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Q109 お葬式で言ってはいけない言葉は?

 会社の親しくしていた同僚のお父様が亡くなり、お葬式にうかがうのですが、お葬式で使ってはいけない言葉というのはありますか。(45歳男性)


A実用書、マナー本の類に「使ってはいけない言葉」としてよく書かれているのが「忌み言葉」です。よく例に挙げられるのは、
「かさねがさね」「たびたび」「しばしば」「くれぐれ」「返す返す」「いよいよ」「ますます」「次々」…というように、言葉が繰り返される「重ね言葉」です。
 また、「また」「再び」「再三」「続く」…というように「続く」をイメージされる言葉です。
 要は「不幸が続く」ということになってはいけないので、と忌み言葉とされているのです。

 これらは私としてはまったく根拠のない説で、死や葬式への偏見が生んだ言葉であると思います。
 葬式や火葬に行った人が家に入る前に塩を身体に振る、という習慣もそれに近いでしょう。
「清め(浄め)塩」の問題は、現在のような公衆衛生の知識がない時代に、「死は伝染する」と考えられていた中世の衛生観念のようなものと理解できます。つまり「疫病」と言われた今の「感染症」が流行したことを背景に生まれた習俗でしょう(しかし、今のように葬式の会葬礼状に添えられる「清め塩」は1970年前後に葬祭業者が「サービス品」として考案したものが全国に流行ったものです)。

 おそらく似たものでも忌み言葉はもっと新しく、どうも1960年代前後に、結婚式の忌み言葉と共に生まれたように思います。
 結婚式の忌み言葉としてはある本では次の例が挙げられています。
●言い換え
死ぬ→ご逝去、終わる→お開きにする、帰る→中座する、四→「し」と読まずに「よん」と読む、九→「く」ではなく「ここのつ」と読む、ケーキを切る→「ケーキにナイフを入れる」と言う。

●不吉な言葉
死ぬ、仏、葬式、負ける、病む、敗れる、滅びる、壊れる、憂い、痛ましい、散る、悲しむ、嫌う、疎んじる、破れる、褪せる、流れる、九、四、滅ぶ、倒れる、衰える、しまう、裂く、閉じる、弔う、お釈迦、失う、苦しい、泣く、退く、やばい、弱る、つぶれる、とんだこと、とんでもない、最後、終わり、等

●別離を連想させる言葉
別れる、嫌う、終わる、終える、帰る、帰す、切る、切れる、失う、戻る、逃げる、出る、出す、去る、放す、裂ける、割れる、捨てる、ほころびる、ほどける、消える、冷える、飽きる、薄くなる、薄い、等

 …ここまでくると滑稽を通り越して、「言葉狩り」に近いものです。
 戦後の高度経済成長期に披露宴の全盛時代を迎え、そうした晴れ舞台でのスピーチに失敗しない方法として、どなたか「マナー専門家」なる人が知恵をつけ、流行らせたものではないでしょうか。

「社会的に失敗しないために」と生み出されたものです。ある意味で高度経済成長期のおかしな社会性を象徴している感じがします。これだけの避ける言葉の例を見ていると「使える言葉がない」と読む人を不安がらせます。これはほとんど脅迫です。

 葬式や結婚式での言葉は相手に自分の気持ちを伝えるものです。自ずと相手との親密度により変わります。
 たとえば、お葬式で使わないほうがいい、という言葉は相手の心を傷つけるかもしれないものです。
「元気出してね」「がんばってね」は、言う人は励ますつもりでしょうが、遺族には「私が悲しいなか、せいいっぱいがんばっているのに、それが理解されない」という孤立感や反発を招くおそれがあります。
「泣かないでね」にいたっては、死別の悲嘆を理解してもらえていない、と不信感を招くおそれがあります。

 注意すべきは相手の悲しみが深いことを配慮することです。社会的に使っていい言葉、悪い言葉を勝手に決める権利なぞ誰にもないのです。
 結婚式でも同様だと思います。頭だけで考えたタブーなんて無意味です。お祝いの気持ちが率直に伝わればいいのではないでしょうか。

 忌む言葉はありませんが、相手を傷つけかねない表現は避ける、相手に気持ちを率直に伝える、というのが正解ではないでしょうか。
 私が姉の葬式で言われてうれしかったのは、「お姉さまにはお世話になりました」「よくしてくださって」「もう、悲しくて」…と姉とその方が築いたであろう親愛な関係を率直にお悔やみとして言ってくださったことです。





Q108 お寺が改葬を拒んでいるのですが…?

