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碑文谷創( 2005.3) 

1.死の問題の多様性と死別の文化
2.死因で見る死の多様化
3.死の概念の変化
4.死の判定―心臓死と脳死
5.デス・ケアという視点

1.死の問題の多様性と死別の文化

 今日「死の問題」は多様である。
 高齢者にとっては第2次世界大戦という戦争による大量死の記憶がいまだに鮮明であろう。原爆や空襲による被災だけではない。多くの日本の青年が好むと好まざるをえなく、殺される側にも、人を殺す側にも立った。そして今なおアフガン、パレスチナ、イラク…と戦争は止むことなく、殺す者と殺される者を生み出し続けている。怨嗟の声が渦巻いている。

 戦後日本は、貧しい生活を体験した後、朝鮮戦争以降は高度経済成長を謳歌し、太平の中にあった。だが、その日常が死と隣り合わせになっていることを民族体験として知らされたのは、6千人を超える死者を出した1995年の阪神・淡路大震災であったろう。2004年から2005年にかけて大水害、新潟県中越地震、30万人を超える死者・行方不明者を出したスマトラ島沖地震・インド洋大津波…自然の猛威の前にいのち、暮らしがいかに脆くあるかを思い知らされた。アフリカではいまだに餓死で死ぬ子どもが少なくない。
 また、国内では1995年3月20日の宗教的狂信による暴発であるオウムの地下鉄サリン事件があり、国際的には政治的宗教的民族的対立を背景とする2001年の9・11米国同時多発テロ…無差別大量殺戮というテロ、そして無数の小規模テロが勃発し、無関係な民衆が死に巻き込まれるという解決の見えない事態もある。人間の生死が個々の価値を無視され、道具として扱われている。

 その一方で1980年代から「尊厳死」についての話題も賑わすようになった。日本だけではない。アメリカ、オランダ等近代国家でかつ高度医療がもたらす死の問題である。がん等の末期患者への延命治療の是非の問題から、ターミナルケアの見直し、在宅ホスピスの普及へと話は展開している。

 救命医療の進歩は著しく、その結果、かつては死を免れた人が生き延びる一方、脳死状態の患者、植物状態の患者が生み出され、死の境界線が見えにくい状況を引き起こしている。臓器移植はそれ以外の治療法のない患者にとっては福音であるが、他方で先端医療は人間としての倫理の限界線を踏み越そうとしている。医療の高度化と専門性の前で普通の人間のいのちが翻弄されている。
 アフリカやアジアでは乳幼児の死亡率が依然として高い状況にある。

 日本では第2次大戦後急速に保健・医療環境が改善し、乳幼児死亡率の激減と長寿化を達成、北欧を追い越し、未曾有の高齢社会を実現した。それは他方で要介護の高齢者の大量出現であり、病院や施設での死の増加となって現れている。

 他方で「自死」は2000年以降、年間3万人という高水準で推移している。縊首、飛び降り、薬物等の手段により、1日に平均して80人以上が死んでいる計算になる。この数字は「日常」という名の戦場で、終わることのない戦死者が日々誕生しているようなものである。経済不況を背景とした中高年男性の自死、鬱病等の心の病の結果としての自死、そして最近ではネットで仲間を募っての集団死がある。
 こうした特別な死だけがあるのではない。多くの名も知れぬ普通の死が日常化している。31秒に1人、1日平均2805人、年間102万4千人(2004年人口動態年間推計)が死んでいる。死者一人につき家族や親しくしていた人が10人いたとしたら年間1千万の人が、おそらくもっと多くの人が身近な者の死を体験していることになる。

 亡くなる者、死者だけに死はあるのではない。それを看取る者も死を体験する。死にゆく者、それを看取る者、その双方に無数の死の物語がある。そこにはリアルな死がある。
 日本人の死亡率は年間では対千人比で8・1である。だが一人の生涯でいえば、間違いなく100%である。その過程や事情はさまざまであるが、死を免れる者はいない。誰のいのちも有限であり終期がある。その意味では平等であるが、その死に方は突然の災害死をもちだすまでもなく、さまざまであり不平等である。

