉と並べるように「災後」と言う。だが、私自身の思いを言うならば、私の中では3・11は終わっていない。
 3・11により、改めて、私たちの生が自然の中にあり、それは恵みであると同時に脅威でもある、という私たちの置かれた現実をまざまざと思い知らされた。と、同時に、現代の科学技術が人間生活に快適だけをもたらすものではなく、大きなリスクだ、ということである。

 16年前の1995年1月17日朝、神戸等を早朝襲った大地震。高速道路がもろくも崩壊したさま、頑強なコンクリート建築物が、中にいた人たちごと押し潰されたさま、燃え出した火がアッと言う間に街を焼き尽くし、多数のいのちを奪っていったさまがまだ目に焼きついている。

 震災直後、神戸の街に入った。病院の1階が完璧に潰れていた。あの瞬間、1階にいた人に逃げる時間はなかっただろう。「グシャ」という擬音以外に表現しようがない惨状。長田地区、松本地区は一面が焼け跡だった。私は、自分自身は体験していない戦災の風景を思い浮かべていた。

 幼児の頃、私の生地、岩手県一関では北上川とその支流・磐井川が、台風で数度にわたり氾濫し、数百人が死亡した。下は水が溢れ、2階は火事という、それはそれは恐ろしい光景だった、と大人たちは、子どもに言い聞かせるのではなく、繰り返し繰り返し話していたものだ。

 戦後には、各地で自然が猛威をふるった。伊勢湾台風しかり。人々は貧しさだけではなく、自然の脅威に戦いていた。
 日本人の多くが貧しさから抜け出し、高度経済成長を遂げ、バブル景気に踊った。そもそも人生が死と隣り合わせであった日本人が、死を遠ざけ、酔っぱらったような空気に浸った。阪神・淡路大震災は、突然、時代に冷や水を浴びせたかのように感じた。

 神戸の大震災は6千人以上という膨大な死者をもたらした。その数は私の想像力の範囲を遥かに超えていた。そこで迫ってきたのは突発的に切断された一人ひとりの死者のそれぞれの人生、物語であった。そこで私は、グリーフという傷みを突きつけられた想いがした。

 今回の3・11、千葉県から青森県に至る太平洋沿岸部を一斉に襲った巨大地震と大津波。万を超える死者、そして2カ月経てもまだ万に近い行方不明者。ただただ驚き、そして戦いた。
 その戦慄はまだ続いている。東電福島第一原子力発電所の事故による放射能汚染の拡がりはまだ収束したわけではない。「不安」という空気がひたすら重く漂っている。

 遺体が発見されずにいる多数の死者たち、目に見えない放射能と大声を出さないが拡がる風評被害。そして暗い夜。
 私が今感じているのは、この得体の知れない闇がけっしてまだ明けようともしていないということ。
 世の中には激励と復興を唱える言葉が嵐のような声が渦巻く。しかし、被災地は、心の裡は死霊が支配し、悲嘆以前の困惑、絶望、言い知れぬ不安を抱えたままであるように私には思えるのだ。


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