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碑文谷創

 今、注目を浴びているのがグリーフワークである。愛する家族を喪ったとき、しばしば悲嘆を経験する。この遺族が辿る心理的なプロセスのことがグリーフワークだが、最近では「喪の仕事」と訳されることも多い。日本語で書かれた優れた本も多い。

■若林一美『デス・スタディ─死別の悲しみとともに生きるとき─』 日本看護協会出版会、1989
 
 死別とはどういうものか。おそらくこのことについて確かな目を開いてくれるのがこの本である。表紙に書かれた短い言葉は印象的である。
 子どもの死─あなたの未来を失うこと
 配偶者の死─あなたの現在を失うこと
 親の死─あなたの過去を失うこと
 友人─あなたの一部を失うこと
 次の言葉は胸に突き刺さる。
「死は残された者にとって、その死をとり込んだ新しい生のはじまりのときでもある。一生とり去ることのできない悲しみを背負いながら生きていかなければならないのだが、悲しみのなかには、看取りや死別後、他の人から投げかけられた心ない言葉によって増幅されているものもあるのだ」
 
 子どもの死/私にとっての死/突然の死/不在の刻印─幼い日の死別体験/配偶者との別れ/喪失/共に生きる

■若林一美『死別の悲しみを超えて』 岩波書店、1994
 
「死別は恥ずかしいことでも、まして隠すことでもないにもかかわらず、遺族は社会生活のあらゆる場面で、居心地の悪さを感じて暮らしている。悲しみや涙を自由に表出できない社会は、一体だれのためのものだろう」
 著者の怒りは子と死別体験した人々への優しい眼差しから出る。日常は死を意識していない者ほど死への忌避感が強い。悲しみを抱えてなお生きる人はないがしろにされる。
「涙は、死んでしまった人に対する心情のもっとも自然な表出である。そして、死んでしまったけれど、忘れることができない人を慕うやさしさのあらわれでもあるのだ」
 
 ひとつの死/不在のもつ意味/遺族の会/悲しみの変容/見えない悲しみ/家族のなかの死/疎外される悲しみ/分かちあうこと/共に生きる─社会的な広がりのなかで

■平山正実、A・デーケン編『身近な死の経験に学ぶ』 春秋社、1986
 
 「生と死を考える会」は死別の体験を抱いた人々が共に集い、自らの体験を語り合うことによって生と死を考える集いであり、今、日本各地に展開している。その第3回のセミナーの記録である。
 あとがきで生田チサトさんが書いている言葉は全ての要点を尽くしている。
「実際死に直面した人びとの心の深淵に、他者がどれほど近づきうるかと問われれば、それは不可能に等しいというしかないのかもしれない。しかし、もし私たちが本当に自分の無力を実感することができたとすれば、その時こそ、私たちは、その人びとの側に『共に居る』という第一歩を踏み出せるのである。そして、側に『共に居る』ことからすべてははじまる」
 
 悲しみを乗り越える─離別体験の人間学的意味(平山正実)/死にゆく人の心理(河野友信)/死への準備教育(A・デーケン)/死の臨床から学ぶ(藤枝知子)/末期患者の心を理解するには(薄井坦子)/死刑囚の生と死(加賀乙彦)/身近な死の経験ということ(私が死に直面したとき/子を失って)

■河合千恵子編『夫・妻の死から立ち直るためのヒント集』 三省堂、1996
 
「この本は、配偶者の死を乗り越えたいと考えている人の為に書かれた道標です。配偶者を喪った人々がその悲しみや苦しみを克服し、その後の人生を前向きに生きるための心の持ち方や考え方、そして実際に役立つような生活の技術について専門の先生に講義していただいた八回の連続講座をベースにして」編まれた。
 
 配偶者を喪う時(河合千恵子)/悲しみを癒す一〇箇条(平山正実)/悲嘆に沈む治療の現場から(宇田川雅彦)/人との関わりの中で元気になろう!─パートナーの死と親業と私(金子芳子)/私の体験と、家事の苦手な男性の一人暮らしヒント集(浅田峰子)/カウンセリングから学ぶ長寿時代の生き方(長谷川浩一)/宗教と文学に見る夫婦の絆と別れ(浜辺達男)/葬儀経験を通して考える─遺された者の生き方(横山潔)/悲嘆からの立ち直りの学校─そのプログラムの効果を検討する(河合千恵子)/ウィドウ・ミーティングとほほえみネットワーク(河合千恵子)