 このさまざまな死を受けとめる文化装置として、人類は、民族や宗教によりさまざまに形態を異にするが、有史以来葬送文化を形成してきた。日本人もまた死別の文化として葬送文化を形成してきたのである。
 死別の文化を形成してきたのは、死者に対する愛惜はもちろんのこと、かけがえのない家族の一員を喪失したことによる悲嘆であり、家族を喪失したことによる将来への不安等が死によってもたらされるからである。また、死者を埋葬するという物理的な処理、死者なき後の家族が生きる社会との新しい関係づけを必要としたからである。

 だが、この死別の文化としての葬送文化がいま大きな揺らぎの中にある。機能不全になりつつあるのではないだろうかという危惧がある。それは死というものが大きく様相を異にしてきているからである。そしてその背景にあるのは家族の変化、医療の進歩である。
 「多様化」「自由化」「個人化」の名の下に、日本人の死を受け止める文化装置である葬式は、いま社会的コンセンサスを急速に失いつつある。葬式は地域文化と密接に絡んで展開してきたものだから、北海道から沖縄までの長い日本では地域特性が強く残っている。その変化も一様ではない。

 葬儀というのは習慣や宗教との関係が強いものであるから、もっとも変わりにくいものと見なされてきた。事実、地方の山間部には土葬が残されていたり、野辺の送りとしての葬列の風景がいまだに生きていたりする。それは地域コミュニティを中心とした懇切丁寧な葬送であった。だが、こうした風景は、時代に合わないとして簡略化が押し進められ、現代日本では極めて例外的なものとなってしまっている。
 現在葬儀に関してはかなりの変化と多様化が見られる。その変化の一つに「お別れ会」の流行がある。これは歴史的にとらえるならば告別式の独立形態といえる。大正期に「告別式」が登場してきたとき、当時の僧侶はそれを「耶蘇っぽい言葉だ」と言ったそうである。今は「告別式」という言葉自体が古くなって「お別れ会」と言い換えられる時代になった。

 元来、日本(とは必ずしも限定できないが)の葬儀は、コミュニティ(地域共同体)が中心となって行うところに特徴があった。しかし、今日では急速に葬儀の担い手が個人化してきている。それに伴い葬儀にもかなりその人らしさ、個性が現れるように変わってきている。
 昔「葬儀のことはわからなかったら年寄りに聞け」と言われたものである。しかし、都市部(何も東京や大阪近辺の話ではない)においては、高齢者さえも葬儀のことがわからなくなってきている。

 最近よく公民館や消費生活センターから葬儀や墓についての講演を依頼されるのだが、ここには高齢者が多く集まる。60代・70代の方が中心で、その人たちは自分の葬儀について聞きたくて来ている。その人たちに葬儀について聞くと、ほとんど知らない。昔と違って、今の高齢者は、特に80歳未満の人は「戦後派」なのである。戦後、都市化で多くの人が地方から都会に来たが、若い時に都会に出たものだから地方の習俗についてもよく知らない。都会に出てくれば近所のお葬式を手伝うでもない。手伝うといっても受付くらい。ほとんどは焼香に参加するだけだから、ある意味、わからなくて当然なのである。

 1960年代から70年代にかけて、ちょうど「核家族化」が進行した頃、日本の葬儀は大きく変化した。葬儀の運営の中心はコミュニティから葬祭業者に替わり、共同体の中で伝承されてきたさまざまな習俗がそこでぷっつり切れてしまった。担い手が葬祭業者となり、葬儀の習俗は、葬祭業者から教えられて、遺族は消費者として行動する形になった。90年代の中期以降、「家族の分散化」が進む中で、葬儀の個人化が加速度的に進み、従来片隅で営まれていた密葬が「家族葬」という名で市民権を得るなどしてさらなる変化をしようとしている。いまもう一つ特筆すべきは地方の葬儀習俗の急激な衰退であろう。葬儀の場所が斎場(葬儀会館)に移動することにより地域コミュニティの葬儀から葬祭業者の手になる葬儀への移行が急激に進んでいることである。