 田舎に両親だけで住んでいましたが、父が3年前に死に、母も足腰が弱くなったので、母を東京に連れてきました。墓参りしようにも列車で往復4時間。墓をこちらに移転しようと思い、墓の菩提寺に話したところ同意してくれません。どうしたらいいでしょうか(60歳女性)


A地方に住んでいた両親の一方が死亡し、もう一方が一人暮らしをしていたが、心身の状態が悪化し、子どもが親を引き取る、というのはよくあるケースです。母親が残るケースが多いのですが、地方にある墓をお参りしようにも、困難になり、子どもの住居の近くにお墓を引っ越しさせたい、と考える人もいます。
 お墓の引っ越しのことを法律的には「改葬」と言います。
 改葬の手続きは、元のお墓のある地の市区町村に「改葬許可申請書」を出し、その許可を得る必要があります。
 墓地、埋葬等に関する法律施行細則には、次のように規定されています。

第2条 法第5条第1項の規定により、市町村長の改葬の許可を受けようとする者は、次の事項を記載した申請書を、同条第2項に規定する市町村長に提出しなければならない。
一、死亡者の本籍、住所、氏名及び性別(死産の場合は、父母の本籍、住所及び氏名)
二、死亡年月日(死産の場合は、分べん年月日)
三、埋葬又は火葬の場所
四、埋葬又は火葬の年月日
五、改葬の理由
六、改葬の場所
七、申請者の住所、氏名、死亡者との続柄及び墓地使用者又は焼骨収蔵委託者(以下「墓地使用者等」という。)との関係
2.前項の申請書には、次に掲げる書類を添付しなければならない。
一、墓地又は納骨堂(以下「墓地等」という。)の管理者の作成した埋葬若しくは埋蔵又は収蔵の事実を証する書面(これにより難い特別の事情のある場合にあっては、市町村長が必要と認めるこれに準ずる書面)
二、墓地使用者等以外の者にあっては、墓地使用者等の改葬についての承諾書又はこれに対抗することができる裁判の謄本
三、その他市町村長が特に必要と認める書類

 と規定されています。けっこう面倒な書類で、墓に入っている一人ひとりについて細かく記載しなければいけないので、行政書士等に依頼するのが現実的でしょう。

 改葬で実際に問題になるのが「墓地又は納骨堂(以下「墓地等」という。)の管理者の作成した埋葬若しくは埋蔵又は収蔵の事実を証する書面」です。従来の墓地の管理者からこれまで遺骨が埋蔵(墓地)または収蔵(納骨堂)されていたことを証明する書面を得ることです。墓地が公営墓地の場合には事務的に済ますことができるのですが、墓地が寺の墓地の場合、トラブルになるケースがあります。
 お寺にとっては寺を支えてくれた檀家が1軒なくなるというので、すぐには了承しないケースがあります。そこで「離檀料」という名の金銭の支払いが問題になることがあります。

 ここでの問題は2つあります。
 第1は、寺の墓地は檀家故に寺が檀家に使用を許可してきた、という事業墓地とは異なる性格があることです。改葬を考える人は事務的に処理するのではなく、寺に理由を話し了解を得ると共に、できる範囲でいいのですが、これまで使用を許してくれたことへのお礼をすることは道義的に当然あっていいだろうということです。また、墓を移転するということは離檀を意味せず、檀家としてこれまで同様に寺との関係を維持するという選択もあっていいでしょう。

 第2は、お寺側には金銭等を条件にして埋蔵(収蔵)証明書の発行を拒否する権利はない、という法的事実です。証明書は事実のみ証明するもので、許可証ではないからです。
 また、どの墓地でも共通することですが、改葬するにあたって、元の墓地の墓石等を撤去し更地にして戻す必要があります。墓石業者に訊くと、一般に更地にする費用は1平方メートル10万円くらいとのことですから、だいたい1坪程度ですので30万円程度かかります。

 また、改葬先の墓地等を記入することが必要です。この改葬先では独立型のお墓である必要はなく、永代供養墓(合葬墓)、樹木葬墓地等も考えられます。いったんどこかの納骨堂に預かってもらった後に散骨(自然葬)することも可能です。改葬先についてもさまざまな選択肢がある、ということは理解しておきましょう。




Q107 愛犬の遺骨を一緒に納骨できる?

 5つ年上の姉が死亡し、葬儀も終えたのですが、納骨がいつか連絡もありません。姪に訊いたら「母のかわいがっていた愛犬がもう死にそうなの。ケン(犬の名))が死んだら、その骨の一部を姉の遺骨に混ぜて納骨したいの」と言うではありませんか。そんなことをして違法ではないのですか。(80歳女性)


A遺骨を墓に埋蔵する場合には墓地にある墳墓、となっていますが、これは人間の場合のことです。犬などのペットについては定めがありません。
 私も子どもの時と、結婚した後に猫を飼っていました。猫が死んだ時には庭の一部を掘って猫をそのまま土葬しました。悲しくて、涙をこぼしながら懸命に穴を深く掘り、穴の底に横たえ、土を埋め戻し、堅く固め、上に割り箸を立てた、という記憶があります。合計4匹の飼い猫の埋葬をしました。その時の気分は死んだ猫の顔と共によく覚えています。
 猫の埋葬は、私ができる精いっぱいの猫への愛情行為でした。

 一緒に生活した犬や猫(最近はその他の動物もあるようですが)、彼らの生命は人間より短命なので、ペットの葬送は飼い主にとって痛切なものです。
 ペットは懐きますし、こちらの感情を理解してくれているのではないか、と思い、万感の気持ちを込めて抱きしめる、というのはたびたびです。ある時には人間の他の家族以上に愛情対象になります。

