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碑文谷創

 さまざまな角度から死を考える本を紹介してきたが、ここで正面から死について考える本を紹介しておこう。

■シャーウィン・B・ヌーランド『人間らしい死にかた』 鈴木主悦訳、河出書房新社、1995
 
 この本はわずか半年で全米で50万部売れたという大ベストセラー。外科医であり医学史家が死の実態を「生物学的ならびに臨床的な事実として」赤裸々に示す。隠蔽され、あるいは「良い死」ということで神話化される死の現実が「尊厳ある死」からいかに遠いものであるか、それを事実描写で示す。
 心臓疾患、高齢者の死、アルツハイマー、事故死、自殺、エイズ、癌などの死のプロセスがまさに活写される。
 
 死はリアリスティックである。多くの場合、思いどおりにコントロールできず、平穏な臨終はその前の過酷なプロセスの代償とも言える。死の尊厳は生の尊厳であり、それは死の寸前の数週間のこととして見るべきではなく、数十年という生全体の中で価値づけられるべきであり、したがって死への対処そのものも善意という名の無益な治療に委ねられるべきでない。死すべき者としての人間を過酷な現実を直視する中で人間として対処し続けるとはどういうことかを示す。
 
 死の現実が社会からだけでなく家族からも切り離され、そのあげく死が空想的に美しく描かれ、願望されることさえある。死は現実であり、その過酷なプロセスこそ直視しなければ、死に対処するなどとは言えない。今日こそこの本が読まれる必要がある、と私は思う。
 
 締めつけられる胸/ハートはどうして働かなくなるか/七十歳にてわれ死なむ/高齢者の死への入口/アルツハイマー病/殺人と精神の安らぎ/事故死、自殺、安楽死/エイズの物語/ウイルスの生とヒトの死/癌の悪行/希望と癌患者/数々の教訓

■E・S・シュナイドン『死にゆく時 そして残されるもの』 白井徳満・白井幸子・本間修訳、誠信書房、1980
 
 「死学(英・サナトロジー、独・タナトロギー)」とはどういうものなのか、本書を読んでわかった気がした。
 著者は心理学者であるが、臨床経験も含めて文学的にも広範に死を検証していく。そしてわれわれはサナトロジーの到達した標準的な知識、関心のレベルをこの本から得ることができる。
 
 著者の関心は、ロスアンゼルス自殺予防センターの共同創始者という経歴から明確である。したがって死をロマン化して自殺にはしる者への警告、死がどういう現実をもたらすかを示す。そして自らの研究姿勢を以下のように定義する。
「サナトロジストの目的とするところは、死にゆく人びとが悲惨な死や、さみしい死ではなく、望ましい死をとげることができるように手助けをし、残された人びとに対しては、親しい人びとの死による衝撃からよりよく立ち直れるように働きかけることです」
 告知はしばしば問題になる。著者は告知が何の役に立つかではなく(少なくとも医療と看護の質は向上するが)、これは患者を単なる症例としてではなく、生きた人間として対処することだと述べる。これは極めて説得力をもつ。
 
 「死後の自己」「部分死」についてもきわめて興味深い議論を展開する。
「死にはつねに死にゆく人と残される人との二つの側面がある」(A・トインビー)近年の日本の死への関心が「死にゆく自己」へ偏りがちなのに対し、著者の関心は双方向に向かう。この二つを結びつける哲学的論理展開は必ずしも説得力があるとは思えないが、臨床的には極めて重要である。
「検死、遺体の処理、葬儀、死亡証明、遺書の処理、これら、死の後遺症とも残存物とも呼ぶべきすべてのことが、愛する者の死が終局であると同時に始まりでもあることを遺族に無情に示す」
 
 死にゆく人─そして死に続くもの/死の眺望/様々な死/死の法医学的側面/死の諸次元

■デイル・V・ハート『死の学び方』 井桁碧訳、法藏館、1992
 
 著者は保健教育を大学で教えている。現代における死の問題を極めて実践的、かつ包括的に述べている。
 著者は「私たちは死から疎外され、死に対して不感症になっている」と述べる。
 