2.死因で見る死の多様化

 死亡原因は、03年の人口動態月報年計で見ると、表1のようになっている。
 (表1)死因
    (1)悪性新生物  309,465人
    (2)心疾患    159,406人
    (3)脳血管疾患  132,044人
    (4)肺炎      94,900人
    (5)不慮の事故   38,688人
    (6)自殺      32,082人
    (7)老衰     23,446人

 悪性新生物(がん)が約30%で依然トップである。3人に1人近くががんで亡くなっている勘定となる。一時は不治の病と恐れられたが、早期発見による治癒率も向上している。まだまだ問題はあるが、一時に比べれば、医師と患者の関係ではインフォームド・コンセント(説明と同意)も改善されているし、末期ケアのあり方についても患者・家族の選択肢が拡がっている。

 自己決定の伴う「尊厳死」が問われるようになったきっかけは、末期がん患者の延命治療の是非の問題であった。患者の生命の質を問わない、むしろ犠牲とした延命優先主義の見直しであった。医療関係者の努力や世論の高まりを背景にして、患者自身の生活の質とバランスのとれた治療やケアがなされるようになってきたのは評価できる。だが、他方では患者の治療選択権という名の医師の専門家としての治療放棄もまた生まれている。もう一つは、この「尊厳死」が一人歩きしてしまう危険性である。知的障害者、脳障害者の人格や生存権の否定にまでいきかねないとすると、どこかで歯止めが必要であるように考えられる。
 がんによる死亡者が多いが、末期の場合それは「予告された死」という特徴をもっている。告知された本人が、その告知による予告をどのように受け取るかという問題がある。

 キューブラー・ロスがその過程を「否認と孤立」―「怒り」―「取り引き」―「抑鬱」―「受容」ととらえた。ターミナルケアのあり方も、身体的苦痛、精神的苦痛に対処するだけではなく、もっと根源的ないのちのありようという宗教的要素も加えた「スピリチュアル・ケア」の必要性が提唱されるまでになってきている。
 また、残る限定された時間、日をどのように過ごし、後に残る家族にどういう想いを託そうとするのかという問題がある。
 それだけではない。家族も死の予告に立ち向かわなければならない。ホスピス・ケアが、死にゆく患者本人へのケアに留まらず、それを看護し、患者本人の死後も遺される家族に対するケアも課題としてきている。
 後期高齢者の場合、加齢もあり、そのターミナルはがんの手術による治療・延命というよりは、がんとの共生による穏やかな死という選択が多く、本人も家族もそれを希望することが多い。だがそうでない場合の末期がん患者本人とその家族の葛藤は深い。

 死因の2番目と3番目にある心疾患や脳血管疾患は、他の病気で療養していたが末期に疾患が訪れるということもあるが、しばしば突然に発症する。脳血管疾患による死の6割は脳梗塞であり、心疾患による死の3割は急性心筋梗塞である。本人にとっては突然のことであり、家族も動揺の中、数日間看護するだけで死を迎えるということがある。
 死因の5番目の「不慮の事故」の場合も長期の療養ということもあるが、その多くは突然である。
 こうした突然の「予期されない死」の場合、家族はショックのため現実感覚を失うことが多い。事故等の被害者になった場合には加害者に対する怒りとなって現象する。「予期されない死」を受け入れるためには原因・理由がなければならない。それが持病や加齢のためであれば納得もしやすいが、理由が不明な場合には、周囲の健康管理方法であるとか「犯人捜し」が始まる。それが他の家族に向けられたり、家族自身の自責となって現れることも少なくない。