 ある高名な学者が、「ペットロスなんて嗤っていたが、自分の飼っていた犬に死なれて、わかった。今では『ペットロスなんて』と言っていた自分が恥ずかしい」と新聞媒体を使って「告白」していました。
 ペットに対する感情はさまざまです。そもそも飼った経験のない人には「何?ペットロス?」と理解不能なことでしょう。「一度飼い犬に死なれて辛かったから、もう二度と飼わない」と言っている人も少なくありません。

「祖母さんの死には泣かなかったくせに、自分の飼い猫に死なれて号泣しているなんてわからない」と言う人もいます。
「人間に冷たいくせに」というのは多くの場合、必ずしもあたっていません。そもそも比較の対象ではないでしょう。
 祖母の死には、「身のまわりのこともできなくなって、毎日、痛いし、辛い生活をしていたのだから、もう苦しまなくてもいい」と祖母を思っての納得もあり、泣かなかったのかもしれません。

 高齢の方が飼い猫、飼い犬に愛情をいっぱい振りかけておられるのを見る、知ることが多いです。犬、猫が唯一の話し相手、というケースも珍しいことではありません。
 墓地によっては「人間の遺骨に限る」と条件づけている例もあるでしょう。でも骨壺に混ぜてしまえば、秘密に行う限り判明することはないでしょう。そして肝心なことは、それで傷つく人がいない、ということです。

 法の抜け道を言っているのではなく、「あれだけ可愛がっていた犬や猫なのだから、一緒にしてやりたい」と家族が思うのもおかしくない、まっとうな人間感覚だと思います。そこで人間の生命の重さとペットの生命の重さを量り比べる、というのは愚の骨頂のように私には思えます。
 あなたがそのことを誰彼に言うことで、ペットに対する感覚を共有しない人から不満、反発が起こるかもしれません。姪御さんはあなたを信頼して秘め事を話してくれたのですから、あなたも姪御さんのお母さんへの愛情を大切にして心の裡にしまっておいていいのではないでしょうか。納骨に期限は定められていないのですから。
 もっとも、近年は「ウィズ・ペット」という墓も売り出され、人気になっています。

 理屈を言うならば、人間の遺骨と一緒にペットの遺骨を埋蔵することは、墓地は人間の遺骨を埋蔵することを目的としているのですから、ペットの遺骨は「副葬品」という扱いになります。お墓にお父さんの大切にしていた万年筆を一緒に入れる行為と一緒、ということになります。
 ペットを飼うかどうかは自由な行為です。好きな人もいれば嫌いな人もいるでしょう。他人への迷惑行為にならなければ、その好き嫌いを法的に問題にする必要はありません。その犬が近所の人に飛びかかり、迷惑になる、というならともかくです。
 その人個人の自由な行為は万人が納得する必要はありません。社会的に迷惑になれば別という範疇内のことですが。たかがペットですが、考えれば深い問題でもあります。



Q106 葬式で音楽を流してよいか?

 母が終末期にあります。音楽が好きで、息子の私に自分で選曲したCDを託しています。菩提寺の浄土宗のお寺にお葬式をお願いすることになりますが、式中その音楽を流せますか?(55歳男性)


Aお葬式で音楽、というのは今ではとても自然なものになっています。お葬式といっても、すべての時間、僧侶がお経をあげているわけではありません。式中は別にして、音楽を流す機会はずいぶんとあるものです。

 お葬式の日程を考えてみましょう。
 病院で死亡した場合、90年代までは、葬儀社に頼んで自宅に遺体を搬送してもらい、一晩は自宅に安置するのが一般的でした。今は斎場(葬儀会館)に搬送され、安置されるケースが多くなっています。

 いずれにしても遺体を安置し、僧侶に枕経をあげてもらいます。枕経時には、そこにいる家族全員が遺体を囲みます。衣服をあらためる必要はありません。ジーパンでも割烹着を着たままでもかまいません。

 エンバーミングをする場合には移送してエンバーミングしてもらいます。まだエンバーミングの施設が整っていない地域が多いので、その場合には早めに納棺するとよいでしょう。納棺し、ドライアイスを入れると棺は冷蔵庫状態になります。ドライアイス処置をしたからといって遺体が腐らないというわけではありません。しかし腐敗を遅らせる効果があります。買ってきた魚が腐らないようにすぐ冷蔵庫に入れておくのと原理は一緒です。

 その日は家族だけで看取ります。だいたいが翌日が通夜、翌々日がお葬式、告別式。告別式が済んだら出棺して火葬場に向かいます。
 東北地方等では、お葬式の前に火葬を済ませ、お葬式は遺骨を安置して行われます。

 これがお葬式の概略です。当日、遺体を安置した段階でも音楽は流せます。翌日の通夜でも、式が始まる前の時間、式が終わった後の時間は音楽を流せます。お葬式の日も、式の前、式が終わって、柩を前に出してお別れする時間は音楽を流せます。