「死は、新聞やテレビの中のこととしか思えないのだから、誰か自分の愛した人が死んでも、何を言ったらいいのか、どう振る舞ったらいいのかがわからない。いや、どう感じたらいいのかさえわからない」
 こうした死のリアリティのなさは何もアメリカだけのことではない。葬儀がわからないのは死がわからないからである。
 「葬儀の方法」の章では、簡略に現代のアメリカの葬儀のやり方を知ることができる(訳語だけでなく著者の理解が不充分な点はあるが)。
 
 人間は死をどう受けとめてきたか/現代人の死の受容と「死への準備教育」/死の定義と臓器移植/老年学、ホスピス、ターミナル・ケア/死ぬ権利と安楽死/葬儀の方法─エンバーミングと埋葬、火葬・水葬/火葬・献体・安楽死に対する宗教界の見解/グリーフ・セラピーとは何か/葬儀の値段/臨死体験と身体の冷凍保存

■高柳和江『死に方のコツ』 飛鳥新社、1994
 
 この本はベストセラーになったから読んだ方も多いだろう。看護学校での著者の「死の授業」が「死ぬのが怖くなくなる授業」ということで評判になる。これもまた「死ぬのが怖くなくなる本」というわけである。
 著者の出発点は明快である。
「人間は生まれ、生き、そして死ぬもの。生き物にとって、死は当たり前、自然な流れである。それを怖がることのほうが、よほど不自然ではないか」
 
 著者の授業は次のようだという。
「実は、私の授業はいつも、“宇宙の中での生命の誕生”から始まる。地球の生命系の中で、人間はどのような存在なのか?DNA(ディー・エヌ・エー)とは何なのか?人間を含め、生物は個体を死なせることで何を目指しているのか?こんなふうに、宇宙=自然という広い視野の中に、死をくっきりと、とらえておいて、それから具体的な人の死や、医療の問題に入っていくのである。私の講義を聞いた学生が死を恐れなくなるのは、“自然の中の死”として死をとらえ、『死ぬのは当たり前なんだ』と納得できるからだろうと思う」
 宇宙の創造から始まる生命の歴史の連鎖──DNAをもとに説明されるこれは今や流行でさえある。人間の死も生物学的な事実の中にあることは確かなことであるが、これをもとに一刀両断となると多少「?」もつけたくなる。
 
 死の瞬間/死にゆく人びと/病気/病院/痛み/恐怖/より納得して死にたいあなたへ

・『続・死に方のコツ』(1995)
 
 突然の死/元気に死ぬ/もっと笑いを/病院で死ぬ人/医者と死/家族の受容/生物としての死/死んだあとの心配

■E・キューブラー・ロス『死ぬ瞬間─死にゆく人々との対話』 川口正吉訳、読売新聞社、1971
 
「この本は、死にかかった患者の管理方法を教える教科書として書かれたものではない。また死にゆく人の心理の完全研究をめざしたものでもない。この本はただ、患者を、一人の人間として見直す、この角度から焦点を当てなおすという、まったく新しい、チャレンジングな、与えられた機会の、率直な記録にすぎないのだ。そうした患者を対話のなかへ参加させ、われわれの、病院という方法による、患者管理の強味と弱味とを、患者自身から学ぼうとしたものなのである」
この本についての詳しい紹介は省略する。まず手にとって読んでほしいからである。この本が切り開いた地平はまことに広く、そして深い。死について論ずるとき(ターミナルケアやグリーフセラピーは特に)、本書を抜きにすることはもはやできない。
 
