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碑文谷創(2007.3)
葬式は「通夜」「葬儀式」という「点」ではない。
死の看取りから始まり、葬るまでのプロセスのことを言う。
葬式の原点を問いつつ、その実際を解剖する。

1.死の看取り
2.臨終から安置
3.通夜・葬儀・火葬


1.死の看取り


■他人の死の始まり
 他人の死は「知らされる」ことによってもたらされます。
 最近私が経験したことを例にとってお話ししましょう。
ある人については1カ月前ほどに「そろそろ危ないらしい」ということを聞き、次は「訃報」という形でその死が告げられました。
この方は高齢であり、「そういう時がいよいよ来たのか」という想いでその死の知らせを聞きました。
 同郷ということもあって可愛がってくださり、お世話になった方でしたので、幸い仕事の調整もつき、葬儀に参列しました。

 また、ある人の場合には突然に訃報が届きました。
私よりはるか年長であり、昨年あたりから社会的な各役職を次々と引退し、後進に譲っていましたが、時折会合でもお顔を見ていたし、社会的な引退が死とは結びつくものではありませんでした。ですから訃報には驚きました。
しかし、より親しい人の話では最近相当身体が弱っていたということでした。身近な人にとっては、その死は意外なことではなく、憂えていた事態の到来という感じであったようです。
 その人の場合には、あいにく仕事の締切がぶつかって、どうにも調整がつかなかったため、弔電と生花を届けただけでした。

 また、ある人の場合には会合の席でのヒソヒソ話から知らされました。それははなはだ曖昧で、「どうも亡くなったらしい」というもので、まだ40代と若く、昨秋には元気な様子を見ていましたから「なぜ、どうして」という疑問がまず浮かびました。そして、半信半疑状態でいろいろなところに電話をかけまくり、ようやく知ったことは、亡くなったというのは事実であること、それは事故死らしく突然のもので、しかも既に密葬が終わっている、というものでした。死亡が事実だっただけではなく、葬儀も既に済んでいるという事実に言いようがない想い、やるせなさを感じました。

 また、ある人の場合には電話でその死を告げられました。
その人には数カ月前に、その人の希望で東京のホテルで会っていました。会った時には元気でしたから、「何が起きたか」という疑問が沸きました。だが、急性の病気で、発見された時には既に手遅れ状態で、家族が手厚く看取ったということでした。
 密葬が間もなくでしたが、まずは家族だけで送り、後日に本葬をすると聞かされました。長く親しくしていた人で、携帯でもよく話していた人でしたので、その本葬には仕事をやりくりして参列しました。

 昔の日本の葬儀では、人が亡くなると、それを伝える人が立ち、まず檀那寺の住職に、そして地域の人にその死を告げて歩いたと言われます。この「人の死を告げる」という作業は大切なものと位置づけられていました。
他人の葬儀は告げられ、知らされることによって始まるのですが、近親者にとっては多くの場合そうではありません。その前に「死を看取る」という作業があるのです。

■死ぬことが大変な場合の死の看取り

 人の死の記憶は、通夜、葬式という記憶よりも、その人と自分との関係の記憶、とりわけどう看取ったか、あるいは看取ることができなかったか、にあるのではないでしょうか。
 いくつかのケースの看取りについて見てみたいと思いますが、ここで取り上げるのはほんの一端です。人の死は多様だからです。

 高齢者、それも90歳を超えての超高齢者の死が増加しています。
 私も身近に高齢者2人を抱えていますから、その実態の一部は体験しています。この超高齢者の看取りは長期にわたるのが特徴です。病名は付いているのですが、もはやそれは治療して回復するものではないのです。また、治療することは本人に痛みをもたらすだけで抜本的な解決策にはなりません。治療といっても痛みを和らげ状態を緩和する程度です。

 超高齢者の死への道程は、大きく言えば、なだらかに、徐々に衰えていくのですが、日常的に観察していると階段状であることがわかります。よく寝るようになる、ある日手洗いで転ぶ、ある日食べられなくなる、ある日意識が薄れていく…という具合です。
 こうした超高齢者が末期になると、多くは病院へ入院させることになります。しかし、よく考えてみると、実はこれは本人のための解決策ではないように思います。病院に入院させても回復の希望はないからです。

では、どうして入院措置をとるのかと言えば、理由は2つ考えられます。一つは、看取る側の家族がどう対処していいかわからないという不安が大きいからだろうと思います。もう一つは、看護する者のほうが体力的に負担に耐えかねないというのがあります。
 在宅での介護、看護は、身体的、精神的苦痛と共にあるというのが実態です。回復の希望はなく、世話は次第に苛烈になっていきます。こうなると行き先のゴールが死であることは看取る家族の目にもはっきりと見えています。但し、そこへ辿りつくためには過酷な世話が、いつ終わるともわからず、ひたすら続くことになります。だからしばしば介護者の体力・精神が、その死というゴールまでもつかどうかが懸念される事態さえ生じるのです。

 いま高齢者の生活環境は過半数が1人世帯または2人世帯となっています。介護者がいないというケースもあり、孤独死という事態が今後さらに増えると予想されます。しかし、たとえ介護者がいても、それが配偶者である場合には介護者自身が老いを抱えています。また子が世話をする場合であっても、超高齢者の子どもも高齢者の仲間入りをしていて、「老老介護」があたりまえの状況です。先に倒れた配偶者の介護をしていた人が先に亡くなったという話もあります。

 人が死ぬというのは周囲の大変なエネルギーを要する、困難な作業であることがわかります。
 ニュースで、高齢者の介護を放棄し、死に至らせたということで家族が逮捕されたと報じられました。保護者責任の放棄というわけです。
 高齢者の死の看取りを体験した者にとっては、このニュースは他人事としては聞けなかったでしょう。 配偶者あるいは親に対する愛情はあっても、その介護は介護者自身を疲弊させ、体を傷め、精神的にも追いつめ、休めぬ介護に心の中で悲鳴を上げ、少しの間でいいから休ませてほしい、と切実に思うという体験をしているからです。