 お葬式というのは3〜4日かけて行われるので、音楽を流していい時間はたっぷりあります。
 私が経験し、差配した従妹の葬式の場合、予め従妹の希望した音楽の音源を葬儀社に送っておきました。そして通夜の式(そういえば、従妹の菩提寺も浄土宗でした)の始まる前の時間、式が終わった後の時間に葬儀社の人がエンドレスで従妹の選曲した音楽を流してくれました。
 今は音楽を使うことが一般的になっていて、多くの葬儀社がさまざまなジャンルの音楽を用意できる状態にあります。曲さえ指定すれば用意してくれるところが多いです。

 従妹の時は私がネットで音源を取得し、ネットのファイル転送サービスを用いて葬儀社のメールアドレスに送りました。
 お葬式もそうです。始まる1時間前からその音楽を流しました。式中は流しませんでしたが、式が終わり、棺の蓋を取り、お花を入れてお別れする時間、そして出棺を待つ間、従妹の選曲した音楽をずっと流し続けてもらいました。

 お葬式に来られる方は、早い場合は2時間前くらいから集まり始めます。ですから式の前の時間はけっこうあります。
 私は来られた方々にできるだけ挨拶ををするようにしました。従妹との関係をたずね、「お世話になりました。きょうはわざわざお出でいただきありがとうございました」と言い、「今流れている音楽はすべて生前に彼女が選曲したものです」と伝えました。すると来られた方々も、「あ〜、この歌、彼女がよく歌っていました」などと話してくれ、特別な想いで音楽に耳を傾けてくれました。

 式も、僧侶の方が取り仕切る葬儀式と、その後の告別式を区分けするのであれば、告別式の段階から音楽を流すことができます。
 音楽というのは人によって趣味が違いますので、司会者に一言、
「ただいま流れている音楽すべてが、生前故人が、お葬式の時に流す曲として選曲していたものです」
 と言ってもらいます。
 するとその音楽が特別に意味のある音楽になります。

 故人が選んだものであれば、それが荘重なクラシックでなくとも、民謡や歌謡曲でもかまいません。ジャズはよくかかります。
 遺影写真も従妹はお気に入りの1枚を選んでありました。このことも会葬に来られた方に伝えると、「あ、いい写真ね」と言ってくれました。
 写真、音楽、お花は「故人を想い、弔う」ために大きな働きをすることを実感したものです。



Q105 「遺族代表挨拶」は喪主でないといけないの?

 父は早く死亡し、母がすっかり弱り、今は娘である私が介護しています。きょうだいはいません。母の葬式では私が喪主を務めることになると思いますが、出棺の際の挨拶は私がどうしてもしなければならないのでしょうか?(75歳女性)


A結論から言えば「どうしても」しなければならないものではありません。
 今の一般的なお葬式では、「喪主」が挨拶する場面が5回あります。
1通夜の終わった後に会葬者へ、2通夜で弔問客等に食事等を振る舞う場合には、その中で、3葬儀が終わり出棺するに際して、4火葬が終わり、遺骨を安置しての法要と一般に続けて行われる初七日法要を終えた後開始時に、5上記4の会食を終えての最後に、です。

 式次第に書かれるとすれば、上記3の出棺に際しての挨拶だけでしょう。これもかつては「喪主挨拶」と書かれることが多かったのですが、近年は「遺族代表挨拶」と書かれることが多いように思います。これも出棺前ではなく、葬儀式の一般会葬者の焼香の前であったり、葬儀式の終了時であったりもします。

 東北地方等で、火葬を葬儀式に先立って行い、遺骨を安置しての葬儀、「骨葬」の習慣がある地域では、「出棺前」ではなく、葬儀式の最後や一般会葬者の焼香に先立って「遺族代表挨拶」がくることが多いようです。
 北海道では、「葬儀委員長」を町内会長や元校長等の地域の名士が務めることがあり、出棺前挨拶は喪主ではなく葬儀委員長が務めることもあります。もっとも北海道でも近年は葬儀委員長を葬儀会館の館長が務める等の形骸化も見られるようです。

「喪主挨拶」が「遺族代表挨拶」へ名称変更されるのは、戦後、男性が死亡した時の喪主を配偶者である妻が務めることが多くなったという事情も影響しているように思います。
 最も悲嘆が強い人、高齢の女性が喪主を務めるケース等を配慮して、各家族事情によって挨拶する人を決めていい、という考えがあるように思います。ここから進んで「遺族は大小いずれにしろ悲嘆を抱えているのだから、遺族に無理して挨拶をさせることはない」という意見も最近は出ています。

 また、人前での挨拶には一般の人は慣れていないという事情を配慮をすべき、という意見もあります。しかも、たいへんな時に行うのですから、挨拶は、簡単で短くともいいし、予め原稿を書いて読み上げるというのも可とされています。
 いずれにしろ、葬式や法要に参列、会葬いただいた人たちに遺族側がお礼の言葉を述べる機会があっていいだろう、ということから位置づけられたもののようです。

 もっとも戦前には、跡取りが喪主とされ、喪主が子どもであることもあったので、実際に遺族を代表して葬式に責任をもつ親族が「施主」となり、挨拶も喪主を横に置いて行った、という例もあったようです。
 地域によっては「喪主」を「施主」という名で呼ぶこともあります。しかし、意味的に「喪主」「施主」を使い分けしているとは必ずしも限らないようです。

