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『SOGI』通信 No.37

 いま葬儀に求められているのは「故人に即した葬儀」ということではないだろうか。
 これはとりもなおさず、亡くなった人を弔うに相応しい葬儀ということである。

 90年代の初頭から葬儀は大きく変化したが、それは葬儀の個性化、個人化ということである。
「個性化」とは珍しい形の葬儀という意味ではなく、死者のいのちが固有なように、死者に即して営まれる葬儀ということである。当時マニュアル化していた葬儀を見直し、「死者の顔が見える葬儀」へという提唱であったように思う。

 葬祭業者が遺族のもとへ行って最初にすることは、アルバムを広げ、祭壇の選択を促すことではなく、遺族に死者のこと、死者を想う気持ちを聴く作業から始めるということである。

 現場で大きく変わったのに遺影の選択がある。かつては死者がかしこまった様のものが多かった。そのため死者の写真には羽織などが着せ替えられた。だがいまは、「お母さんらしい」と遺族が選ぶ、笑顔や寛いだ表情が、着せ替えなしに使用されるようになった。

 メモリアルコーナーもいまでは故人を偲ぶものとしてあたりまえに設営されるようになっている。
 その人の生を受け止められる場に葬儀がなっている。これは現場の人たちが、懸命に遺族の想いを受け止めようとしてもたらした変化である。

 もう一つの「個人化」は死者を囲む環境の変化がもたらしたところが大きい。葬儀が「ご近所」「隣組」と言われた地域住民によって支えられるものではなくなったことによる。郡部では過疎化、高齢化が進み、地域住民による相互扶助としての葬儀は姿を消しつつある。「家」という単位もあやふやな存在になっている。遺族の孤立化が進んでいる。

 自宅で行われることが多かった葬儀はいま斎場(葬儀会館)へと場をすっかり変えている。そのことによって地域文化としての葬儀は形を変え、地域習俗は担い手を失って消えようとしている。

 いま危惧することがある。それは葬祭従事者によって「故人様」「ご遺族様」「ご導師様」といった、聞く人が聞けば鼻白みかねない過剰な装飾の言葉の横行である。
 確かに丁寧であろうとする気持ちはうかがえる。だがこうした余計な飾りは、リアルな死を受け止める場である葬儀に対し、オブラートに包むようなものであり、余計な飾りだと言えよう。

 私は葬儀に際しては、死者も遺族も宗教者も会葬者も虚飾を脱ぎ捨て、素直に固有の死に相対することが求められると思うのだ。それがリアルな死に相対することだと思う。

 演出の中に感動があるのではなく、等身大の死者にそれぞれが正面から向き合うことで心が震えるのではないだろうか。

 葬祭サービスとは、何かをして「差し上げる」ものではなく、遺族がそれぞれの喪の仕事を、それぞれの形でなすことを支え、援助することなのではないか。同様に、宗教者も、権威という衣を脱ぎ捨て、死者の生を受け止め、遺族を支えることではないか。




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