 超高齢者がその最期を迎えた時、介護者は終わった後の虚脱感、脱力感、もう介護しなくてもいいという解放感、そして亡くなった人への愛惜の想いが入り混じって複雑な感情に襲われることでしょう。
中にはもう充分なことをしたという達成感のようなものを感じることもあるようです。しかしまた、手がかかっただけに、その不在を痛感し、かつ、介護者自身のするべき役割が喪失したことへのとまどい、困惑がしばしば押し寄せます。介護が日常であり、その役割はある意味では生きがいともなっていたので、その役割の喪失は、自らの存在意味すら揺るがしかねないものとなることがあります。
死に至ることが、周囲の家族を巻き込み、肉体的、精神的に疲労困憊させる作業としてあります。
 もちろん、超高齢者とはいえ、その死は困難な死ばかりではありません。身体の弱まりはいかんともし難いですが、1週間あるいは1カ月寝込んだ後にロウソクの灯が静かに消えるようにいのちの灯を消すという穏やかな死もまたあります。

■期限を定められた死
 がんでの死者が30万人を超す時代です。
 医療の進歩は目覚しく、がんと診断されても早期であれば治癒も可能な時代になりました。しかし、発見が遅れたり、他の部位に転移して治癒が不可能な場合も少なくありません。
 その結果、残り半年、1年、と生きる期限を定められる、余命の告知を受けることになります。
 最近亡くなった方は60歳を前にしてがんで死亡しました。娘さんの結婚式を直前に控えての死でした。

 彼は1年前に医師から宣告を受けていました。おそらく深い悩みを体験したことでしょう。その後、彼は友人に頼んで、死後公開する予定の遺言をビデオで残します。それは都合3回収録されていました。そこには自分の差し迫った死を覚悟して、遺される家族、会社の人、友人への事細かな、愛情溢れるメッセージが収められていました。彼の生の尊厳が厳粛に感じられるものでした。
 しかし、彼のように余命の宣告を受け、かつ、尊厳ある生を全うできる人は多数派ではありません。
 これほどインフォームド・コンセントの重要性が説かれているにもかかわらず、厚生労働省研究班による全国の約1500病院対象の調査では「患者本人に余命を告知したのは約3割、人工呼吸器の装着など延命処置の希望を確認したのは半数強にとどまっていたことも判明した」(産経新聞2月16日)というのです。

「患者本人より先に家族に告知したり、希望確認する」が500床以上の大病院では約31%でしたが、100床未満の中小病院では約60%にのぼったとのことです。  家族には告知するが、本人へは告知しないという状態が未だに続いているのです。
 家族は本人に対し余命を告知すべきか、深い葛藤を抱えることになります。

「尊厳ある死」の条件として@痛みの緩和、A身体症状緩和、B精神的援助、C社会的援助、D家族支援が上げられますが、B〜Dの精神的援助、社会的援助、家族支援の項目はいずれも20%強にとどまっています。もちろん、これらを全て医療機関の責任にすべきではないでしょう。しかし、「期限を定められた死」に直面した本人もそして家族も適切なサポートを得られず、孤立して死に向かっているという現状にあります。
 がんにもいろいろあり、私の2人の叔父のケースのように80代の場合、あるいは90代の患者の場合にも本人に告知すべきかは別のことです。本人も従容として死を受け入れ、家族も温かくその最期を看取るというケースもあります。

■急いでくる死
 突然発症する病気、あるいは発見された時には手遅れで、わずか数日あるいは1カ月未満の入院で死を迎えることがあります。
 本人には意識はなく、家族は突然の事態に慌てふためき、動揺します。
 本人が80歳を超えているならば、それでも家族は「寿命だから」と無理に自らに納得を強いることは可能かもしれません。しかし、そういう年齢のせいにもできない場合、家族はおろおろして事態が進むのをながめているだけになります。
 家族はなぜ早期に気づくことができなかったのかと悔い、自らを責めます。あるいは同居していなかった家族は同居していた家族に、どうして気づかなかったのか、後の手当てが悪い等と敵意を剥き出しにすることもあります。

 救急医療で人工呼吸器がつけられることがあります。すると外す、外さないという問題が家族に突きつけられます。治癒の見込みがあればいいですが、その見込みはない。本人の意思も定かではない。外すのは本人を殺すことになるのではないか、あるいは、こんな状態で生き長らえさせるのは忍び難い、と葛藤、家族間の想いの差で苦しむことになりかねません。
 家族が死を看取るのに1カ月というのは短すぎるし、また、その葛藤の日々を考えるとそれは長くも感じるのです。非常時に流れる時間は通常流れる時間とは違って感じられます。
 予期もなく、受け入れる準備もなく、死を突きつけられる家族がそこに呆然と佇んでいるのです。

■突然の死
 事故死、病気での突然死、犯罪死、自死…突然の死があります。家族は死を看取る時間もなく、死は他人の死と同様に知らされることでやってきます。
 死亡という事実を突然突きつけられるのです。その死を理解すること自体が困難なことです。
 何が生じたのかわからないのでその解明に走る人、怒りを突きつける人、衝撃のあまりただ呆然とする人、衝撃が現実感覚を奪い、無表情に事務的に対応する人、事実を否定して泣き叫ぶ人、泣くという感覚すらなくショックのあまりあらゆる感情表現を失う人、とさまざまです。

 人間には何が起こるかわからない、いのちははかない、ということは頭で理解しているだけのこと。それが家族のこととして体験すると理解できません。理解できないのがむしろ当然です。
 もし、頭で理解しようとしても身体がそれを受けつけません。
 時間が経過すると、原因がある場合には敵意や怒りが、原因が不明な場合には困惑や後悔が、喪失の深い穴を埋めようとするがごとくその心理を圧倒します。

■多様なドラマの死
 人の死はどれをとっても同じ死はありませんし、死者本人との関係のありようによっても変わってきます。
 同じ家族であっても、看取った人と看取れなかった人の間にも大きな差が生じます。
 その本人がどういう人生を送ってきたか、家族との関係はどういうものであったかによっても変わってきます。

 葬式とは法律的には医師が死を宣告してから始まる作業ですが、死の看取り方がどうであったかに深く関係してきます。したがって死に多様なドラマがあるように、そのドラマを背景に執り行われる葬式もまた固有のものになるのは必然としてあるのです。
 生前に高齢者を遺棄するがごとく扱ってきた家族にとっての死亡後の葬式は、おそらく単なる死体処理以外のものではないでしょう。


