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『SOGI』通信 No.27


 人間は死に方を選べない。
 このことを改めて知ったのは、敬愛する人が旅先で急死したことを聞かされたことによってだ。

 彼は主宰する学会の責任者として、その職務を全うした後、後輩と一緒に京都御所、大徳寺を見学した。彼は吹上御所の庭も設計した日本有数の造園家だった。
 見学を終え、地下鉄の中で彼は倒れた。死亡判定時刻は、警察に運ばれ、警察医の検案した夜8時過ぎであったが、ほとんど地下鉄の中での即死に近い状況だったらしい。
 苦しんだ様子はなく、穏やかな顔をしていたという。それを聞いてホッとした想いがした。

 夫人は夫の京都旅行の日程に合わせて、実妹と共に旅行中であったものだから連絡がつかなかった。ようやく連絡がつき夫人が夫の枕元に駆けつけたのは翌日になってのことだった。
 元気に見送った夫、そのいない間に妹と楽しく旅していた夫人が、突然、夫の死を知らされた心境はいかがなものであったろうか。
 その死の知らせはとうてい信じられるものではなかったであろう。
 旅先から京都に向かう間、彼女は何を思っていたのだろう。おそらく、その記憶はないだろう。
 京都の警察の、おそらく薄暗い安置室で対面したときも、その死をけっして信じることはできなかったのではないか。悪夢を見ているような、実感のなさが彼女を支配していたのではないか。

子どものいない二人だけの家庭。弟の娘を実の子のように二人は可愛がっていた。その弟と姪が先に京都の警察に駆けつけていた。
幸いだったのは、彼が死んだ時、傍に造園家である彼のお弟子さんが一緒だったことである。彼らは京都御所の後、大徳寺まで彼を連れまわしたことが、彼の死につながったのではないかと罪責感で打ちのめされていたという。

 弟さんが京都から私に電話で報告してきたのは、荼毘を済ませた直後であった。
「兄は京都が好きでしたから、好きな京都で死ねて、これは兄の陰謀だったのではないかと、どうしても思ってしまいます。苦しんだ様子はまったくありませんでした。造園の設計でも、あっちから見たらどうだろう、とすたこら歩いていくタイプでしたから、この世があっちから見たらどうだろう、と遊び心で足を踏み込んだんじゃないかと思ったり。京都では骨を全部拾わないんですね。ですから兄の骨の一部は京都の土に還る。そのことを兄は知っていたのではないか」
 懸命に兄の死を自分に納得させようとしている弟がいた。

 3週間後、本葬が営まれた。友人、お弟子さん、彼をよく知る人たちが集まった。僧侶6人も彼に世話になった、いわば仲間である。
 彼は「華美過飾」を嫌い、「素朴が美しい」を信念にし、墓園の設計では死者への懇ろさを旨としていた。彼の仲間による彼の生き方の流儀を尊重した葬儀であった。
 夫人は彼の仲間の話に彼の生を知ろうという感じで熱心に耳を傾けていた。
 夫人が大事に胸に抱えて運んできた彼の遺骨を預かって抱いたとき、私は寂寥と愛おしさで、その遺骨を重く感じた。




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