■柏木哲夫『死にゆく人々のケア─末期患者へのチームアプローチ─』 1978、医学書院
 
 医師は病気にある者を治療する。現代医学の技術的進歩は目ざましい。とかく医師は技術に依存しようとする。だが、死は訪れる。医療外の事項になるとき、医師はこれから目をそむけがちである。
 だが、これを直視し、医療機関の中で医師、看護婦、精神科医、牧師、ソーシャルワーカーがチームアプローチして得られた記録がこれである。
 死にゆく本人、家族の問題が語られる。まさに系統的なケアが必要であることが示される。日本におけるターミナルケア(終末医療)の重要性を喚起した本の一冊である。
 葬儀も、グリーフワークも「死後」から見たのでは見えなくなっている。人の死は終末医療の時点から考えなければいけない。
 
 なぜチームアプローチが必要か/真実を告げる必要─ある胃癌患者の例を通して/患者の必要を満たすためのチームアプローチ─ある卵巣癌患者の例を通して/よき聞き手の条件─三人の末期患者の例を通して/配慮的人間関係の大切さ─自殺を企てた胃癌患者を通して/患者の宗教的必要─信仰により平安を得た胃癌患者を通して/信仰をもった患者から学ぶ/家族の役割/患者の死後の家族の問題/家族への援助/子供の死と親の反応─奇形の乳児の死を通して/成長するチーム/自らの死を知った患者への援助─死の過程への参画

■C・M・パークス『死別─遺された人たちを支えるために─』 桑原治雄・三野善央・曽根維石訳、メディカ出版、1993
 
 死別(ビリーブメント)の悲嘆について体系的にそして最新の研究成果を示してくれるこの本は随所に興味深い記述が見られる。
「多くの点から見ると、悲嘆は病気と考えることができます。しかし、悲嘆が強さをもたらす場合があります。…これまでに不幸を経験したことのなかった人たちが、悲嘆を経験することによって強くなり、成熟することもあります。悲嘆の苦痛は、愛の喜びと同様に人生の一部なのです。それはおそらく、愛のために支払う代価、人と結び付くことへの代償なのでしょう」
「突然死を迎えた人たちの中で、六ヶ月前までに誰か大切な人を亡くした人は、そうでない人の六倍もありました」
「何人かの未亡人は、葬式によって現実に起こったことを『思い知らされ』ました。特に遺体が火葬された時には、土葬された場合よりも『最後だ』という感じがするようです」
「悲嘆は、現実を見ていくための一つの過程であり、喪失の事実を『事実と認める』ための過程です」
「死別者が、避けてはいけないし急いでもいけない。この辛くて難しい悲嘆作業を自由に行えるように、必要に応じて状況を整えてあげるのが援助者の役割なのです」
 引用だらけになるのでやめるが、ここで「悲嘆作業」と訳されているのがグリーフワークである。基本的な図書。

■野田正彰『喪の途上にて─大事故遺族の悲哀の研究』 岩波書店、1992
 
 1985年8月12日、日航機が群馬県の御巣鷹山の尾根に激突、520人の生命が突然失われた。この事故遺族に取材してまとめたのが本書である。人の死、特に突然の死がいかに衝撃であるか、死が生な形で襲撃すると人間はいかに弱いかを示すものとなっている。
「このように凄惨な遺体状態で、多くの遺族はなぜ遺体にこだわったか。それは、帰らぬ人になるとは毫にも思わなかった家族が、つい先ほど出ていったばかりの家族が、帰ってこなかったからである。…まったく予期しなかった死のゆえに、少しでも多くの遺体が帰ってこなければ、あの人を家に戻して死者にしたことにならない。死の否定、ひいては現実感の喪失が永続することになってしまう」
「追想は、つい先ほどの訣れと原初のころの体験が厚く、中間の永い年月のことが薄い。初めの出会いに帰ることによって、自分たち二人でそれから築いてきた人生の意味を、これから経験していく者の眼で追体験していくことができる。それは、出会ったころ、こんな訣れにはならなかったという否認の心理にもなっている」
「悲哀にも美しい悲哀と、病的な悲哀がある。人はいつでも自分の喪の体験を病的な悲哀に変えてしまう危険な橋を渡りながら、なおそれを美しい悲哀に完成させる作業をしている」
 例えば氏は遺族には「事物がむきだしの機能のみに」なってしまうと言う。食卓は料理を載せるだけの台ではない。過去の暮らし、思い出によって食卓たらしめている。料理を出す相手の夫が失われたとき、過去の意味付与が失われ、その食卓は単に料理を載せる台だけになり、それは食卓とは思えない物になる。
 死が奪うものは一人の物理的人間だけではない。暮らしを奪う。それにどう対処すればいいのだろうか。死のリアリティを今一度身に刻む必要がありそうだ。
 
日航機墜落後の遺族の仕事/「死の刺」を焼く/悲しみの時間学/豊穣の喪/子供と死別をわかちあう/癒しの皮膜/改心と生きる意味の再発見/家族の生死の第一人者/山守りたちの雛祭り/安全共同体への離陸/法律家の経済学/喪のビジネス





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