2.臨終から安置

■死の宣告
 さまざまな固有のプロセスがあり、そして医師が死を宣告します。法律的には、死は医師の判定によるもの、と定められています。その医師が死を決した時刻が人の生と死を法律的に分けるのです。
 看取った家族が、その死の事実を厳粛に穏やかに受け止める場合もあります。しかし、その事実を納得しない場合もあります。

 また、その事実が何を意味するのか理解できていない場合もあります。死の事実を頭では理解しても、行動では否定していることもあります。
 医師の死の宣告、判定によって生体は死体へと変わります。
法律的には死後の肉体は「死体」です。法律的には「死体解剖」「死体損壊」と「死体」という語が使用されます。この死体を尊厳あるものと認識するときに「死体」は「遺体」に変わるのです。
しかし、この段階ではまだ「遺体」とすら家族(この段階で「遺族」になっているが、これは尊敬の意味ではなく「遺された家族」という意味)が認識しているとはかぎりません。むしろまだ生きている家族の一員という認識であるように思います。ですから「遺体」とは言わずに「おじいさん」とか「お母さん」という、生きていたときの関係の呼び方をしています。 死者を「故人」と呼ぶのも「いまは亡き人」という原義だけではなく、ある種の尊敬のニュアンスがあるように思います。しかし、この死の判定の時点では家族には「故人」という認識はあまりないように思います。
 この家族の認識に添うならば、死後の早い段階には「遺体」「故人」という表現は避け、「(ご)本人」という言い方が適切となるでしょう。

■死水
 医師による死の判定の直後、多くの場合、看取った家族と死者を残し、家族だけの空間をつくります。そして看護師が患者につけていた器具等を取り外します。
次に、湯呑み茶碗に水を入れてもってきてくれます。この水に綿棒(かつては樒の葉や割り箸も使われたが、最近は綿棒が多い)を入れて水に浸し、看取った者が一人ひとり死者の唇を潤していきます。これを「死水」あるいは「末期の水」と言います。
 この習慣は長く続いているもので、水を口に入れることで再生を願ったものであるとか、あるいは「水杯」の譬えのように、死者と最後の、もう会えないという別れをするため等と説明されています。
この2つの説明は、どちらが正しいのではなく、さまざまな複雑な想いが入り混じって行われたことを意味しているだろうと思われます。
できるならば生き返ってほしい、という想いはあったでしょう。また、この行為自体が死の事実をいやがおうでも突きつける行為であると思います。
死の事実の確認を巡って、複雑な想いが錯綜して行われる行為が死水という行為であり、これは現在もまだ有効であることがこの習俗を生かしているように思えるのです。

■死後の処置
 遺体に対して看護師(あるいは病院関係者)が死後の処置を施します。
 死後の処置のことを「清拭」あるいは最近では「エンゼルケア」という言い方もします。
 かつては自宅で死亡することが多かったため、死後の遺体には湯灌が施されましたが、これは納棺を前にして行われていたようです。ですから湯灌の代替行為と見るのは異なるように思います。むしろ遺体に対する衛生処置という新しい処置だと考えるほうが妥当性をもつでしょう。
元来「湯灌」は、死者の身体を洗い清めることにより、その死者の霊魂をも清めるという二重の意味がありました。特に後者の聖化という意味が強かったものです。いまの死後の処置には後者の意味はありません。ひたすら身体を清めるという意味だけです。
 しかし、この死後の処置は以前「湯灌」と呼び習わされていたことも事実です。遺族にとっては湯灌と同等の行為と見なされていたのでしょう。実際、病院死が多くなり、病院で死後の処置が行われることにより、納棺を前にした湯灌の習俗は廃れていきます(最近の葬祭業者による湯灌サービスは、古い習俗の名を借りた90年代以降の新しいサービスです)。
 かつて死後の処置の多くは病室から遺族を締め出し、看護師らによって専ら行われる作業でしたが、近年はこれに一部は遺族も参加させるべきではないか、という考え方が出てきました。これは遺族も遺体を拭いたり、化粧を施したりする作業に加わるのは遺族に対するグリーフケアになるという考えからです。

 死後の処置に遺族を加えないという従来の考えは、医療というものが近代化する中で、病院の専門化という流れと作業の合理性が生んだものでしょう。遺族などいないほうが手早く済ませることができるからです。
それにいま加えるならば、感染防御という理解も入ります。死後の処置は血液や体液に触れて処置するものだからです。 
 だが、今日の死後の処置に遺族を参加させるという考え方は、医療の専門化を見直し、キュア(治療)だけではなくケアの必要性、つまり全人的なサポートの必要性という流れから生まれたものと言えましょう。

 遺族が死後の処置に参加するとは、遺体を家族のものに返し、家族としてできるだけのことをする、その想いを大切に考えてのことでしょう。
 医療機関において患者に対する精神的なケアの大切さが言われるようになったのが85年以降のことです。患者がいれば家族がいる、そして傷つき悩むのは、患者だけではなく家族もそうであるという当たり前の認識が出てきたのは、95年以降のことであろうと思います。
 しかし、現在は患者本人へのケア、家族に対するケアが認識されながら、実際には充分になされ得ていないのが実情です。

■霊安室
 死後の処置を施された遺体は霊安室に移されます。
 霊安室はかつては病院の裏口の人目のつかない暗い場所に設置されていることが多くありました。
 患者の死亡は医療の敗北であり、遺体は縁起の悪い存在であるため、回復の希望をもっている患者たちの目につかない場所に、という発想が色濃くあったように思われます。
 病院の現実は、いくら医療が高度化、近代化しても最終的に死を淘汰することは不可能です。生がある以上は、死もまたあるのです。

 日本でも60年代以降の高度経済成長の時代にあって、生が謳歌され、死が禁忌されるという社会的な風潮もあり、死を嫌忌するのは病院だけのことではありませんでした。病院の霊安室だけではなく、火葬場も嫌忌施設としてありました。死を嫌忌する社会風潮が霊安室の環境の悪化に手を貸していたと言えるのではないでしょうか。
 しかし、高齢化が進み、また末期がん患者への人間的対応の重要性が説かれるようになった85年以降に、少しずつですが変化が見られるようになりました。
 死者を手早く隠し、暗い穴倉のような霊安室に隔離し、裏口から人目のつかないように運び出すという発想への見直しが出てきたように思います。

