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『SOGI』通信 No.41

 現在の「遺族」というのは難しい存在になろうとしている。
 昔であれば、といってもそれほど前ではなく、地方ではせいぜい80年代の頃までの話である。家族が死亡して葬儀となると、地域の人や会社の同僚などが集まり、葬儀を支援してくれた。「支援」してくれたと言っても、本人や遺族の意向を聴いて支援するのではなく、その地域なりのやり方、あるいは故人の社会的地位を考えたやり方で、葬儀をすることを支援してくれたのであり、故人や遺族の意思なぞ無視されることが多かった。そういう意味では自由はなかった。しかし遺族は、喪に専心することはできた。
 
 現在の「遺族」は、自分たちだけで葬祭業者と打ち合わせをし、葬儀を出さなければならない。地域や親戚が取り仕切ってくれるわけではない。皆、自分たちだけで決め、注文しなければならない。
 しかも葬儀のノウハウは伝達されていない。昔と違って「素人」なのだ。
 また、この間の変化で、昔あった「葬儀の標準型」がなくなった。どうとでも選択できるようになってきた。

 お寺と深い関係にあれば僧侶からのアドバイスも期待できるが、そもそも住職の顔を見たこともない、というケースもある。相談にのってくれる友人がいれば心強いが、何か迷惑をかけるようで相談しづらい。
 結局のところ相談するのは葬祭業者だけになる。相談される葬祭業者も困ることがある。遺族一人ひとりの考えが異なるからだ。

 兄は「親戚・知人・友人・地域住民に声をかけ、昔ながらの葬儀がいい」と言い、姉は「皆連絡されても困るだろうから、親戚だけに来てもらおう」と言い、妹は「お父さんは日ごろ誰にも迷惑かけたくない、と言っていたから、家族だけでいい」と言う。母は黙って何も言わない。弟は「葬式なんかで余計な金は使いたくない。いちばん安いのでいい」と主張する。こんななかで、どんなアドバイスがいいというのか。

 斎場(葬儀会館)葬が増えたことで、地域慣習にも縛られる必要はないし、地域のお手伝いも不要となる。それを淋しく思う人もいれば、いないことで煩わしくない、と歓迎する人も多い。
 消費者には葬儀の費用でも迷わされる要因がある。こっちで50万、あっちで100万、などいろいろな数字が出るが、どっちがほんとうに安いのかもわからない。料金体系がそれぞれの葬祭業者によって異なる。また、僧侶への「お布施」は別だと言う。そっちもどうしたものか、相場でもわからないか、と迷う。

 そんなとき葬祭業者が自信たっぷりに「これはこうです」と言い切ってくれるなら助かる。葬儀は無事済んで葬祭業者のおかげであると「ありがとうございます」と感謝する。しかし、終わった後に友人やらから「実は…」という話が耳に入り、四十九日頃には「教えてくれなかった業者が悪い。騙された」と怒り出す遺族もいる。

 ある遺族は死別を嘆き悲しみ、ある遺族は相続のことしか頭になく、ある遺族は早く面倒ごとから解放されたいと思い、ある遺族は…。
「どうでもいいから決めておいてくれれば」と死者を恨んだりする。




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