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帰依三宝  

 仏蹟巡礼のインドの旅は、人に誘われたり、行かざるをえなくなったりで、ほとんど同じコースを三度も旅した。その三度目の旅で、ブッダが沙羅双樹の下で入滅したとされる地クシーナガラを訪れた時のことだった。

 釈迦涅槃像を参拝して涅槃堂を出ると、そこから一・五キロ東にある、ブッダの遺体を荼毘に付したとされる場所を訪ねた。巨大なお椀を伏せたような日干し煉瓦の荼毘塔が広々とした畑の中に夕陽を浴びて立っていた。滅多に人が訪れないのか、他の仏蹟にみられる物売りも物乞いもいない。ほっとして静かな参道を歩いていると、哀調を帯びた美しい音色が聞こえてきた。

 近づくと一人の気品ある老人が道端に座り、インド古代の擦弦楽器であるサーランギーを奏でて歌っていた。
  ブッダン・サラナン・ガッチャーミ
  ダンマン・サラナン・ガッチャーミ
  サンガン・サラナン・ガッチャーミ
 心に染み入る歌声だった。私は感動のあまりしばらくその場に立ち止まっていた。

 以前越中八尾の「風の盆」で、深夜の路地を一人弾き流す老人の胡弓の響きに言い知れぬ感動を覚えたことがあったが、あの時よりももっと深い感動を受けた。あたかもインドの大地の深淵からせり上がってくるような響きが全身に染み渡る感じがした。

 老人はサーランギーを巧みに奏で、繰り返し歌っていた。私はしばらく聞きほれていたが、我に返ると百ルピー札一枚を老人の膝の上に置いて、その場を離れた。老人の姿が見えなくなっても、哀調を帯びた美しい音色が大地を這うように流れていた。
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 インドの旅から帰国して間もなく、ある浄土真宗のお寺へ講演に出向くと、講演の前にその寺の仏教婦人会の方々による仏教讃歌の合唱があった。そして最後に歌われたのが、インドの老人が歌っていたパーリー語の「帰依三宝」の歌であった。日本語に訳すと、
  私は仏(ブッダ)に帰依します
  私は法(ダルマ)に帰依します
  私は僧(サンガ)に帰依します
 となる。〈仏〉と〈法〉と〈僧〉の三宝を敬い讃える歌である。

 講演を終えて控え室へ戻ると、若い住職が「さっきの歌ですが、三宝を敬えなどと、門信徒の前でとても言えません。特に最後の、僧に帰依しますの一行は、わが身を省みますと恥じ入るばかりです」と消え入るような声で言った。私はなんと正直な人かと住職の顔を見直した。

 仏教では「三宝を敬え」という。
 仏教を重んじた聖徳太子が定めた『十七条憲法』の第二条には「篤く三宝を敬え、三宝とは仏・法・僧なり」とある。古来より仏教徒が三宝を敬うのは当然のこととされ、法が人にあるときは仏といい、仏・法の道心ある人を僧といい、仏・法・僧は本来区別されるものでなく、一体のものであるとされてきた。今日でも東南アジアの国などでは三宝一体のイメージで僧を敬う人々の姿がみられる。
 「僧を敬え」などと言えないと言った若い住職は、仏と法と僧を分けて考えているようである。
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 伝教大師最澄は「一隅を照らす、此れ即ち国宝なり」と『山家学生式』に書き残している。今日では「一隅を照らす」だけが前後の文を無視して一人歩きしている感がある。ひどいのは県会議員の選挙ポスターに「一隅を照らす」とあるのを見かけたことがあった。最澄の『山家学生式』では「国の宝とは何ものぞ、宝とは道心なり。道心あるものを名づけて国宝と為す。故に古人曰く、径寸(=宝石)十枚、是れ国宝に非ず、一隅を照らす、此れ則ち国宝なり」とある。ここで見落としてはいけないのは「宝とは道心なり、道心あるものを名づけて国宝と為す」という語句である。宮沢賢治が手帳に書き残していた自戒の詩「雨二モマケズ」で言っている「サウイウモノニ/ワタシハナリタイ」と願う道心、即ち発菩提心である。真宗では「欲生」という。

 私が今日まで葬儀の現場で見てきたのは、浄土往生を説きながら浄土へ往きたいと思わない僧や、法に近づくことも仏に成りたいと願う道心もない僧が、死者に戒名や法名をつけたり引導を渡したりしている姿であった。そんな僧を敬えと言われても敬う気持ちになれない。しかしそのことは、僧にとっても門信徒にとっても、悲しいことである。
 そんなことを考えていたら、インドで出遇ったあの老人が奏でる「帰依三宝」の歌が、一層哀調を帯びて蘇ってきた。



 『SOGI』104号 青木新門


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