 本文の一節を紹介しておこう。
「患者がその生の終わりを住みなれた愛する環境ですごすことを許されるならば、患者のために環境を調整することはほとんどいらない。家族はかれをよく知っているから、鎮痛剤の代わりにかれの好きな一杯のブドー酒をついでやるだろう。家で作ったスープの香りはかれの食欲を刺激し、二さじか三さじ、液体がノドを通るかもしれない。それは輸血よりも、かれにとってはるかに嬉しいことではなかろうか、と私は思う。…また不幸があった家に、子どもたちもいっしょにいて、家族の会話や議論や恐怖の仲間入りをする、この慣習も注目すべきである。子どもたちはこれによって、嘆き悲しむのは自分たちだけではないと感じ、責任を分かち、哀悼に参加する満足感が得られる。これによって子どもたちは死を生の一部と見做すことができ、彼らの成長と成熟とを助ける貴重な経験となるのである」
 
 死の恐怖について/死と死ぬことへの態度/第一段階、否認と隔離/第二段階、怒り/第三段階、取り引き/第四段階、抑鬱/第五段階、受容/希望/患者の家族/さちに末期患者とのインタビューのいくつか/死と死ぬことに関するセミナーへの反応/末期患者の精神療法

・『死ぬ瞬間の対話』 川口正吉訳、読売新聞社、1975
・『続 死ぬ瞬間』 川口正吉訳、読売新聞社、1977
・『死ぬ瞬間の子供たち』 川口正吉訳、読売新聞社、1982
・『新 死ぬ瞬間』 川口正吉訳、読売新聞社、1985
・『死後の真実』 伊藤ちぐさ訳、日本教文社、1995

■アール・A・グロルマン『死ぬってどういうこと?─子どもに「死」を語るとき』 重兼裕子訳、春秋社、1992
 
 死に出合った子供に死をどのように説明したらよいだろうか。子供は子供なりに死を理解し、傷つき、悲しむ。
 読んで驚くのはほんとうに死に正面から立ち向かうという姿勢である。大人も学んでほしいと切実に思う。
 
 身近な人の死を体験した子どもに接するとき/いっしょに読もうね/死を説明する親のためのてびき(「死」について/子どもの気持ちを理解する/「死んだとはどうするの?」と聞かれて/さまざまな死について)/専門家への相談について/悲しみを克服しようとする大人のために/遺された大人が立ち直るための提言

■アルフォンス・デーケン『死とどう向き合うか』 NHKライブラリー、1996
 
 著者は、日本における死について考えるムーブメントの先駆けであり、最も影響のある指導者である。
著者はサナトロジーあるいはデス・スタディ(死学、死についての学問)をあえて「死生学」と訳した。
「死について学ぶことは、そのまま死までの生き方を考えること」
 という考えからである。
 
 また、デス・エデュケーション(死の教育)も、「死への準備教育」と訳す。
 それは「ほとんどの人が何の心備えもないまま、愛する人の死や、自分自身の死に臨んでいるのが現状」では不可避的な死が訪れたときに「人間らしい死に方」に対処できないという問題意識からである。
 デス・エデュケーションによって「愛する人の死や、自分自身の死に」備える心構えを学ぶこと、「生と死に対する考察を深めること」は、学ぶ人に「人生や愛の意義への新しい思索」を誕生させ、「自分に与えられた時間が限られているという現実を認識」せしめ、「毎日をどう生きて行ったらいいかと改めて考え出すこと」を可能たらしめる。したがって「死への準備教育」はそのまま「生への準備教育(ライフ・エデュケーション)」である、というのが著者の主張である。
 
「死について率直に話すことができないと、真に人間的なコミュニケーションを深めることができません。別離と死にまつわる感情は、愛や苦悩、喜びや悲しみと同じように人間の最も根源的な体験です。これからは死を自然な現象として受けとめて、自由に語り合えるような新しい死の文化を創造して行くことが必要でしょう。それは同時に、これからの新しい生き方を探る道にもなるからです」
 本書は著者の「死生学」の集大成とも言えるものである。
 
 死を見つめる時/遺される者の悲しみ/人生の危機への挑戦/突然の死のあとに/無視される悩み/自殺を考える/生命の終わり方/病名告知をめぐって/死への恐怖を乗り越える/自分自身の死を全うする/芸術の中の死/「死への準備教育」のすすめ/諸外国のホスピス・ケア/日本の終末期医療への提言/ターミナル・ケアとユーモア/死後の生命への希望



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