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現代葬儀考64号(2001.7) 碑文谷創


 葬儀の地方差はずいぶんなくなってきたものの依然として大きい。
 葬送が地域共同体を主体として営まれてきた、という歴史的背景もここにはある。だが、地方によって葬送の慣習の違いがあるのは、大きくは葬送に対する文化の違いによるものだろう。

 東京というのは下町にその文化が残るものの、その周辺を含めて地域共同体の力はあまりない。あっても地元の一部の地主層を中心としたものにすぎない。私の住むところは、いわゆる山の手というところであるが、町会は圧倒的多数の途中参入組が無関心ということもあり一部の地主層を中心とした古手が担わざるを得ない状況にある。だが、古手すら高齢化の中でできれば担いたくないと思うようになってきており、特に地域に共通する文化があるわけではない。

 東京の葬儀に型というものがあるのかどうか知らない。あるとしたら、葬送慣習についての理解が乏しい多数派に対して、戦前から少しずつ変容してきたものの葬祭業者がもっている型を黙って受け入れているだけのことだろう。またないとしたら、在住者の多数派である地方出身者が、出身地の慣習の一部を採り入れたいとして折衷がバラバラに行われた結果なのだろう。
 あるときは東北の慣習の一部が、あるときは九州の慣習の一部が、あるときは関西の慣習の一部が、あるときは北陸の慣習の一部が、接ぎ木され葬儀が営まれる。

 新しさにも早い反応がある。マスコミ報道による新しい形態がすぐ受け入れられる。但し、大勢になることはなかなかない。文化的背景も哲学もない新規形態も古い慣習と変わらず混在して受け入れられていく。
 多数の人間が各地から寄り集まり形成している大都市の文化というのは、底が浅く、とらえどころがない。

 葬送文化というのは、人間の生死に関する住民の理解のコンセンサスに基づくとするならば、東京の葬送文化というのは、この理解のよく言えば多様化、事実は相互理解のなさを表現しているように思われる。

 大村英昭氏(関西学院大学社会学部教授)が、葬送に対するマスコミ報道を「無仏派知識人による東京発信型情報」と嫌悪しているが、その妥当性は置くとして、東京には葬送文化というものがなく、これが少なくなってはいるものの確かに地方に残る葬送文化を駆逐するのではないか、という危機感を表明しているように思う。

 各地方の葬送慣習は、各地域の人たちの葬送文化を反映しているはず、として慣習の差、違いを考えみたい。
 火葬後の拾骨慣習には地域により際立った差がある。

 私の父の葬儀が行われた福岡県の小都市では、遺骨の全体の3分の1程度を各部位から集めて骨壺に収める方式であった。兄が全部を拾骨したいと強固に主張したこともあり、私は故人の孫を動員して拾わせ、合計3つの骨壺に収めた。火葬場職員はその間呆れて黙って見ているだけであった。

 関西で喉仏(実際には火葬時に焼けて溶けるので第二脛骨を代用品としている)を「白骨」あるいは「本骨」として拾うのは、故人の魂(霊魂)の象徴としてであろう。

 火葬して骨となることを成仏の徴と見る。そこで霊魂の象徴である喉仏を拾い上げ、これを墓あるいは本山に納骨して供養する。死を霊魂と身体の分離と見る観念、霊魂の成仏という死生観からくるものではないか。
 関西の拾骨慣習というのは日本人の死についての伝統的理解、文化をよりよく表現しているものであろう。
 残骨へのこだわりのなさは、こうした死生観を背景に存在している。

 では、関東はどうであろうか。
 関東では全部の骨を収めた後、灰まで集めて入れる。「灰寄せ」という言葉がぴったりくる様である。
 火葬の後、遺骨は人体の骨格を残した形で拾骨の場に出される(ちなみに欧米ではこうした配慮はない粉々のままである)。これは形態的には遺体の遺骨への変貌である。遺骨となることにより生が不可逆であること、死を事実として遺された者へ突きつける。死者は火葬によって物理的にも死者そのものになる。遺族は丁寧に足から遺骨を拾い、頭を上にし、人体の骨格そのままに骨壺に収めて持ち帰る。

 関東では遺骨は死者そのものなのだろう。そういう認識が大勢を占めていることにより全骨が拾骨されるのであろう。東北では戦後まで土葬が主流であったところが多い。こうしたところでは関西流の洗練された死生観の象徴である拾骨方法は馴染まず、関東式の全骨拾骨方法がぴったりとくるものであったため採用したのだろう。

 九州(あるいは同じようなその他の地域)は、この両者の中間点に立つものなのだろうか。霊魂部位を分離させるだけではなく、遺骸そのものへのこだわりもまたあることを表現しているのであろうか。

 しかし戦後文化は、各地域に根ざした死生観の相違を横断的に喪失させていった。その結果、仙台出身の人間が福岡に行き、その地の慣習として部分拾骨を本質的な差異と認識することなく受け入れたり、関西出身の人間が東京で多少の困惑のみで全骨拾骨の慣習を受け入れるようになった。
 各地方の慣習を存立させているものは文化、死生観というよりはむしろ慣れの要素が強くなっているように思われる。あるいは「その地の多くの人がそうやるから」という認識が影響している部分が大きいように思われる。

 各地の葬送が地域共同体離れすることにより、葬祭業者が伝承の実質的担い手になっていることが多い。全国的に展開する大手事業者が、統一的な手法をとり各地の慣習をなくしていく方向に動いたり、あるいは地元の事業者が大手の浸食を防ぐために地域の慣習を表に出すということがある。

 また、地域によっては、ある時期に間違って採用された慣習が、強固に根を生やしてしまったものもある。それも地域の風土を表しているから文化ではあるが再考したいものもある。

 死生観の共通理解を失い、死生観から分離された地域慣習は行き場を失っいつつある。慣習に学びつつも慣習に頼らず新しい死生観を構築する時代になったように思う。  



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