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葬送の視点1(2002) 碑文谷創


 葬祭業者の仕事とは何だろうか。
 祭壇を設営する、料理等を手配する、遺体を保全する…どれもあたっているが、どれもそれだけでは充分ではない。こうした部分を全て集めてきてもそれで葬祭業者の仕事ができるわけではないだろう。

 一言で表現するとどうか。
 最近流行りの表現では「葬儀をプロデュースする」がある。
「プロデュース」は「作り出す・製作する」という意味である。全体を考え、物品・人材を整え、一つの形に作り上げる…という意味である。葬儀を一つの作品や芝居に見立て、それを考案し、人・物を手配し、上演・完成するまでの総体の責任を負うというものだろう。

 私の偏見だろうが、この言葉は、葬儀をイベント中心にとらえているようで、この言葉をどうも好きになれない。また、葬式には、無宗教葬を除くならば、宗教儀礼という面も強くある。これでは葬祭業者が宗教儀礼までをも包含して差配する感もあって、悪名高い「葬祭業者主導の葬式」というイメージを強めかねないようにも思う。

 対極にあるのが古くから言われている「現場」という言葉である。
 この「現場」も取りようによって異なる。「実際に作業している場所」と理解すれば、設営の現場、納棺の現場、となり、具体的・実際的な作業を指す。
 経営者等を指して「あの人は現場を知らない」と言うときは「実際の仕事を詳しく知らない」という意味で使われる。

 この「現場」には地味にこつこつとする職人作業の匂いがする。私には好ましい言葉である。だが、これには、とかく「葬儀とはこういうもの」という決めこみがあって、全体の意味は問わないで各部品の仕上がりにのみ固着しがちな欠点も抱えている。

 しかし、「現場」にはもう一つ「物事が現在、実際に行われている場所」という意味がある。そう理解すれば、葬儀という現場は人の生死の現場であるし、遺族が死者を弔っている現場である。この場合の現場に係わるとは「生死の現場、弔いの現場に係わる」ことを意味する。
 この現場には緊張があり、悲嘆がある。まさに葬祭業者の仕事の場は、こうした現場そのものである。

 葬祭業とは、イベント業でも、葬具提供業でも、司式業でも、ましてや宗教儀礼の提供者でもない。
 私が最も適切だと考えるのは「遺族が故人を弔うことをさまざまな形で支援する仕事」(全葬連「生活者への宣言」)である。
 死者も固有ならば遺族の弔い方もそれぞれであろう。弔いの主体であるそれぞれの遺族の心に副って、情報の提供から始まる多様なサポートを行うこと、これが仕事の原点ではないだろうか。

 これを原点とするならば、仕事は「聴く」ことから全てが始まる。
 単に相手の希望する葬式形態をたずねるだけではない。むしろ、何をなすかよりも遺族の心の底にある想いをどれだけ感じとれるかが「聴く」ということの内容だろう。

 私の尊敬する知人が「マニュアル人間になってはダメ」と、葬儀社を経営する友人に向かって強く言っていた。サービスもマニュアル流行りである。所作の基本ができていることは重要である。だが誰に対しての、何の目的のためのサービスかを忘れたときに、そのサービスは死んでいる。
 この「想いを聴く」ことを大切にすれば、もっと生活者である遺族個々に密着したサービスの提供者に葬祭業者はなり得るのではないだろうか。



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