 6番目の自殺は、年間死者が3万人を突破して以来新聞でも大きく取り扱われてきた。10代での死因のトップは不慮の事故で2位が自殺、20代・30代ではトップが自殺となっている。40代でもトップは悪性新生物であるが2位に自殺がきている。老年期の自殺も少なくない。特に目を惹くのは、中高年男性の自殺が増えたことである。バブル景気崩壊後の不況、それに伴う社会心理的混乱等に起因して精神的疾病が発症したためと推定されている。現代は大変なストレス社会なため鬱病が多くなっている。自殺者の8割以上は鬱病と関係していると推定されている。
 自殺というのは一見極めて意思的な行為に見られがちである。自分の生死の自己決定の最たるものと考えられがちである。しかし、自殺のほとんどが、その人が意思的に選んだ結果ではないと思われる。社会的要因、人間関係要因、精神的要因で追い込められ心的に病を発症した結果、自殺に至るというのがそのほとんどではないだろうか。欝病に至るにはさまざまな要因があるだろう。だが欝病になると視野狭窄をもたらし、死以外の生の選択肢を本人から奪いがちである。

 これまで統計だから「自殺」という表現を用いたが、私は自殺でなく「自死」という言葉を用いる。「自殺」という言葉は「自分を殺害する」という意味であるから、倫理的に悪であることを無意識に前提とした言葉である。だから「自殺はいいか、悪いか」という倫理の問題として論じられることがしばしばあるが、そう見ると問題は逸れてしまうように思う。自死という不自然な手段を採るが、その実態は心的疾患に起因する病死に等しい。
 だが他方、自死が遺族に与える傷は深い。家族から言い訳を奪う。病気による死の場合は病気に原因を、事故の場合には石や車に原因を求めることができる。それぞれ死の受容は容易ではないものの、原因を死者以外に向けることができる。自死はそれが困難である。そのため家族が自らを苛み傷つく可能性が極めて高い。自死遺族の一人は「急に足元の地面が消えた感じ」とその衝撃を語る。

 死因のあれこれを考えると私は思う。人間の身体、心は脆い存在であると。死と隣り合わせなのだと思わざるをえない。

3.死の概念の変化

 65歳以上の人口が全体に占める割合を高齢化率という。2005年1月現在の概算値は19・6%となっている。地方によっては過疎化が進み、都市部に比べて高齢化率が高くなる。よく「高齢化社会」というが、この「化」が取れて、すでに日本は「高齢社会」となっている。
 65歳以上の死が全体に占める割合は80・7%(03年)である。死亡者の5人中4人が高齢者である。特に80歳以上が46・2%で、今この80歳以上の死亡者の比率が高齢化に合わせてどんどん高まっているのが特徴である。

 このことはあたりまえのように思うかもしれない。「年寄りが死ぬのが最も多くて何が不思議なの」と思うだろうが、これは日本の長い歴史を見れば最近のことなのである。昭和の初期の頃は80歳以上で亡くなる人は全体の3〜5%というところであり10%を超えることはなかった。
 今は子供が成長し、少年期、青年期、成年期、壮年期、老年期があって、そしてその先に死がある―と理解されている。いまは老年期も65歳から75歳未満の「元気な」前期高齢者と75歳以上の「介護を必要とする」後期高齢者に区分されるようになった。しかし昔の場合は、必ずしも人生計画の最後である老年期に達した後に死があると理解されていたわけではない。もし老年期までを人間の生全体として考えるならば、過去の日本人の多くは最終期まで到達しない「途中での死」が多かったのである。

 中世来の無常観というのは、簡易にかつ卑属に解釈するならば「死はいつ誰に起こるかわからない」ということであったろう。日本人の伝統的な死の観念というのは老年期の先にあるものではなく、いつ、誰に訪れるかわからないものとして理解されてきた。現実に日本人の死の状況というのは半世紀前まではまさにそういうものであった。
 それゆえ65歳以上の死が8割を超し、かつてはレアケースでしかなかった80歳以上の死が半数近くなることによって、「納得しやすい死」が増えていると言えるだろう。人生の活躍期を終え、「もう歳だから」と本人も家族もどこかで言い訳でき、納得しやすいからである。もちろん高齢者の死も家族に喪失感をもたらす。特に遺された配偶者には喪失感が強い。