 戦前は、「喪主」は「戸主」または「跡継ぎ」が務めるものとされていましたが、戦後の民法では家制度はなくなり、定まっていません。実際にも子どもが数人いる場合に、長男だけが喪主を務めるのではなく、子どもが複数共同で務めるケースもあります。また遺族側の事情で死亡した本人のきょうだい、娘の夫等が「喪主」「施主」を務めることもあります。

 戦後は「誰が喪主を務めるべき」「誰が挨拶すべき」ということは定まっていないため、遺族の事情に応じて柔軟に決めてよいように思います。友人代表が遺族の代理で務めるというのもあり得るでしょう。

 民法で解釈するならば「祭祀主宰者」となります。この場合、本人が生前何らかの形で指定した人がいればその人、特に指定した人がいなければ「慣習による」とあります。戦前の長子承継を考慮したものと思われますが、戦後約70年になるので、慣習も変化し、それぞれの家族の事情でいいと思います。もっとも家族内で意見が異なり紛争になるようでしたら、民法の定めに従い、家庭裁判所で決してもらいます。

 会食の最初、最後に遺族代表が挨拶するのは、会食の席が遺族がお世話になった方々へのお礼の場という設定からです。
 挨拶者は定まっていませんが、葬祭業者が代行するのはいきすぎです。宗教者が遺族を配慮して代行して行うならば理解できます。



Q104 「平均寿命」とは?

 母は先日87歳の誕生日を迎えました。新聞に女性の平均寿命は86・41歳とあったものですから、母は「さあ、平均寿命も超したから、そろそろお父さんに迎えに来てもらおうかしら」と言ったら、弟が「母さんまだ平均まで生きていないよ」と言いました。平均寿命は平均じゃないのですか。(61歳女性)


A最新の平均寿命2012(平成24)年の平均寿命は、男性が79・94年、女性が86・41年となっています。これは「平均寿命」と言っていますが、0歳児の平均余命です。したがって現在の87歳の人の平均とは厳密には違います。しかし、0歳児の平均余命は「すべての年齢の死亡状況を集約したもの」ですから、一つの目安にはなります。

 いちばん実感的に「平均」に近いのは「寿命中位数」というもので、半分の人が生きる年齢のことです。寿命中位数で見ると、男性は82・95歳、女性は89・25歳となっていて、平均寿命より少し高くなっています。

 ちなみに85歳の人の平均余命は、男性が6年、女性は8・1年となっています。現在85歳の生存している女性が残り平均生きられる年齢は93歳となります。
 ですから弟さんが言った「平均」が「寿命中位数」のことでしたら、お母様の歳の平均は後2年あることになります。

 でもこれらはすべて目安であって当然にも平均を超して生きる人もいれば、平均に達しないで死亡する人もいるわけです。
 個人的なことを言えば、私の母は5人きょうだいでしたが、私の伯母である一番上の姉、2番目の姉はいずれも50代で死亡し、3番目の母は98歳、次の弟は85歳、いちばん下の弟は第二次世界大戦でフィリピンで死亡しているので22歳でした。いかに実人生は統計上の平均と異なるかがわかります。

 また元気でいられる年齢というのもさまざまです。自覚的な衰えをアンケートで尋ねると男性は70歳、女性は74歳程度というのが「平均的な回答」です。
 しかし介護保険のサービスを受けない平均の年数は、男性77年、女性83年となっています。
 もしお母様が87歳で、それなりに弱っていても介護保険のサービスを受ける必要がないなら、平均に比べると、お元気な部類に入ります。

 これもあくまで「平均」の話で、40代で介護のサービスを必要とする人もいれば、100歳を超えてもお元気な方がいらっしゃいます。
 また、個人的は話になりますが、女性のほうが長寿という統計がありますが、68歳という私の同級生では死亡した人数は男性より女性が多いのです。いかに統計と実際ではくいちがうことが多いかを示しています。

 いま「高齢化率」という言葉が注目されています。
 これは65歳以上人口が全人口に占める割合です。
 一般に「高齢化社会」と言われるのは高齢化率が7〜14%まで、14%を超えると「化」が取れて「高齢社会」、さらに21%を超えると「超高齢社会」と言われます。
 日本は2007年にすでに高齢化率が21%を超えて「超高齢社会」に入っています。12年の高齢化率は24%を超えてほぼ4人に1人が高齢者となっています。

 高齢化の波は日本特有のものではありません。アジアでも韓国、中国が高齢化傾向にあり、欧米諸国も高齢化の道を歩んでいます。
 日本は将来推計では2025年に高齢化率が30%を超えるだろう、と予測されています。しかし、都道府県別に見ると、12年現在、秋田県、島根県、高知県の3県がすでに30%を超えています。

 7年後の2020年のオリンピックが東京で開催されることが決まりました。前回の東京オリンピックは1964年でした。この年の日本の高齢化率はほぼ6%でした。当時は「高齢化」以前の「若い国」だったことがわかります。
 しかし、考え方を変えれば、前の東京オリンピックの時は「バリアフリー」という考え方もまだ一般に定着していなく、高齢者や障害者には生きにくい社会でした。現在は障害者や高齢者向けの政策には、まだまだ課題はあるものの、ずいぶんと優しい社会になってきています。

 健康寿命と深く関係するのが「前期高齢者」と「後期高齢者」の区分です。高齢者の中でも特に75歳以上を「後期高齢者」と呼んで区別しています。
 2012年の75歳以上人口は、1519万人で総人口の11・9%(男性9・4%、女性14・3%)です。
 今後は「高齢者虐待」もさらに問題化するだろうと見られています。



Q103 「後見制度」とは?

