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おくりびと  


 映画「おくりびと」が第三二回モントリオール世界映画祭でグランプリを受賞し、中国の金鶏百花映画祭でも作品賞や主演男優賞などを受賞した。また来年一月の米国アカデミー賞への出品作品として日本代表にも選ばれた。国内では九月一三日の上映以来大ヒットを記録している。映画化を発案・主演した本木雅弘君に「いい風が吹いていて、かえって不安になるくらい」と言わせるほど好評を博している。

 私が本木雅弘君と交信するようになったきっかけは、一五年前の一九九三年に『納棺夫日記』を上梓して間もなくのことであった。突然電話があり、彼がインドを旅した本に『納棺夫日記』の中の一文を引用させてくれという申し出であった。快諾してしばらくしたら、『HILL HEAVEN』と題された本が送られてきた。インド・ベナレス(ヴァーラナスィー)のガンジス川の岸辺で送り火を手にした上半身裸の彼の写真に一文が添えられてあった。それは一人暮らしの老人が亡くなって真夏に一カ月も放置されていた遺体を私が納棺に行った時の文章の一部であった。

何も蛆の掃除までしなくてもいいのだが、ここで葬式を出すことになるかもしれないと、蛆を掃き集めていた。蛆を掃き集めているうちに、一匹一匹の蛆が鮮明に見えてきた。そして蛆たちが捕まるまいと必死に逃げているのに気づいた。柱をよじ登っているのまでいる。蛆も生命なのだ。そう思うと蛆たちが光って見えた。
 
 ベナレスは、ヒンズー教の聖地中の聖地で、古代では「霊的な光あふれる所」を意味するカーシーと称されていた。ヒンズー教徒はここで荼毘されて聖なる川ガンジスに遺灰を流されることを願っている。人々は遺灰が流れる川で沐浴し、岸辺では死体を焼く煙の中を、乞食や巡礼者や子どもや犬などがうろつき、聖者と牛が悠然と座って居る。まさに生と死が混沌と渦巻く場所である。そんな場所に立ち、当時二十代の彼が「蛆の光」に共感していることに私は驚きを覚えた。なぜなら蛆の光こそが『納棺夫日記』のテーマだからである。もし映画化することがあれば本木雅弘君をおいて他にいないと確信した。
 あれから一五年の歳月を経て彼は「おくりびと」という美しい作品を世に出した。
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 私が納棺をし始めた昭和四十年代は今日と違って惨憺たるものであった。叔父に「親族の恥」と罵倒された日の日記にこんなことを書いている。
「職業に貴賤はない。いくらそう思っても、死そのものをタブー視する現実がある限り、納棺夫や火葬夫は無残である。昔、<河原乞食>と蔑まれていた芸能の世界が、今では花形になっている。<士農工商>といわれていた時代の商が、政治をも操る経済界になっている。そんなに向上しなくとも、少なくとも社会から白い眼で見られない程度の職業にできないものだろうか」

 私が過去に抱いていた忸怩たる思いを映画「おくりびと」が見事に解消してくれたように思う。このことは葬祭業に従事する者にとって大きな力となり、業界の向上にもつながることだろう。
 しかし今日の葬儀現場の実態は、特に都会などでは納棺も映画のように親族に囲まれてなされておらず、親族が立ち会わないまま病院の霊安室などで遺体処理されたお棺が直接葬祭場へと運ばれている。また死者と語り合う<時と場>であったはずの通夜も告別式へと様変わりしている。

 こうした現状を葬式の九割近くを行っている仏教界はどのように思っているのだろうか。おくりびとの送り先が違うとか、ほんとうのおくりびとは葬式の導師である僧侶の役目だとか言う前に、死者と語り合う場の大切さを説くべきではないだろうか。

 人と人の絆、家族の絆、死者と生者とのつながり、そんな当たり前のことを忘れかけていた現代人に何が大事か気づかせてくれた映画でもあった。
 この映画が誕生するまで紆余曲折があったことを私は知っている。映画化を発案した本木君をして諦めさせなかったのは、一五年前インドで「ここでは生と死が当たり前のようにつながっている!」と実感した体験、即ち<蛆の光>に感応した記憶が根底にあったからだと私は思っている。そんな本木雅弘君に敬意を表し、心から喝采を送りたい。


 『SOGI』108号 青木新門


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