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現代葬儀考 SOGI37号 碑文谷創


 叔父が死んだ。
 私の父は男ばかりの5人兄弟の長男、死んだ叔父は末っ子で、父と18歳離れている。私と叔父も18歳離れている。そんなわけで、叔父にとっては私の父は親のような存在に近く、私とはお互いに半分兄弟のような感覚でいた。

 朝の4時半に電話で叩き起こされた。こんな時間の電話は悪戯電話か、さもなければ誰かが死んだという知らせ以外にないということは経験で身についている。電話は悪戯ではなかった。
 従弟の連れ合いが叔父の死を電話で知らせてきたのだ。半分頭が眠っている状態なものだから「叔父が死んだ」という事実くらいしか頭に入らない。電話を切った後、整理すると、前日が腎臓の透析をする日で病院に行き、そのまま入院させたところ、朝の3時に病院から「血圧が低下したからすぐ来い」との連絡があって従弟が病院に行ったが間に合わなかった。死亡時刻は3時45分、「心不全」だとのこと。

 いつだったか、そう遠くない頃、電話で話したところ、少々の痴呆は感じられ、声は弱ってはいたが、死が近いという感じはなかった。68歳、私には突然の死という感じだった。
 その日の午後、車で千葉県の従弟の家に行った。叔父の顔は入れ歯を取ったせいもあって祖母そっくりで、穏やかに眠った様子のままであった。
 従弟の話によると、3週間くらい前から食事の時間以外は臥せるようになっており、前々日は少なめであったが2回食事をした。透析の日、この日は朝から眠っていて食事を摂らない。会社を休んで、午後3時に眠っている叔父をおぶって病院に行った。透析の後はすぐ入院したほうがいいとの医師の勧めで入院させた。特に緊迫感はなかった。朝の病院からの知らせで行って聞いたところ、巡回した看護婦が呼吸をしていないことを発見し、人工呼吸を施したが蘇生しなかったとのこと。実際の死亡時刻は2時半以前だった可能性が高い。眠ったまま死の世界に叔父は移行していった。

 近くにいる者と離れている者とでは感覚が違うことが多い。昨年春に会って、その後たまに電話で話しをするくらいの私には気がつかなかったが、叔父は2年前からアルツハイマーになり、夜狭いアパートの中を徘徊し、まだ小さな孫を踏んだり、しばしば入浴中に溺れそうになったり、可愛がっていた孫を邪険にしたりと家族はたいへんだったようだ。人は好いが見栄っ張りのところがあった叔父の借金の支払いも従弟の負担になった。若い頃からさんざん迷惑をかけた妻を4年前に脳出血で喪って以降は気力も衰退していた。

 話しをする従弟は本人も認めていたが少し躁状態にあった。顔を紅潮させ、「ハイなんだ」と言う。弔問に訪れた親戚や近所の人にも実務的にしっかりと対応していた。私には突然の出来事であったが、そして彼にも「父の死」は突然であったのだが、少し感じがちがっていたようだ。
「ここ数年、肩にずっと親父がのしかかっていて重かった。それがスッと抜けて軽くなったようだ」
 母親の死の前にも彼の父親(私の叔父)は糖尿病を悪化させて死線を彷徨い、そして母親の突然の死、そして父親の痴呆の発症、小学校低学年を頭に4人の子供を抱え、財産もないどころか父親の借金を抱え、長男である従弟は必死に生活と闘ってきたのだ。

「母親のときと同じように送りたい」
 という彼の依頼した葬儀の費用計算をした。死者の兄である私の父(自由に動けない状態で今、福岡の姉のところにいる)が費用の支払いを心配していたためだ。葬儀社への支払いが約60万円、会葬者への返礼品が2千円×200人分で40万円、通夜料理と酒代で約20万円、精進落としが4千円×50人分で20万円、市営の火葬場の式場使用料が2日間で約16万円、僧侶への布施が通夜、葬儀・告別式、初七日、戒名(信士)が各10万円で計40万円、その他の費用が約10万円とすると合計で196万円となる予測だった。実際には会葬者が予測より少なかったため170万円くらいで済んだ。香典は90万円くらいだったが心配した費用も仙台から来た叔父(私の父が長男、次男は戦死、三男になる。ちなみに四男は先年自殺)が50万円を用立てたり親戚がそれぞれ多めに負担したので黒字にすることができた。返礼品は香典の即返しとして行ったので、これで費用は全てである。

 葬儀はささやかに営まれた。叔父の子供2人とその孫、叔父の兄弟とその家族、そして先年亡くなった叔母(妻)の兄弟とその家族、そして叔父は養子に行ったものだから、互いに養子同士で子供の頃から兄妹として育った叔母(妹)夫婦といった親族が中心。それに近所の人、従弟の会社の人、家族が信仰している立正佼正会の支部の人が加わった。導師は養子先の菩提寺の浄土宗の若い僧侶が勤めてくれた。
 少ない会葬者の焼香が早く終わったので従弟は気をきかして僧侶にその旨を告げたが、まだ仏説阿弥陀経の半ばに達したところ、僧侶はめげずに最後まで経を読んだのは立派だった。
 お別れの儀で生花を入れるとき見た叔父の口は硬直が進み、半ば開いた状態になっていた。従妹が私の肩に顔を埋めて、声を抑えて泣いた。

 1時間半かかる火葬の時間を利用して会食。仙台の叔父が子供2人の一家を宜しくと誠実に挨拶して始まった。お互いの近況報告もあったが、死んだ叔父の人の好さを皆が愛しながらも、こういうこともあった、老いてこうなったとどちらかというと悪さの話のオンパレード。名もない叔父に「遺徳」は似合わない。等身大の叔父が皆の前にあった。笑いがあちこちで沸き上がるが少しも不謹慎に感じられず違和感がない。「もうホトケさんになったのにこんなこと言っちゃいけないわね」と言いながら話し、笑いあった。
 アルツハイマーを病んだせいか頭蓋骨は崩れていた。骨もかろうじて姿をとどめるだけ。拾骨は淡々と進んだ。

 葬儀の日、皆がいい人になり、そして心は疲れた。翌々日の従弟の電話の声は終わった安堵感も感じたが、弱々しかった。私も仕事に戻りながら疲労を強く感じていた。死者を送ることはたいへんな作業である。家族も親戚も死者のためだけにこの作業に参加したのだという想いがした。 ()



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