 いくら医師や看護師が言い繕っても、家族がいかに心ない嘘を並べても、患者自身が治癒の可能性がないことをわかることがあるのです。そうした末期の患者は、遺体が隠されることを望むのではなく、死ぬと自分もあのように粗雑に扱われるのだと悲しい想いを抱くのは当然のことです。
 医療関係者の中でもこのことに最初に気づいたのは、多くの場合、医師ではなく看護師たちでした。治療の甲斐なく死亡した患者を温かく送り出したいという看護師たちの想いが病院の空気を変えていったように思います。

 少しずつですが、病院も変わり始めています。霊安室を明るく整え、遺族が遺体と別れる空間をつくり、最後は正面出口から出て、係わった医師、看護師が揃って温かく見送る、という病院も現れています。
 死を、ひいては遺体を嫌忌するのではなく、尊厳ある生を生き抜いた人として尊敬をもって遇するように全ての医療機関が変わればいいと願っています。患者もこの病院ではいのちを大切にしてくれると信頼するようになることでしょう。
 霊安室に移動された死者の顔が白い布で覆われるようになったのはいつからかわかりません。自宅に遺体を安置した後も白い布で覆われます。
「死者の尊厳を守るため」と説明されることが多いのでしょうが、どこかに隠す意識があったのでしょう。
 中世には薄い布を被せ、呼吸をしていないかという死の事実確認が行われたとのことですが、その時代からの名残なのでしょうか。

 30年ほど前、親友が急死した時、既に遺体の顔を白い布で覆うという習慣はできていたことを思い出します。
 その友人が急死したという知らせを深夜の電話で知らされ、私は急いで病院に車を走らせました。
親友は空室の病室に寝かされ、顔には白布が掛けられていました。私は部屋に入るとその白布をどけ、顔、足と全身を確かめるように触りました。足の先は冷たくなっていましたが、まだ身体には温もりがあり、死が現実のものとは受け入れられず、しばらく身体に触れ続けていました。

 霊安室に置かれた遺体と遺族の関係はそのような想いであるように思えるのです。死を現実のものとは実感できず、ひたすら触れて確かめていたいと思うのです。
 死を白い布1枚で隔離するのではなく、顔を撫で、触れて、家族であることを確認し続けたいという想いがあるのではないでしょうか。

■葬儀社を選ぶ
 霊安室に遺体も遺族も長く留まることはできません。そこはあくまで仮の一時的安置スペースに過ぎないからです。
 患者という生体のケアは病院の責任ですが、いったん死亡し、遺体になった段階で病院の責任は終了します。遺体のケアは葬祭業者の責任となります。

 霊安室は遺体を葬祭業者へ移すその場でもあるのです。
 遺族は遺体を世話してくれる葬祭業者の選択を迫られることになります。
 かつての高度経済成長期、生が謳歌され死が嫌忌されていた当時は、都市部では頼むべき葬祭業者を知らず、病院が紹介する葬祭業者に依頼することがままありました。本当でしたら病院から紹介された葬祭業者には遺体の自宅への移送だけを依頼し、自宅に安置した後、ゆっくりと葬祭業者を選定すればよいのですが、そうした知識もないうえに、精神的余裕もありません。いいか悪いか判断する以前に、病院から紹介されるままに葬祭業者に後の葬式まで依頼していたのです。
 遺族は「葬祭業者を選ぶ」ということで、急に実務的な判断を迫られることになります。

 最近は事情が相当変化したようです。病院から葬祭業者を紹介されて頼むケースは減少しています。頼むとしても移送だけというケースが8割となっています。
 葬祭業者を選ぶということでは都市部と地方では大きく事情が異なります。地方では葬祭業者が社会的に認知されていて、どの葬儀社に頼んだらよいかという情報が行き渡っています。しかし都市部では違います。葬祭業者の存在すらわからない人が多数派なのです。

 しかし、その都市部においても予め選んでおく人が多くなったのは、2つ理由があるでしょう。
 一つは、高齢者の死、がんによる死など予期された死が多くなったことです。
 死が予期されるようになると、「お葬式はどうしようか」という現実的な判断を事前にするケースが多くなるのです。日常から準備しているわけではありません。死が確実なものと想定されたとき、家族は葬式という死後のことを考えるようになるのです。

 事実、葬祭業者に聞くと、このようなケースの事前相談が増えているようです。「後1週間か2週間かわからないのだけれども」という相談が多くなっているというのです。
 相変わらず、と言ってもいいでしょう。病院出入りの葬祭業者の強引な営業が問題になります。病院出入りの業者にすれば、仕事を請けることが少なくなり、請けても移送だけではうまみがありません。霊安室の管理も病院に代わって行い、人を24時間待機させるのは葬式の受注を増やすことが目的です。ですが公正取引委員会から警告を受けるような強引な営業がまだ続いているのは、一部の心ない人による「死体は商売」という陰口を裏づけるようなものです。

 ここで葬儀社が24時間営業であることについても触れておきましょう。
 以前は地方においては夜葬儀社に電話をすると「朝まで待ってほしい」と言われることもあったとのことですが、いまはほとんどの葬祭業者が24時間電話での対応を行っています。これが365日続きます。小さくて人手が不足しているところへは代理で夜間や休日の受付する業者も現れています。
 いまではコンビニエンスストアが24時間365日営業していますが、昔はこんな営業をしているのは葬儀社だけでした。

 これは人件費というコストを上昇させる原因になっていますが、こうした営業をしなければならないのは、2つ原因があります。
 その一つは病院側にあります。意識は相当変化してきたとはいえ、依然として遺体は早く病院外に運び出してほしいという希望があるからです。
 本来であるならば、深夜に亡くなった場合、霊安室でしばらく休めるようになっていればいいのですが、多くの霊安室は、あくまで一時的に安置するだけの空間になっており、病院側も早く葬祭業者の手に引き渡したいと思っています。