 また次のようなこともしばしば見られる。後期高齢者の死の場合、多くの場合、その看護、介護の期間に家族はいずれ来る死を予期していることが多い。この長い予期の期間に気持ちも準備してソフト・ランディングとなるケースが少なくない。現在の高齢者、特に80歳を超えての死に際して行われる葬儀で、重苦しくなく、どこか平穏な雰囲気を感じられることがしばしばあるのは、こうした事情によるだろう。
 逆にいくら高齢者の死が全体の8割を超したとしても、2割近くの死はそうではない。不慮の事故による死者も約4万人。がんによる死が多いことからわかるように、死は高齢者以外にも、突然にも訪れる。しかし、突然の死、あるいは若くての死は、今は例外のケースになるので、そういうものに対する対応力がなくなってきている。これは各個人の覚悟の問題ではなく。死者が出たときに、その遺族をいかに手厚くフォローし、ケアする社会の態勢のことである。そうした葬儀では遺族・関係者の悲痛が露呈される。あるいはその悲哀が遺族の胸に抑え込まれる。

 人生に充実感をもち、充分な長さを生き抜き、健康で病院や施設の世話を受けず、家族にあまり負担をかけることなく、できるだけ自然に死ねたら本人は満足だろう。家族もそれなりに介護や看護ができて静かに看取ることができたら納得しやすいだろう。でもそんなに都合のいい死ばかりではない。
 そもそも人生に充実感をもてるということ自体が難しいし、いい人間関係、いい家族関係を作るのも難しい。どこかに欠けがあるほうが普通だろう。また、長生きしたからいいわけでもないだろう。単に死が、本人の生活の質を無視され、引き延ばされることもある。看護や介護で家族が体力的にも精神的にも疲労困憊に陥ることだってある。あるいは看護や介護する人がいなく尊厳を無視されて施設で飼われるようにして終末期を生きなければいけないこともある。看護も介護もなく「孤独死」するケースもある。
 いい死に方というのは結果としてあっても目的とはできないものだろう。なるがままに人は死ななければならない。それは生き方が自由にならないのと同じことである。

 葬儀の習俗には死穢観念が色濃く反映しているが、それは死をリアリティのあるものとして、どの世代においてもとらえられてきたからということに起因すると私は考えている。確かに、同い年の人が死ぬと死に巻き込まれないように豆を食べて「年違え」するなど、徒に死を怖がっているように思える。だが、そうした俗信、死穢観念の背後には、死がいつくるかわからないという緊張感があったと思われる。かつてと現在の死の状況には大きな違いがあり、現在の死の態様にも大きな問題がある。
 いまは死ぬのは高齢者、死ぬ場所は病院、葬儀の場所も自宅以外の斎場等で行われることが多い。死が生活の中から離れ、別処理化されていっている。葬儀の担い手もかつては地域共同体であったが、これも葬祭業者に替わってきている。管理される死、そして消費される葬儀、これが現代日本の死と葬送の一つの局面である。

4.死の判定―心臓死と脳死

 今、法律的な死の判定は医師によってなされる。死の概念は、これまでは心臓死のみであった。もちろん「心臓死」という言葉も「脳死」という新しい死の概念が登場して、振り返って従来の死の判定法に名づけられたものという(小松美彦『脳死・臓器移植の本当の話』PHP新書)。

 従来の死の判定法、つまり心臓死の判定法は、成文化されたものではないが、医学的には「死の3徴候」として定着していた判定法である。つまり呼吸停止、心拍停止、瞳孔散大・対光反射消失の3つである。
 近代的な医学的死の判定法が確立する以前は、息をしない、心臓が拍動しない、脱力して動かない、冷たくなる…などの生命活動の停止をさまざまな形で観察した結果を「死」としていたのだろう。さらに遺体を置いておけば腐敗を開始し、腐臭を発し、そのうち身体は硬直する。死の瞬間ははっきりしなかったが、死の状態は観察できたというべきなのだろう。中世でも鼻の上に紙をのせて、動かないことで死を確認したというから、呼吸停止が最も顕著な判定法だったのだろう。しかし仮死や蘇生もあったから一定時間観察することは知恵としてあっただろう。
 墓地埋葬法で死亡後24時間以内の火葬または埋葬の禁止をうたったのは、生者埋葬の心配があったからである。現在は死因に疑義が出たときの解明のために遺体が保存されていれば便利であるという犯罪捜査の観点で残っている条項である。