近所で一人暮らしをしている兄の認知症が進行し、民生委員の方が「後見を申し立てたら」とアドバイスをしてくださいました。どういう制度か教えてください。(79歳女性)


A  この場合、民生委員の方がおっしゃったのは「法定後見」のことだと思います。すでに判断能力が不十分となった人への後見を「法定後見」と言います。判断能力の程度に応じて、「後見」「保佐」「補助」とあります。いずれも家庭裁判所に申し立て、成年後見人、成年保佐人、成年補助人が選ばれます。後見(保佐、補助)人は本人の利益を考え、本人に代理して契約等の代理をしたり、本人の法律行為に同意したり、知らずに行った法律行為を取り消したりして、本人を保護、支援をします。

「補助」は、軽度の精神上の障害(知的障害、精神障害、認知症等)で、日用品の購入など日常生活への支障が特にないが、本人が法律行為に不安を感じ、補助の範囲を定めて、本人が申し立て、あるいは本人が申し立てに同意した場合です。家庭裁判所は補助人を選定し、保護が必要な法律上の行為の同意権、取り消し権、代理権を与えます。たとえば本人が10万円以上の買い物、契約をした場合、補助人の同意が必要で、補助人には取り消し権がある、などです。2011年には1144件の申し立てがありました。

「保佐」は、「補助」よりも判断能力の欠如が著しく、中度の精神障害で、保佐人の同意なくして定められた範囲の法律行為ができない場合です。
 法務省の挙げた例を挙げておきましょう。本人は1年前に夫を亡くした後、一人暮らしをしていた。以前から物忘れが見られたが、最近症状が進み、買物の際に1万円札を出したか5千円札を出したか、わからなくなることが多くなり、日常生活に支障が出てきた。ここで長男夫婦と同居し、長男を保佐人にし、長男に法律上の行為の代理権を付与した。
 保佐人も法律上の代理権の範囲は本人が理解している必要があり、日常の買い物程度は本人が行うことを認めています。

 2011年には3708件の申し立てがありました。
 以上の「補助」も「保佐」も日常の買い物程度は可能で、補助や保佐の範囲も定めています。
 これに対して「後見人」と呼ばれるものは、補助(軽度)、保佐(中度)よりも認知症、知的障害、精神障害が進み、判断能力が欠けている状態が通常である人を保護、支援する制度です。日常的な買い物程度を除き、法律行為については、後見人に代理権、同意権、取り消し権を広く認めた制度です。
 法定後見が最も多く、11年には2万5905件の後見開始の申し立てがありました。

 法定後見は、すでに判断能力が衰えたり、限界があったり、なくなった人を保護、支援する制度です。本人、家族の申し立てを待っていては保護されないケースがあるため、家庭裁判所への申し立ては、本人、配偶者、四親等以内の親族に加えて検察官、市町村長ができる、と定められています。つまり行政に地域住民を保護、支援する権限を与えています。

 実際に申し立てた人は、本人7%、配偶者7・7%、親6%、子37・6%、兄弟姉妹13・9%、その他親族13・8%、市区町村長11・7%、その他、となっています。
 以上、「法定後見制度」について説明しましたが、ほかに「任意後見制度」があります。本人が老齢化等で認知症になるなどして将来判断能力が失った際の後見人、後見の内容を定めて公正証書を作成しておく制度です。合わせて「成年後見制度」と言います。「成年後見」というのは、本人が判断能力を失ったときに支援する制度のことです。

 旧来の禁治産・準禁治産制度に替わるもので、2000年4月1日に介護保険法と同時に成年後見関連4法が施行されました。
 成年後見制度は、成立からわかるように、高齢者の増大が認知症高齢者の増大を招き、これを何とか保護しないといけない、ということでできた制度です。禁治産・準禁治産制度は行政処分の措置ですから、本人の自己決定権の尊重、身上配慮などはなく、差別的なものでした。

 最高裁事務総局家庭局によると、法定後見は2007年から11年までの5年間に11万7476件の後見開始の申し立てがありました。任意後見の開始を示す任意後見監督人の選任申立ては5年間で2647件となっていて後見開始全体の2・2%にすぎません。




Q102 「式中初七日」は必要?