 もう一つは、そしてこちらのほうが重要ですが、遺族が落ち着かず、不安になるからです。
 死者をできるだけ早く、きちんとした場所に安置したいと願うからです。
 この遺族の不安に応えるためにも、深夜に発生する注文に対応できるように葬儀社は待機するのです。もし、待機していなければ、その遺体の処置は別の葬儀社の手に委ねられることになります。
 霊安室で病院の手から葬儀社の手へと遺体は移されますが、ここで注意しなければいけないのは、しばしば遺族となったばかりの家族が最初に出会う第三者が葬儀社になるということです。

 遺族は自分が遺族になったこと、看取った家族が遺体になったことを充分に納得しているわけではありません。非常に落ち着かない不安な状況にいて、これから起こる葬式を委ねる葬儀社に会うのです。それは全くの第三者です。委ねる先が来てホッとする気持ちもあるでしょう。しかし、これから何が起こるのか、自分たちはどうしたらよいのか、という不安が心の中で渦巻いています。

 いままでは病院で庇護されていたのが庇護される先が今度は葬儀社に変わるのです。
 また、看取った家族以外に最初に会う人ですから、そこに自分たちの姿がどう映ずるか、葬儀社を通して社会を見ている感じがするでしょう。何よりも遺体がどう扱われるか不安です。遺体は自分たちにとって大切な家族であるが、それを葬儀社は理解してくれるだろうか、と不安にかられます。
 ですから礼節をわきまえなかったり、悔やみの言葉もなかったり、あっても口先だけのように感じたり、事務的過ぎたり、遺体を大切に扱っていない、と感じたら、一瞬にして不信の感情が支配するところとなります。

■遺体の移送と安置
 ついこの間までは病院で亡くなった遺体は自宅へ移送され、自宅に安置されていました。枕元には枕飾りが施され、遺体は自宅で布団に安置されたものです。
 葬式はたとえ自宅ではなく寺院の斎場で行うにしろ、いったんは死者の生活空間である自宅に還し、一晩だけでも布団に寝かせたものです。

 病院から自宅に寝台車で移送することを霊柩運送業者の隠語で「宅送」と言っていました。
 その「宅送」が少なくなったと耳にしたのは2000年頃の話です。私が耳にするより早く、95年頃からその現象は始まっていたのかもしれません。自宅安置がなくなったのは都市部も郡部も時差があまりなく、私の印象では全国一斉に、しかも急激に少なくなったという印象があるのです。

 斎場競争が激化し、各地に斎場(葬儀会館)が建設されて普及した時期と時間的には一致しますから、その影響は確かにあるのでしょう。
 知り合いの葬祭業者に聞くと「マンション等が増え、自宅に遺体を安置するスペースがない家が多いから」とのことですが、その頃急激に住宅事情が変わったわけではないですから不思議に思いました。
 斎場(葬儀会館)という自宅に代わる選択肢ができたという事実は大きいでしょうが、死が高齢者のものという観念が大きくなっていましたから、これは高齢者の家庭における位置の変化とも関係するのではないかと想像しました。

 高齢者はその最後は家庭から病院へと送られ、家庭の中には既にその高齢者の居場所がなくなっているのではないか。つまり帰るべき家が変貌しているのではないか、と考えたわけです。
 いまではもう一つの原因をあげることができます。高齢者の過半数が1人世帯または2人世帯で占められています。昔の「家庭」という言葉がもっていた温かな雰囲気が消え去り、支え手のいない孤立した高齢者の家庭状況が見えてきます。高齢者にとっては家庭は生活の拠点という位置づけを失っているのです。
 たとえ三世代家族であっても各世帯構成員の部屋は区切られ、高齢者の部屋も区切られています。家族が亡くなったからといって、一時的に区切りを外し、日常の生活空間とは別な空間をあえてつくろうとは思わないのです。そんな大変なことをしなくてもよい斎場(葬儀会館)という代替施設ができたのですから。また、火葬場には遺体の保管設備があり、ここを利用することもできます。

 でも、こんなことでいいのかなと疑問に思います。葬式というのは非日常であったというのは、何よりも大切な家族を喪ったという事実に基づいており、その大切な家族と別れる空間はその死者の生活空間である自宅でなくてはならなかったはずなのです。
 それが日常の生活空間を葬式という数日間であっても崩すの嫌さに、自宅に死者を戻さないというのはどこかおかしいように思えるのです。

 しかし、この「宅送」がなくなったのと呼応して、斎場(葬儀会館)に求める機能が異なってきたことは注目すべきでしょう。斎場は「式場」としての空間から自宅代替施設としての機能を求められるようになったのです。それまでは式場の添え物だった遺族控室が主役に踊り出んばかりの勢いです。
 いささか極端に言えば、80年代から90年代までの斎場(葬儀会館)は「フューネラルホール」でしたが、2000年以降のそれは「フューネラルホーム」に変質したことになります。
 家庭の昔もっていた暖かな雰囲気がいま斎場(葬儀会館)に求められるようになっているのです。あるいは24時間経過しないと火葬できないための一時遺体保管設備としての需要です。

■枕経と前葬儀
 最近姿を消しつつあるのが枕経です。檀那寺をもたない家では死者を安置して枕経を勤めることがありません。
 本来、檀那寺あるいは親しくしている宗教者がいれば真っ先に、葬儀社よりも早く連絡するものでした。宗教者が来る以前は葬式のことは何も決まらないものでした。

 ところが最近では、親しくしている宗教者よりも先に葬儀社を手配し、そこで通夜・葬式・火葬の日程を決めてしまい、後から宗教者に連絡するという、順序が逆になっています。
 本来は、安置したらまず枕経(キリスト教では祈り)の時をもちます。この時遺族は皆遺体の周囲に着の身着のままで集まり、読経(祈り)に合わせて死者と対峙します。
 この死者と正面から向き合って対峙する時間というのが重要なのです。ここで静かに死者と向き合うのです。宗教の有無はその人の考えによりますが、家族の死という極限状況にあって、人間の想いを超えた働きに想いを致すことはとても大切なことです。
 
