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葬送の視点(2004.11) 碑文谷創


 家族の突然の死に遭ったその女性は語っていた。
 「亡くなった直後というのは悲しいことは悲しいのですが、やらなくちゃいけないこともあり、それほど実感があったわけではないのです。
 ガクッときたのは1ヵ月くらいしてからです。いないんだという実感が襲ってきました」

 愛する家族を突然喪うということは凄まじいストレスである。いままでの暮らしは、その配偶者あるいは子とともにあったので、その愛情の対象がいなくなるということは、対象を喪失した悲嘆だけではなく、遺された者のアイデンティティの危機をもたらす。本来ならすぐに半狂乱になってもおかしくない。だが多くの遺族は少しの涙は見せるが、危機に対して淡々と対処する。葬式を出し、お世話になった人へ感謝の心遣いをする。

 これは次のように説明される。
 人間はひどい危機に直面すると本能的にその危機を察知して心にバリアを張る。それはその危機にまともに対処したら自分が崩壊するかもしれないからである。
 葬式における遺族の態度はしばしば優しい。会葬してくれた人に対して、生前故人が世話になったことへ、故人に成り代わって感謝の意を表する。死者本人がこの場にいたらきっとこうするであろうと思うことを一生懸命に演ずる。
 自分の心の底をのぞき見ることはしないで、死者のために葬式を出すこと、お世話になった人への心配り、死後の事務処理を懸命にこなす。
 しかし、遺族のこうした無意識のがんばりはいつまでも続くわけではない。ある日突然のように喪失感に囚われ、不安、無気力、孤独感に襲われる。家族が永遠に自分の前からいなくなったという事実に打ちのめされる。

 この悲嘆は人間であれば自然なことである。特別な病気ではない。いままで暮らしを共にし、生を共有してきたものが喪失したのだから、悲嘆に陥るのは人間としてあたりまえの現象である。
 この悲嘆のプロセスの中で、初めて生の同伴者がいない生活を心の中で再構築していくことになる。
 遺族にとって、四十九日とはある意味で危機に直面した心の戦争状態といってもいいだろう。
 だから昔の人は喪にある人をそっとしておいたのだ。7日ごとに様子を見ることはしたが、日常のことには気を遣わなくてもよいと配慮したのだ。一生懸命心の格闘をしていることを知っているから、さらに「がんばりなさい」などという他人事のような忠告はしない。その人の胸の苦しさに耳を傾けることはあっても。

 それは何故か。人は齢を重ねることにより、身近な者の喪失を体験していたからである。悲しみを体験した者は他人の悲しみも理解できる。
 喪に服している人間に「〜してはいけない」というのは余計なことである。よくマナー本に「結婚式等の慶事には参加してはいけません」と書かれる。こんなのは嘘であり、誤りである。
喪に服すというのは、家族と死別して悲嘆の中にあるということである。しばしば慣習は服喪に禁忌という規制を加えるが、それは廃されなければならない。大切なのは喪に服している人の悲しみへの共感である。


碑文谷 創



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