東京にいる従兄が死に、姪から葬式の連絡がきました。式次第に出棺前に「式中初七日」という見慣れない言葉が入っていました。火葬前に初七日をする意味があるのでしょうか。(77歳女性)


A 普通「初七日」といえば死亡した当日を入れて7日目に行われるもの、とされてきました。
 ところが葬式は、だいたいが死亡した翌日に通夜、翌々日に葬式して火葬…ですから3日目、4日目あたりに行われるのが一般的です。

 かつては地域共同体主催型が多かったし、葬式を終えてまたその3〜4日後に集まるというのも苦ではなかったでしょう。しかし今は家族も全国に散る等しているので、葬式してまたすぐ集まるのは大変という理由で、初七日法要が葬式当日のすべてが終了した後に繰り上げて行われることが多くなりました。

 その場合でも、葬式が済んで、遺骨を自宅に安置する際の還骨法要に引き続いて初七日の法要を行い、その後に関係者に感謝して会食(忌中引き、忌中祓い、仕上げ、お斎と呼ばれることがあります)をするパターンが一般的でした(還骨法要と初七日法要とが連続して行われるために、還骨法要が行われたという意識のない人が多いのですが)。

 遺族は火葬が始まる前までは精神が緊迫しているのですが、骨上げ(拾骨)に入ると、精神の虚脱から一種奇妙な解放感が拡がることが珍しいことではありません。これを体験した方は少なくないでしょう。もう死者の身体はないこと、取り戻せないこと、についての諦めなのでしょうか、送る作業が終わった、ということなのでしょうか、柔和な、不思議な空気が漂うものです。

 本来は自宅に遺骨をもち帰り、後飾り壇に遺骨を安置しての法要となるのですが、火葬終了後に、お寺、斎場(葬儀会館)あるいはレストランで「会食前」に行われることが多くなっています。
 それが3〜4年前からでしょうか、関東、特に東京23区内では、葬式に連続して、出棺前に初七日法要をすることが多くなってきました。葬式内で行われるので「式中初七日」と呼ばれるのですが、何か違和感があります。「繰り上げ初七日だって葬式の当日に行うのだから一緒ではないか」とおっしゃる方もいるでしょう。「やらないよりやったほうがいい」とおっしゃる方もいらっしゃるでしょう。

 でもあえて言うならば、形骸化した法要はやらないほうがまし、だと思います。
 四十九日まで7日ごとに営まれる法事には、僧侶や縁者にとっては遺族が葬式後どうしているかを見守り、周囲も死者を忘れているわけではない、というメッセージがあると思います。 
 遺族にとってみれば、悲嘆の中にありながら、死者を弔うことを7日ごとに繰り返すことは意味のある作業です。

 ですから7日ごとに営む法事は身内(家族と特に親しい縁者たち)だけで、形式ばらずに、見栄をはらずに自宅の仏壇の前、あるいは寺で行うプライベートなものなのです。
 葬式の中で、公衆の面前で、他人の目を気にしながら営まれるものではけっしてないのです。

「式中初七日」が行われることでなくなったものがあり、それは「還骨法要」(宗派により「安位諷経」など名称は異なりますが)です。火葬され遺骨になった死者と向き合う作業が省略されたのです。
 
 こうした簡素化は、今さら始まったことではありません。繰り上げ初七日の後は三十五日か四十九日のどちらかを関係者を招いて営むことで終わらせてきたのです。
 でも地方に行けば、皆を招くのは三十五日か四十九日を期して行う法事ですが、間の7日ごとに身内と檀那寺の住職だけでひっそりではあるが営んでいるところは多く見受けられます。

 そういう地に行って「式中初七日」のことを話すと、一様にぽか〜んとした顔でいます。理解できないのが正常な神経だと思います。
 葬式当日の初七日法要が遺族に精神的に負担になるなら省略し、二七日(14日)に繰り下げて一緒にやればよいこと。もはや葬祭業者が首を突っ込むことでもありません。
 こうした無茶な簡素化、省略は、必然性を奪います。そのうち葬式すら営む意味を奪い取るでしょう。

 四十九日は仏教が広めたのは事実です。しかし、家族と死別し遺族になった人たちの心理に納得させるもの、必然性があったから支持されたのです。こうした根っこを無視して営む儀礼は、無意味を通り越して危険でもあるように思うのです。



Q101 西日本の骨上げは「遺骨遺棄罪」に該当する?

散骨で遺骨遺棄罪かどうかが問題になりましたが、関西では火葬場で骨上げする際、ほんの一部のみ拾い、残りのほとんどは置いてきます。あれは遺骨遺棄罪にあたらないのでしょうか?(63歳男性)


A 「遺骨遺棄罪」の規定は刑法190条にあります。つまりは「遺骨の遺棄、棄てる」行為は法律的に禁止されています。
 お尋ねの骨上げの件ですが、東日本の全骨拾骨、西日本の一部拾骨は地方習慣です。社会的習俗に属するので、これは法律で問題にする範囲を超えています。したがって西日本の一部拾骨は刑法の遺骨遺棄罪に該当しません。

 それを合理化するために、「焼骨」は「火葬された骨」の意で、「遺骨」は「遺族関係者によって拾骨された焼骨」「土葬された遺体が骨化したもの」「墓地に埋蔵、納骨堂に収蔵された骨」を意味するよう解釈します。

