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葬送の視点4 碑文谷創


 きのうの夕方のことである。訃報が飛び込んできた。友人が息を引き取ったとの知らせである。
 がんに冒され、1年3か月前の発見自体が手遅れだったのだろう。一度は手術して退院したが、しばしば抗がん剤を投与するために入退院を繰り返していた。人前では元気を装っていたが、たまの電話ではその辛さをこぼしていた。

 3週間前だったろうか、その友人の携帯に電話をかけた。呼び出し音が続いた後、留守番メッセージに切り替わった。これまでであるならば、入院中の病室の中からであっても、友人は折り返し私の携帯にかけ直してくるのが常だったのに、その日は私の携帯が鳴ることはなかった。
 先週末、会合の後、帰り際に一人が「これから行ってくる。年を越せるかわからない」と囁いた。
 抗がん剤投与の苦しいこと、その後他の療法に切り替えたこと等を知っていたので案じてはいた。だが、これほどまでに病気の進行が速いとは思ってもいなかったものだからショックだった。

 訃報はその3日後のことである。知らせてくれた友人も力を落とし、声は弱弱しかった。
 昨夜は原稿の区切りをつけ、9時半頃帰途についた。友人の笑い顔、声の調子、仕草が、次から次へと頭の中を駆け巡る。電車の中でも、歩いていても、友人の顔が私の前にあった。思うだけではなく、手には逢って別れるときに必ず交わした温もりを感じていた。
 もう逢えない、もう話ができない、ということが信じられない。逢いたいと痛切に思った。

 ちょうど1年前、私も病気をした。そのとき生きているよりも死んだほうが楽とさえ感じる日々が続いた。私の場合は精神的病いであり、仕事を離れ、投薬することで危機を脱することができた。2月に家族の付き添いを受けながらであったが、仕事で京都へ行った。友人も入退院の合い間であったのに来てくれて、私が人前に出られるまで回復したことを心から喜んでくれた。

 床に入っても友人のことが頭を離れない。そして思った。再び逢えると。
 友人の最期は辛かったようだ。激しい痛みに苦しめられ、最期の10か間はモルヒネを投与してもらい、やっと眠りにつき、日に日に衰弱していったという。
 辛かったろう。痛かったろう。昨年の手術の後、全てのがん細胞が摘出されたわけではないことを知り、後継の準備にすぐ手を打った。果敢とも言える判断力であった。しかし、どんなにか心残りであったろう。

 3年半前、もう一人の友人ががんの末期であるのを、駅で待ち合わせ、バスに乗って二人して見舞ったことがある。彼は死期の近いことに「悔しいよ」と叫ぶように言い、身を震わせているのを、友人は優しく肩を抱き、耳を傾けていた。通夜・葬式と続く中、友人は涙を目に溜め、必死で見守っていた。

 私もいずれ行く。1年前のように急ぐつもりはないが。そして再びきっと逢う。
 今までは声に出してしか語りかけることができなかったが、これからは心で語りかけることができる。この想いは友人にきっと通じるだろう。

 もうすぐ新幹線が友人の住む街に着く。冬の早い夕闇が訪れようとしている。友人の枕元に立ったならば私は確信をもって心で友人に告げるつもりだ。
「また、是非、逢いましょう。あなたに逢えてほんとうによかった」
 と。



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