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碑文谷創

 ここでは幅広く、死について宗教的バックグラウンドから論じたもの中から代表的なものを紹介する。

■仏教思想研究会編『死』 仏教思想10、平楽寺書店、1988
 
 「はしがき」で代表者の中村元氏が次のように言っている。
「生は死に裏づけられている。生の裏には死がある。生と死とは、われわれが生きているという事実の、相背反した両面にほかならない。『生を明らめ死を明らむるは仏家一大事の因縁なり』(道元)ということは、仏教全般について言えることだろう。さらにそれは宗教全体について言えることではなかろうか」
 
死をいかに解するか?(中村元)/原始仏典にみる死(藤田宏達)/死と永遠(高崎直道)/生死即涅槃(丹治昭義)/死後の世界(雲井昭善)/中国における死と冥界(中野美代子)/日本人の死生観(相良亨)/鎌倉新仏教における生死観(田村芳朗)/西洋思想における死生観(白木淑夫)/死をめぐっての医学と宗教(川畑愛義)/「死」の覚え書(玉城康四郎)

■『死とは何か』 大法輪閣、1984
 
 雑誌の特集を単行本化したもののため、仏教中心ではあるが死について多面的に編集されていて読みやすい。
 「死と宗教思想」では原始宗教、古代エジプト、古代ギリシア、キリスト教、イスラム教、ゾロアスター教、ヒンドゥー教、神道、原始仏教、真言宗、浄土教、禅宗、日蓮宗、道家、実存主義─と多面的な死生観を紹介。
 「仏教と死後の世界」では仏教のみならず、日本人とのかかわりの中でも論じている。
 「現代人の死後感」では仏教が今日どう語るか、とともに医学、文学からの死もとりあげている。

■梅原猛『日本人の魂─あの世を観る』 光文社、1992
 
 この本は極めて刺激的である。「若い人にも読んでもらいたいためにごくわかりやすく」書かれたものだが、それだけ論理が浮かず、むしろ考え抜かれて書かれている。欧米の哲学、仏教思想を散々に研究した著者の最後の死生観が「縄文時代から続く日本人の基底にあるもの」だったという結論は、先祖帰りに見えるが、最新のDNA研究の成果を踏まえ、環境問題が大きくなった現代という時代性に極めてマッチしたものである。
「幸いに、日本のあの世には天国・地獄、極楽・地獄の別はなく、…人間が死ねば、いつか必ずあの世へ行くのである。そして、あの世とこの世はほとんど変わっていない。…ただ、一つだけ違っているところがある。それは、この世とあの世は何でもあべこべだということである。…しかも、あの世からこの世へ帰るときにも、…人間は人間で帰り、熊は熊で帰り、…多くは、その子孫となって生まれ変わるのである。…我々もまた、何十年か後にこの世に戻るとすれば、地球を汚すことはできないのである」
 類書をあげておく。より専門的だが。
・梅原猛『日本人の「あの世」観』(中央公論社、1989)

■加地伸行『沈黙の宗教─儒教』 筑摩書房、1994
 
 著者の前著『儒教とは何か』(中公新書、1990)は刺激的であった。道徳色に彩られていた儒教を東アジアに綿々と生きる精神世界、宗教として活写したからである。そしてわれわれ日本人にも儒教の精神が宗教が生きていることを著者は説いた。ある僧侶は慨嘆した。「われわれが仏教だと思っていた葬儀や先祖祭祀は儒教だった」と。
 本書の帯に「日本人の死生観について」とあるように、特にそこが意識されて、より全体的に書かれたのが本書である。著者が説くように日本人の死生観を狭い日本という領域ではなく、東アジアという領域で見る必要はあるだろう。

■曹洞宗宗教教化研修所薪水会編『宗門葬祭の特質を探る─修証義との関連において─』 同朋社出版、1985
 
 仏教教学と在家仏教はこれまで離れて併存してきた。在家仏教である葬式仏教は無自覚的に存在し、しかしそれが仏教の現実基盤を構成している。
 本書の試みが貴重なのは、民俗仏教の現実を見据えたところで葬祭における教理を検討しようとするものだからである。

■日本ルーテル神学大学教職セミナー編『現代葬儀事情』 キリスト教視聴覚センター、1994
 
 キリスト教のプロテスタントの問題意識を中心としたものだが、このセミナーが一般に開放されたように、仏教、カトリックその他との対話の中で、現代日本における葬儀という問題意識の中で展開されている。
 
 今日の葬儀(重兼芳子)/日本社会におけるキリスト教葬儀(柴田千頭男)/キリスト教葬儀とその式文(石居正巳)/葬送の自由を考える(安田睦彦)/仏教における葬儀(藤井正雄)/カトリック教会の葬儀(東門陽二郎)/プロテスタント教会の葬儀(加藤常昭)/現代日本社会の葬儀意識(碑文谷創)/葬儀業者としての実務の立場から(木下勇)/旧約時代の葬儀(清重尚弘)/新約時代の葬儀(下舘正雄)

■藤井正雄編著『葬儀を考える』 筑摩書房、1990
 
 本書は、葬式仏教批判がある中で、仏教各宗派が葬儀をどう位置づけて展開しているのかを編者が各宗派の理論的指導者と「今、なぜ葬儀礼か」と題して対談したもの。
 編著者による「はじめに」「まとめと展望」に書かれた問題意識は現代という時代において仏教の方向性を探る意味で示唆に富んでいる。
 はじめに─なぜ葬儀を問うか/天台宗(木内尭央)/真言宗(栗山秀純)/浄土真宗(堀秀之)/曹洞宗(奈良康明)/日蓮宗(石川教張)/まとめと展望─本来の葬儀とは何か

■中村雄二郎他編『死の科学と宗教』 岩波講座・宗教と科学7、岩波書店、1993
 
「私たち日本人はテクノロジーや経済の豊かさでは満たすことのできないさまざまな心の飢えを抱いていると思われる。…科学とテクノロジーの発達は宗教的対立をこえた視点を指し示す助けにはならないのだろうか。さらに、脳死の判定や遺伝子操作などの生命倫理の問題に関して、宗教と科学はそれぞれどんな役割を果たすべきなのか」
 
 宗教とは何か(上田閑照)/生の原理と死の原理(中村雄二郎)/超越と無(大崎節郎)/弔い─死者儀礼に表現される死の観念(波平恵美子)/生命倫理とエコロジー(間瀬啓允)/科学的医療と終末医療(安藝基雄)/尊厳死の問題(池辺義教)/臨死体験の意味(山折哲雄)/死の比較宗教学(脇本平也)/死生観私見(大岡信)/死と祈り(奥村一郎)




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