 医学的には定着していた「死の3徴候」による死亡判定(心臓死による判定)に最近「脳死判定」により死亡を判定(脳死による判定)するという方法が加わった。日本では法律的には97年施行の「臓器移植法」による。
 人工呼吸器の新たな開発により、脳死に至っても心臓を動かすことができるようになったことが脳死を生み出した。科学技術の発達がもたらした新しい死である。しかし脳死は誰にでも起こるものではなく、死亡者の1%足らずがその対象ケースとなる。日本では本人の事前意思表示と家族の同意がなければ脳死判定そのものが行われないことになっていて、脳死判定は時間をおいて2回に分けて行われる。「臓器移植術に使用するため」と法律本文に規定されており、脳死が確定した場合、予め申し出ていた範囲の臓器が提供される仕組みとなっている。
 このようにさらっと書くと問題がないように思えるが、個体の死という問題では大きな問題を内包している。

 まず脳死についての経緯を簡単に見てみよう。
 「脳死」と「心臓死」との間に時間的な差異、タイムラグがあるケースについてはすでに19世紀末に知られていた。しかし脳死が問題とされるのは1967年南アフリカでバーナードにより世界最初の心臓移植手術が行われて以来である。
 68年ハーバード大学が「不可逆的昏睡」の定義を発表。(1)刺激に対する無反応性、(2)呼吸停止、(3)反射の消失、(4)脳波の平坦化、を脳死判定基準とした。81年にはアメリカ大統領委員会で「死のガイドライン」が出され、日本でも85年に当時の厚生省研究班がいわゆる「竹内基準」を発表、現在の脳死判定基準の基礎となった。

 日本における脳死の判定は、法律で定める、死亡した者が生存中に臓器移植のための臓器提供ならびに脳死判定を書面で表示しており、家族もそれらを拒まない場合であって、施行規則によれば「原疾患に対して行い得るすべての適切な治療を行った場合であっても回復の可能性がないと認められる者について行う」とされている。但し、6歳未満、急性薬物中毒にある場合、直腸温が摂氏32度以下、代謝性障害または内分泌障害による場合は除く、とされた。

 脳死判定は6時間おいた2回の判定により次の5点の確認をもって行う。
 (1)深昏睡
 (2)瞳孔が固定し、瞳孔径が左右とも4ミリメートル以上
 (3)脳幹反射(対光反射、角膜反射、毛様脊髄反射、眼球頭反射、前庭反射、咽頭反射および咳反射)の消失
 (4)平坦脳波
 (5)自発呼吸の消失

 臓器移植のため以外の場合、あるいは臓器移植を希望していても臨床的脳死と判定されない場合には従来の心臓死によって死が判定される。脳死判定される場合には2回目の判定時刻が死亡時刻とされる。

 次に「脳死をもって人の死といえるか」という問題である。もちろんその前に何をもって人間の死というのかという問題が存在している。脳死は脳という臓器の機能停止にすぎないのではないか。それを人間の「死」としていいのか、という問題である。脳死患者はほとんどが1週間程度、長くても1カ月程度で心臓死に至るとされている。だが例外も数は少ないがある。長期的な慢性脳死患者もいる。するとそれは人間として生きているとは言えないのか。人間とは何か、どういう状態を言うのかという基本問題に深く関わってくる。
 また「脳死とは何か」である。イギリスでは脳幹の機能停止であるが、日本は米国、ドイツ等と同様に全脳死説を採っている。法律には「脳幹を含む全脳の機能が不可逆的に停止」したと判定するとある。
 脳は、基本的生命活動をコントロールする脳幹、その後ろにある身体の運動や行動を微調整し、平衡感覚を微調整する小脳、それを覆う大脳からなる。大脳は食欲、性欲など原始的本能を司る古い大脳と人間特有の高度な運動・知覚・精神活動の場である大脳皮質からなる。(竹内一夫『脳死とは何か』講談社)