宗教者も同様です。慣習として勤めるのではなく、遺族の想いを真剣に受け止めて、死者と対峙し、読経(祈り)を勤めるのでなければなりません。
 枕経を終えたら、宗教者は遺族に向き合って、遺族の死者への想いを聴き取ります。宗教者が遺族の想いに耳を傾けてくれた時、遺族はこの宗教者に葬式を委ねようと心に決めるのです。
 そして遺族、宗教者それに葬儀社が加わり、死者のための葬式がどうあったらいいか相談します。

 私は枕経(祈り)から始まる遺族、宗教者、葬儀社の話し合いの時間を「前葬儀」と名づけています。葬式に関与する主要な人間が顔を合わせ、死者のためにどう弔うのが最もいいかを打ち合わせる。このことなしにいい葬式はできないと思うのです。
 葬式において主役は死者であり、弔いの主体は遺族であり、宗教者、葬儀社はそれをサポートする重要な役割を担っています。このそれぞれの役割を確認し、死者の意思を生かし、遺族の想いを生かした葬式を実現することが宗教者、葬儀社の役割であると思うのです。

 打ち合わせが遺族と葬儀社だけで行われるとき、重要な役割を担う宗教者が不在というだけではなく、善良な第三者の役割を果たす宗教者を欠いて、打ち合わせはどうしても葬儀社が主導になりがちです。その結果、遺族は自分たちが弔いの主体であることを忘れ、単なる「しなくてはいけない儀礼」にお客さんとして参加するようになります。
 葬式を意味あるものにするには、この「前葬儀」が不可欠なのです。

■納棺
 納棺という作業は、遺族、宗教者が立ち会いの下で行われるべきものです。
 遺族にとってはこれも厳粛な死の事実の確認作業となります。
 納棺というのは葬りための準備に入るということです。いやがおうでも死者であることを確認することになります。

 同時に家族がゆっくりと死者に相対し、別れるための時間です。
 もちろん火葬する前は遺体と別れる時間は、取ろうとすればいくらでもとることができます。事実、遺族の中には遺体の傍から片時も離れないで過ごす人もいます。しかし、そうしない遺族もいます。納棺というのは、そうした接しようとしない遺族にも遺体と相対することを強制する行為です。

 また、家族に青少年がいる場合、死者に相対することはどういうことか、家族が死ぬということは身をもって体験する機会となります。
 この納棺の時というのは家族だけに閉ざされた時間であり、空間としてあります。遺族の死者に対する生な感情の発露も許されています。また、時間も区切られてはいません。
 この時間は儀式としての体裁よりも遺族の生な遺体との対面、別れの時間として用いたほうがよいでしょう。

 私の個人的な体験としては、まだ若い子どもたちに、一人ひとりが死んだ彼らの祖父の顔に両手をあて、別れるように促しました。そして最後の時間は配偶者である私の母を一人にして、心おきなく別れるために配慮しました。
 葬式にはこうした遺族だけの時間が必要なのです。


3.通夜・葬儀・火葬

■通夜
 最近、宗教者の間に「通夜と葬儀は同じようなことを2度やることになっている」という意見が聞かれるようになりました。
 最近の葬式を見るかぎり、通夜と葬儀はどう違うのかという疑問が起きてもしかたがないありさまです。
 現代の違いは、通夜は夜に行われ、葬儀は昼に行われるもの、という以上に外見的な差がありません。
 無論、禅宗の葬儀の内容を見ればその差は歴然としています。だが、これを一般が理解することは困難なことでしょう。

 本来から言えば、通夜はプライベートな空間であり、公けの空間としては葬儀です。
 さらに言うならば、通夜は1日とは限定されないものでありました。ましてや夜間の1〜2時間に限定されるものではありませんでした。葬儀が行われる前の段階が通夜です。これを「逮夜」と理解すれば葬儀の前夜になります。言うならばイヴです。通夜の中でもとりわけ葬り(土葬または埋葬)の前夜は、遺体との最後の別れになるので重要視され、「通夜」と言えば葬儀の前夜のことを意味するようになったのでしょう。

 そして葬儀とは葬りまたは葬りのための儀式のことです。
 通夜とは葬りの前夜に遺族が遺体と過ごす時間のことであって、儀式は重要視されていませんでした。ですから本来は親しい者が参加し、一般の人間は通夜ではなく葬儀に弔問したものです。
 決定的に違うのは死者の扱いです。通夜までは死者を生者と死者の境界線に置いていました。どちらかと言えば生者として扱いました。死者に対しては生きている者同様に扱い、接したのです。
 これは充分に理由のあることです。遺族が死を受け容れるための猶予時間を設けたのだと考えることができます。
 
これは遺族の心理を考えればわかることです。たとえ医師に死亡を宣告されても、その死を現実のものとしては、「はいそうですか」とは簡単に納得できない、受け容れることが困難な作業だからです。
 葬儀を死後数日間で慌しく行うのは、遺体が腐敗するからです。腐敗した遺体を目にすることは遺体の尊厳が傷つけられる想いがするので、遺族は焦って葬式を行おうとするのです。しかし、その数日間という短い範囲であっても一日でも余裕があるほうが遺族の心理には適うのです。
エンバーミングはまだ施設の普及率が低いですが、遺族がゆとりをもって死者と別れることができるためには、もっと真剣に考えられていいことです(エンバーミングはIFSA(日本遺体衛生保全協会)の自主基準を遵守されれば合法であるとの司法判断も出ており、また、日本人技術者の養成も進んでいて、そのうえ施設費用も初期の6分の1程度まで安くなっています。1事業者で難しいならば、地域で共同センターをつくり、相互利用することも考えられます)。

 通夜までの間は完全な死者とは見なしていない、というのが日本人の旧来の観念です。したがって通夜に授戒することは間違いではないと思います。本来は生前に授戒し、仏の弟子とすればいいのですが、いわば駆け込みで仏の弟子にするのですから、まだ生者として扱っている間に授戒し、仏の弟子にしようというものだからです。

