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『SOGI』通信 No.23


 日本の葬儀は9割以上が仏教式で営まれている。宗教宗派により葬儀の意味づけは異なるが、死者が死後、自然に還る、土に還るとか、生命の源に還っていくというような発想には、仏式、神式に共通したものがあるように思う。結局は、いのちというのは死んで終わりなのではなく、つながっているのだという表明があるように思える。

「死ねば皆ホトケになる」という信仰がある。死者のつらい生涯や何もかも飲み込んで、死者を尊いいのちとすることで、遺された家族が死者のいのちを受け継いで生きていく意欲をもたらしたのだろう。
 近年はテレビのドラマや映画の影響だろうか。「死んだら天国へ行く」という、キリスト教の牧師は喜び、僧侶が聞いたら地団太踏むような表現がまかりとおっている。ここには、死が「終わり」とか暗いものではなく、つらい、悲しい出来事ではあるが、死者のいのちを価値あるものと認めて、そのいのちを遺された者が受け継いで精一杯生きていこうという決意表明のようなものが見られる。

 最近は、宗教離れが進んでいる。統計によると、日本人で特定の宗教を信じる人の割合は、およそ23%と言われる。非常に少ない数字である。
 新しい葬儀形態として盛んに言われるのが無宗教葬である。特にこの流れは社葬において顕著である。
 社葬も、かつては本人の家の宗旨での宗教儀礼が多かったのに、ここ数年でホテルでの無宗教での「お別れ(の)会」が普及している。建前は「取引先の人の信条を考え、偏らない方式」ということであろう。
 もっとも社葬における「お別れ(の)会」の流行の背景に「企業の合理性」が透けて見える。これまでの社葬であれば葬儀式と告別式とから成っていたが、お別れ会であれば告別式の部分だけで済むからである。たくさんの僧侶を呼ぶ手間も費用もいらない。時間にも幅ができて、例えば「1時から3時の間にお出でください。随時献花方式です」とすれば厄介な儀礼も席順も必要ないからである。だが出席した感想から言えば、「なんて無味乾燥な、こんなのだったらやらなくてもいいんじゃないの」と思わせるものが少なくない。

 葬式において、宗教儀礼が作る核というものがある。それを通じて、死者と遺族、会葬者が無言の交流を行う。その核が不在になると、葬儀そのものが拡散してしまうのではないだろうか。
 社葬ほど「お別れ会」が普及しているわけではないが、個人葬でも見られる。現状では、人気はあるが普及は今一つである。だが後10年もすれば、戦前世代の高齢者が姿を消していき、戦後生まれの団塊を中心とした高齢者群が増えることにより大きく幅を利かせるようになるかもしれない。

 地域社会抜きの家族葬が10年未満で流行したことを考えれば、宗教抜きの葬式が今後普及しないとは言えない。
 厄介、面倒、古臭いという理由で葬式から宗教を取り除いたら、何が残るであろうか。葬式はファッションではない。死の事実の厳粛な確認と死別の悲嘆への共 感、いのちの継承…これらは葬式に欠かせない。そのために宗教が果たしてきた「核」としての役割は簡単に取り去ってはいけないだろう。



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