 「植物状態」と「脳死」は異なるというのは国際的に一致した見解である。植物状態は大脳皮質の障害で、脳幹そのものは生きている。
 しかし、「植物状態」と「脳死」を正確に区別できる人がどれだけいるだろうか。脳死を死とする見方は脳障害者の人格否定に道を拓くのではないかという危惧がある。これは自己の長期の植物状態を否定する尊厳死宣言(リビング・ウイル)の問題とも関係してくる問題である。
 おそらくこれはいのちを客観的に定位することが困難であり、自分の人間としてのいのちと家族の自分にとっての人間としてのいのちの間にある、確実な距離を意味しているのであろう。自分は植物状態で生きながらえるのは自己の人間としての尊厳を損なうと考え、他方、かけがえのない家族の場合には、万が一の回復の可能性に期待し、あるいはたとえ植物状態であっても生きながらえてほしいと考える。論理的には矛盾するが、人間として不可避な矛盾である。

 脳死問題にはさらにいろいろな問題がある。施行規則で定められた判定基準がはたして適切かという問題がある。脳死状態になっても脊髄は生きているので刺激により上肢、下肢が曲がるような反応が見られることがある。まだまだ脳についてはわからないことが多いのではないか。

 そして「そもそも臓器移植を目的として作り出された死ではないか」ということがある。脳死論議はまさに心臓移植を動機としている。心臓死を待っては不可能な生きた臓器・組織が脳死状態では医学的、薬学的に利用可能にするためではないか、という根本的な医学技術の開発方向への疑問がある。これは死後の善意による他者の生への貢献として脳死後の臓器移植を積極的に肯定する考えがある一方、他方では脳死後の臓器移植を社会がすでに受け入れているアメリカで見られるような、人体の商品化になるのではないかということを危惧する考えがある。
 今、日本では、臓器移植法の改正も議論されている。本人の明示による反対の意思表示がなければ家族の同意だけでよいとか、6歳未満の小児の脳死判定および臓器移植に道を拓こうとするものであるが、これが臓器移植を待つ患者にとって福音なのか、それとも人間としてのいのちを考えると危険な道を拓くものであるのか議論があるところである。

 脳死の問題は先端医療技術の問題である。だからどうでもいいわけではないが、残り99%の大多数の死亡が判定される心臓死の臨床現場も実は危うい問題を孕んでいるように思う。

 昔と異なり、医学は80年代以降大きく発展し、症状によっては延命がある程度(3日、7日、30日)コントロール可能な技術水準にある。そこで家族の意思や医療側の事情で、「死の瞬間」が人為的に操作されるということが現に起きているのではないか。
 適切な医療によって生きながらえ、不適切な医療によって生きるべきいのちが縮減される…と言うことが可能ならば、不適切な医療によって生きながらえ、適切な医療によっていのちが縮減される…と言うこともできる。何を、誰にとって「適切」「不適切」と言うべきか。その基準が曖昧というよりも、関係によって変わってくる。その個々の関係、状況に医療技術者だけではなく、家族も巻き込まれ、判断を迫られている。

 個人的に危惧することは、あまりに医療技術に人間の生が依存しすぎているように思えることである。もっと自然な生と死があっていいように思う。
 高度な延命技術によって数日間生物的生が生き延びることよりも、家族に見守られ、静かに看取られることのほうが人間らしい死とは言えないだろうか。あるいは一時の延命処置により死の猶予が与えられ、家族は死に対する心の備えをする時間が与えられるかもしれない。しかし、それは便宜に思えてならないのだ。人間の生死が医療技術とそれに対する判断で左右されているというのは、いまや現代人が抱える不可避な問題である。だが、これは「進歩」であるかもしれないが「不幸」でもある。

5.デス・ケアという視点

 北米では「葬祭業」のことを近年では「デス・ケア産業」と呼ぶことが多い。人間の死後に関係するサービスの総体を指して言う。
 ホスピスでケアの対象が患者つまり本人だけではなく家族のケアが大きな問題であり、患者本人の死後は遺族となった家族のケアも視野に入れられてきている。同様に、葬祭業においても「死後」だけではなく、本人と家族の生前の関係を引き継いでケアするものでなければならないだろう。とするならば日本においてもデス・ケアという視点で葬祭業のあり方を考えることは重要なものと言えよう。