 いまは通夜と告別式の性格が判然としなくなっていますが、通夜と葬儀とは本当は厳然と性格の違う空間だったのです。
 ですから、かつては通夜には僧侶がいないこともありましたし、いても日常の黒衣で出ていました。戦後になっても葬儀社は通夜は設定だけして帰りました。通夜に弔問するのはよほど親しかった人のみとされ、通夜に弔問する時は喪服ではなく平服で、とも言われましたし、香典は通夜ではなく葬儀に持ち寄るものとされていました。通夜には遺族ですら平服だったのです。

 これが崩れたのは60年代以降のことでしょう。通夜に弔問する人が多くなり、これと区別し、本来の近親者だけで営むものを「仮通夜」と称するようになったあたりからのことでしょう。何のことはありません。「仮通夜」と言われるものが本来の通夜で、「通夜」と言われて案内されるのは、告別式あるいは葬儀の前夜祭となったからです。

 それでも通夜の参列者数は葬儀の参列者数を下回るのが通例でした。
それが明確に変わったのは95年以降のことです。通夜の参列者数が葬儀の参列者数を圧倒するようになったのです。それに伴い「通夜式」などという奇妙奇天烈な言葉さえ一部で用いられるようになりました。「通夜」と「式」とは本来どうしても結びつかない言葉です。

 ここにきてはっきり言うことができます。「通夜は変質し、告別式になった」と。ですから言葉の翻訳が必要になりました。「通夜」は辞書にあるように「死者を葬る前に遺体を守って一夜を明かすこと」(岩波国語辞典)ではなく、「夜に行われる告別式のこと」と解すべきようです。言葉の定義は別として実態は明らかに変容しています。

 一般には通夜は夜の告別式という体裁になってしまいましたが、しかし、遺族にとっては原義は生きています。遺族にとっては依然として「遺体と別れるための最後の夜」であるのです。
 一般の人にとっての通夜と遺族にとっての通夜が乖離しているのです。遺族にとっては遺体との惜別の複雑な一夜なのですが、その前に告別式を行い、さまざまな人の弔問に応対しなければならない、非常に肉体的かつ精神的に疲労する一夜としてあるのです。

■遺体葬と骨葬
 東北地方を始めとして葬儀に先立って火葬をする地域は少なくありません。これを、葬儀を遺骨にしてから行うので「骨葬」と言います。
 それに対して葬儀をして火葬をする流れには正式な名前はありません。ここでは仮に「遺体葬」と名づけます。

 遺体葬と骨葬は地域によって異なっていますから地域の風習と言うことができます。しかし、この差はそんなに昔からあったものではないようです。
 そもそも葬儀は埋葬(土葬)や火葬に先立って行われた儀礼であるように思われます。例えば引導の所作が松明に火を点ずる所作を象徴しているように、古くは埋葬地あるいは火葬場で行われたものであったのでしょう。

 米国でもこれは同様です。土葬が多いですが、墓地にて葬儀(フューネラルサービス)は執り行われていました(現在はフューネラルホームのチャペルで葬儀が行われ、一般の会葬者はその前に告別に訪れる)。
 おそらく骨葬と遺体葬との違いは、葬式の最後をどこに見るかで異なってきたのでしょう。
 日本でも火葬は古くからあったものの、主流は土葬でした。土葬、火葬という遺体処理を最終局面であると理解するならば、それに先立って葬儀が行われる、いわゆる遺体葬が原型でしょう。
 ですが、遺体処理の最終局面を墓に埋蔵することと理解するならば変わってきます。

 元々土葬であった地域も元は遺体葬でした。「遺体処理(土葬)=墓への埋蔵」であったからです。ですが火葬が導入されることにより「遺体処理(火葬)≠墓への埋蔵」と2つが分離することになりました。そこで「墓への埋蔵」を最終局面と理解することにした地域の人は、骨葬を選択したのではないだろうかと思います。  ですから骨葬の原型は、通夜の翌朝に出棺し、火葬場へ行き、そして午後から葬儀を行い、その足で納骨する、という流れです。その後、地域によっては火葬すれば腐るという心配はないから、と火葬の日と葬儀の日を分離したりといろいろなバリエーションが出てきます。その結果、中には火葬を先に済ませ、後日葬儀を設定し、その葬儀の前夜を「通夜」とする地域もあります。

 現在の日本は、火葬率が99・9%という火葬の最先進国です。遺体処理=火葬と理解されるようになりましたが、かつてはそうではなかったのです。
 ちなみに米国はかつては土葬がほとんどでしたが、いま火葬率が急激に上昇しています。中国、韓国もそうですし、火葬化はいまや国際的な潮流となっています。
■葬儀と告別式
 葬儀と告別式が一般に同時並行に営まれることになったのは60年代以降のことでしょう。
 死者をあの世に送る宗教儀礼を本質とする葬儀と一般の会葬を受ける社会儀礼を本質とする告別式とは本来機能が異なるものです。

 いまでは祭壇は通夜から飾られていますが、それは通夜が夜間告別式を本質とするよう変質したのですから当然のことと言えるでしょう。しかし、本来は、祭壇は葬列から転じた告別式用装飾壇として発達したものです。
 祭壇が宗教儀礼の舞台から死者の追憶の舞台に変化している、と言われますが、祭壇の出自が、葬儀ではなく告別式の装飾壇であることを考えれば不思議なことではありません。いま祭壇が宮型の輿から生花祭壇にと主流が変化しています。しかし、これも一時的な現象でしょう。告別用のものであるならば時代の風潮に合わせて変わる運命にあるのです。

 60年代の葬式の変化は記憶にとどめておくべきでしょう。
@ 祭壇が大型化した。
A 会葬者の枠が広がり、本来故人とは交流のない人まで会葬するようになった。
B 葬儀と告別式が時間合理化のために並行作業となり、「葬儀・告別式」が発生した。
C 葬式のサポート役が地域社会から葬祭業者の手に渡った。

 2000年以降、この「葬儀・告別式」が変わりました。
会葬者は葬儀と同時に行われる告別式に会葬するのではなく、通夜に会葬し、葬儀は遺族、親戚、関係者だけのものになろうとしています。東京を例にとれば、会葬者の割合は通夜7対葬儀3です。ここまで極端ではないにしろ、地方でもこの傾向は進んでいます。ここで「葬儀・告別式」という言葉は死語の仲間入りを始めたと言えるでしょう。
 これからはいっそう次のように言葉を変えたらいいでしょう。
「23日18時、通夜・告別式、24日10時、葬儀」
と。このほうが正直に実態を表現するものとなります。

