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『SOGI』通信 No.53

 どうもこれまでの考え方が通用しにくい時代がきているようだ。
 最初は「通夜」の告別式化である。弔問に訪れるのは昼間より夜が都合がいいと、本来は死者を囲むプライベートな空間・時間であった通夜に、一般会葬者が出るようになった。次第に通夜の参列者が葬儀・告別式の会葬者を上回るようになり、首都圏では葬儀当日は家族、親戚、本人と親しい人だけになり、告別式が無意味化し、実態として通夜・告別式、葬儀ということになり、今では「葬儀・告別式」は死語となった。

 通夜に一般の会葬者が集中することにより、通夜の儀式化が行われ、「通夜式」なる奇妙奇天烈な名称が一部で使われるようになる。
 その次に現れたのが「一日葬」である。ある事業者は「ワンデイ・セレモニー」と名づけた。遺族の需要に応えた、あるいは先取りしたのだろう。事実、一日葬を希望する遺族は少なくないようだ。

 葬儀が小型化して家族、親族、親しい友人だけで営まれると、通夜だからといわゆる一般会葬者が来るわけではない。通夜と葬儀と同じメンバーで同じようなことを2回やるのはめんどうだ、とばかりに1回にしようとなる。その場合に省略されるのは通夜である。
 葬儀当日に初七日まで行い、出棺し、火葬、そして会食となる。初七日を出棺前に、葬儀に連続して行うのは何も一日葬とは限らない。普通の葬式でも行われている。

 さらに2000年頃からの現象としては自宅安置が消えたことである。斎場(葬儀会館)の施設充実もあり、病院で亡くなると、かつては自宅に搬送し安置して枕飾りをし、檀那寺の住職に枕経をあげてもらい、その晩は家族等の親しい者が遺族を囲むものであった。
 それが死者は斎場(葬儀会館)へ直行する。または火葬場等の遺体保管室に直行することになる。その結果、枕経が省略される。
 今や枕経も通夜も火葬後の法事も姿を消した、という地域が少なくない。

 遺体と遺族の関係はどうか。聞いたところ儀礼はしないものの、遺族は毎日死者と対面しに来るケースが少なくないようだ。死者と遺族が親密な共有時間をもつということはなくなっていないようだ。

 東北等の骨葬地域はどうか。葬儀前に火葬する、つまり葬儀は遺骨で行うという地域にほぼ共通するのは、火葬が後になって導入された地域ということだ。原型はこうだ。通夜の翌朝に自宅を出棺し、途中で火葬し、寺で葬儀をし、その後墓地に遺骨を納め、戻ってきて法事・会食という流れであった。
 しかし、火葬を先に済ませれば、遺骨は腐らないので慌てて葬儀をする必要がないと気づく。すると中には葬儀は初七日過ぎてから、などという習慣ができるところもある。

 日本の葬式が、遺体が腐らない範囲でゆっくりと行われたのは、遺族の心情に寄り添ったからだ。それが遺族の意向でどんどん簡略化されている。もしかしたら、儀式が遺族に負担と感じられるようになっているからではないのか。儀式のあり方は見直されていい。
 しかし、せめて事業者や宗教者が簡略化をけっして先導しないことだ。



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