 北米ではデス・ケアを主として死者本人に対するケアである遺体のケア、つまりエンバーミングと、遺族に対するケアであるグリーフケア、という2つの視点から考える。これは極めて示唆的である。
 葬儀のケアの対象は死者本人とその家族である遺族だからである。この2つのどちらかが欠けても、あるいはどちらかに偏っても葬儀というのは不完全であるように思う。そしてこの2つの主人公は重なり合っているのである。

 葬儀が死者本人のためか、遺族のためか、というのは実は不毛な議論なのである。死者本人のために行われない葬儀は遺族にとっても意味のない葬儀であるからだ。近年の葬儀を巡る混乱の一つの要因は、葬儀を何のために行うか、という自明なことが、必ずしも自明でなくなっていることにあるように思う。

 日本の古来の葬儀にしても、このことは自明かつ明確であった。
 死後の通夜は、遺族関係者は死者に食事を供したり、寝ずに守ったりして、死者にひたすら仕えた。そしてそれは同時に、遺族が死を受け入れるための準備作業であった。
 遺体を浄めるための湯灌は、死者の罪障を浄め、葬りの準備をすることであり、遺族はこのために自ら作業に加わったのである。
 死者の往生、成仏を願う葬儀式は同時に遺族の安心のためでもあった。
 葬儀後、四十九日までは中陰壇で、それ以降は仏壇で、遺族は死者をひたすら供養する。それは同時にそれは遺族のグリーフワークとして営まれた。
 日本の葬儀を見直してみれば、それがひたすら死者のために営まれ、それが同時に家族を喪失して深い悲嘆の中にある遺族のためにも意味深い営みとしてあったことが明確である。

 森岡恭彦(東大医学部名誉教授『死にゆく人のための医療』NHK出版)は、死に至るプロセスを「生物学的死」といい、葬儀を「社会的死」と分類している。だが、それは正確ではない。そもそも医学的死は個体としての死の判定であり、生物細胞としての死は個体の死以前からも発生するし、個体としての死以降も生物細胞はしばらく生きる。さらに医学的死に至るプロセスにおいては本人とその家族の葛藤、看取りがあるのであり、生物学的に留まらない人間的なプロセスとしてある。
 また葬儀という医学的死の後のプロセスを「社会的死」と規定するのも大雑把すぎるように思う。確かに死者の供養・埋葬、死亡届の提出、遺産相続等は法律的には「死後の事務処理」という概念に包摂されるものである。社会的に生きた人間であるから当然にも社会的事務処理が伴う。だが葬儀とそのプロセスは精神的・宗教的・文化的な営みとしてもある。
 医学的な個体の死の判定が点であるのに対して、葬儀は、遺族が死者を弔い、死を受けとめるために時間をかけて営む心的プロセスを内包している。

 だが、死者と遺族にのみ焦点を合わせると、これも従来の日本の葬儀ではない。主要な要素であるがそれだけではない。死者と遺族に限定すれば、それは喪家の個人的な営みであるが、日本の葬儀は、それを運営する者として地域共同体が不可欠の要素としてあったことも記憶しておかなければならない。
 死者・遺族・地域社会…という関係は並列的なものではない。死者を供養する者として遺族がいて、その遺族をケアする存在として地域社会が存在するという構図である。
 それゆえに葬儀には死を社会的に告知するという社会的機能はあるが、地域社会の関わりの最も大きな精神的要素は「共感」なのである。

 そして90年代後半以降特に顕著な日本の葬儀の変化は、地域社会の関係の衰退という点である。勢い社会性を失い、個人化の方向に進まざるをえないのである。
 そして今、死者と遺族を有機的に結びつけていた家族という紐帯、宗教的関係もまたあやふやなものになりつつある。
 葬祭業がデス・ケアのプロフェッショナルであろうとするならば、葬儀の原点を再構築し、葬儀を意味あるものにしていく必要があるだろう。



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