 ちなみに最近知名人の間で密葬―お別れ会というパターンが流行していますが、このときの新聞記事が気になります。「告別式は近親者で済ませた。後日お別れの会の開催を予定」となっていますが、密葬ならそもそも告別式はないわけです。したがって「葬儀は近親者で済ませた。後日お別れの会の開催を予定」と書くべきです。最近の葬式の変化に新聞社も追いついていなく、誤って記述している一例です。

■葬儀
 葬儀の意味は、死者を彼岸に、あの世へ移行させることです。成仏させる、浄土へ送る、神に委ねる、等々という表現はそのことを表しています。生者の世界から死者の世界へ移すということです。
 元来は前述したように埋葬や火葬という遺体処理の直前に行った儀礼ですから、身体(遺体)を葬るに際して魂、霊魂もあの世に送るのが葬儀の本義であるのです。

 いまでは通夜が告別式化し、葬儀は告別式といった社会儀礼から切り離されたのですから、遺族・関係者は、ここでは宗教者の行う儀礼に心を合わせ、死者を送ることに専心すべきなのです。
 これまでの葬儀・告別式の余波で、葬儀のとき遺族席が前方で会葬者側を向いて設定されている事例を見ることがありますが、これは本来おかしなことです。遺族が死者の送り手の主体なのですから、僧侶の後部で本尊、遺体を前に向いて葬儀は行われるべきなのです。
 葬儀を行うことにより、遺族・故人の関係者は、死者を心の中で送り、心の中で区切りをつけるのです。

 この「区切りをつける」とは、死者を忘れることではけっしてありません。むしろ死者を大切な家族として、あるいは大切な友人として、心の中へと取り込むことなのです。
 無宗教のお別れ会で盛んに行われるのは故人の思い出話です。これは思い出話をすることによって死者を諦め、心の中へ必死に取り込もうとする試みなのです。そうであると理解すれば、お別れ会は特定の宗教儀礼にはよらないが立派な葬儀なのです。

■火葬
 葬儀と火葬は違うものではなく、本来ペアなのです。葬儀で故人と心の中で別れ、あの世に送り出し、火葬で肉体をもった死者の遺体を処理し骨とすることだからです。
 僧侶の中に葬儀だけして火葬に立ち会わないケースがあり、遺族の不興を買うことがあります。本来的に葬儀と火葬はペアなのですから、宗教者が火葬に立ち会うのは当然のことなのです。

 火葬の前に遺族の心は泡立ちます。すごく落ち着かない気持ちになります。ですから出棺を前にして棺を開け、死者と最後の対面をするときは、しばしば愁嘆場となります。でもいやがおうでも死者の肉体とは別れなければならないのです。
 火葬場では昔は喪主に点火させるところが少なくありませんでした。それはなぜか。喪主に代表される遺族に自らの手で死者への断念を強いたものだったのでしょう。いまでは、それは残酷であるとか、また、そもそも火葬施設のシステムが変更されたために見ることはなくなりましたが、理由がないことではないのです。

■拾骨
 骨上げと言われる拾骨ですが、これを「収骨」と書き表す火葬場が多いのですが、それは骨壷に収めるという意味になります。私は火葬された遺骨を遺族が遺骨を拾い上げ、その葬りが終わったことを確認することが重要であると考えるので「拾骨」と表記すべきだろうと考えています。
 関西では一部拾骨、関東では全部拾骨と拾骨の慣習は異なります。いずれにしろ葬りの終了を確認する作業です。

 観察して不思議なのは、火葬炉に入れるまでは重い雰囲気が遺族の間にあったのに、火葬が終了した後には軽やかな雰囲気が感じられることが多いことです。遺体への執着が解き放たれてのことなのかもしれません。
 しかし、遺族のグリーフ(死別の悲嘆)は、忙しくしていた葬式の場から離れ、自宅に落ち着いたときから徐々に自覚されるようになるのです。
 葬式は遺族のグリーフワークの始まりであるのですが、心理的な痛手の痛感は葬式の後から本格化するのです。

【おわりに】
 ここで最後に現在進む葬式の合理化に苦言を呈しておきます。それは初七日のことです。骨葬のケースは別にして遺体葬の場合、火葬場への出棺を前に葬儀に引き続いて初七日の法要をしてしまうことです。
 これまでも繰り上げ初七日はありました。しかし、それは火葬が済んだ後に行われていました。それが火葬の前に行われるケースが出てきたのです。
 葬儀社の都合なのか、火葬場へ同行できない僧侶の都合なのか、火葬後はレストランで骨を休めたい遺族の都合なのかわかりませんが、これはないでしょう。
 初七日から始まる四十九日までのことは葬式後の喪の作業としてあるのです。
 家族葬に代表されるように、葬儀が遺族の手に戻り、より人間的なものになるのは理解できます。しかし、葬儀に連続した初七日は悪しき合理化でしかありません。

 葬式は90年以降、ほぼ5年おきに変貌するという激しい変革期にあります。
 たとえば平均会葬者数は90年と05年とを比較すると、280名(セキセー調査)から半減以下の132名にまで減少しています。
 95年頃に登場した新しい様式は「家族葬」と「自由葬」ですが、家族葬は完全に市民権を得たのに対し、「自由葬」はそこにまで至っていません。しかし、後10年するとこれはわかりません。既に東京では檀那寺をもたない宗教的浮動層が4割以上を占め、いまのところは、多くは「とりあえず」仏教を選択していますが、これが「仏教やめた」と言う時代がいつくるかわかりません。団塊世代が本格的に高齢者の仲間入りすることによって、これまでにない変化が予想されます。

 葬式の個性化が進んだ結果、いまやメモリアルコーナーは葬式の一般的な風景となろうとしています。
 しかし、これも見た目のよさではなく、遺族が葬式に主体的に参加するための道具、つまり故人との思い出を遺族自ら確認するために、遺族が写真選びを行うのでなければ、意味がありません。
 これからの葬式で確認すべきは死者の尊厳と遺族のグリーフへの配慮でしょう。




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