 骨上げされなかった骨を「産業廃棄物」とよぶ人がいますが、そこまで特定されてはいません。いわば「名前のない人骨」となり、「家族も所有権を放棄したもの」として取り扱われ、「刑法でいう遺骨ではない」と解釈されています。したがって一部のみ拾骨し、残りを拾骨せずに火葬場に置いてきても、刑法の遺骨遺棄には該当しません。

 墓地以外の海上や山に遺骨を細かく砕き撒くことは遺骨遺棄を禁じた刑法に違反する行為ではないか、という議論がありました。
 葬送の自由をすすめる会は次のような見解を公表しています。
〈遺灰を海や山に還す自然葬は、私たちが運動を始めたころは違法のように思われていました。私たちは、葬送のために節度のある方法で行われる限り問題はないと主張し、1991年に相模湾で第1回自然葬を行いました。これについて、法務省、厚生省(当時)も追認する見解を出し、葬送の自由という基本理念が確立しました。〉
 ここでは法務省、厚生労働省が追認する見解を出した、とありますが、それは事実誤認です。

 相模灘での自然葬(散骨)を報道する朝日新聞の社会部の記者が法務省に取材した際に、法務省刑事局の担当官が見解を出した、として報道しました。後日、筆者が同じ担当官に取材したところでは、「散骨について法務省としての公式見解を発表した事実はないし、法務省刑事局で認定するものではない。法律に抵触するかどうかは裁判所が明らかにするものである」と否定しました。続けて「散骨散骨(自然葬)について法務省は今すぐ遺骨遺棄罪で摘発することは考えていない」として、「法務省の公式見解としてではなく、法曹人個人としての考えを言うならば、刑法190条は『遺骨に対する社会的風俗としての宗教感情を守ること』を法益(法律の立法精神)とするものであるから、散骨は外形的には違反するが、遺骨を棄てる目的ではなく、あくまで葬送を目的として行うものであり、相当の節度をもって行うならば違反とはならないであろう。世論動向と共に目的と方法を注意深く見ていく必要がある」と法務省、検察がすぐ摘発することは考えていないことを明らかにしました。

 2002年4月5日実施の内閣府世論調査では「散骨(河川、海、山林等に骨を散布する)という葬法が広く普及していってもよい」いう質問に、「全くそう思う(賛成)」との回答は11.4%、「どちらかといえばそう思う」が16.2%、「どちらともいえない」が35.7%、「どちらかといえばそう思わない」が15.7%、「全くそう思わない(反対)」が20.7%でした。

 これは「違反」か否かを問うた質問ではありませんが、「全くそう思わない(反対)」と「どちらかといえばそう思わない」を合わせても36.4%ですから「違反」とまでは思っている人は少数と考えることができます。
 小谷みどりさん(第一生命経済研究所主任研究員)が「2009年に実施した調査では、散骨を『葬法としては好ましくない』と考えている人は14.7%で、『自分はしたくないが、他人がするのは構わない』と回答した人が55.1%と過半数を占めた」(「散骨が新しい葬法として定着なるか」)と報告しています。

 国民感情ですから、世論の動向が問題となり、国民感情としては法律違反とまで考えていない、ことになります。しかしどういう方法でもよいのではなく、「相当の節度をもって行う」が必要となります。
 なお厚生労働省は「墓地埋葬法は散骨を前提としていない」と判断を留保しています。



Q100 おじやおばが口を出すが…

先に父を送った時におじ、おばらの親戚が何かと口を出してきて苦労しました。母の時、親戚に口を出させないいい方法はありますか。(51歳女性)


A  葬式というのは皆厳粛な顔をして静かにしているもの、と考えていると、実際にはけっこう騒々しくてとまどうことが少なくありません。
 お尋ねの親戚の意見だけとはかぎらず、家族の間でもそれぞれが気が立って、つまらないことで言い合いが起こるものです。

 親が亡くなった時、子どもたちがきょうだい間で揉めることは、80年頃以降に強まった現象といわれています。家長の権限がなくなり、きょうだいは平等に遺産を相続することになった戦後の新民法が普及したことを理由とする人もいます。

 たとえばその一つに、親の面倒は長男一家がみるケースが多いことから、長男とその他のきょうだいが対立するケースがありました。
 しかし、今では親の世話を長男一家がするのは必ずしも常識ではなくなっています。長男の「嫁」が世話するよりも実際の娘が世話するケースが上回っています。娘が結婚しようが独身であろうが変わりはありません。親の世話を誰がするかはそれぞれの事情によりさまざまです。

 きょうだい喧嘩の原因はそれだけではありません。それぞれのきょうだいがそれぞれが親と固有の関係を結んでいる部分があるからです。
 古い話ですが、私の祖母が93歳で死亡した時、父とおじが何かと言い争っていたことを記億しています。その争った内容はごくごく些細なことで、孫世代はただただ呆れて傍観をきめこみました。すでに死亡していた祖父は破産し、息子の家に厄介になった身ですので、祖母には遺産はありません。ですから遺産目当ての喧嘩ではないのです。

 私の父や母が死亡した時、父とおじの言い争いを経験していたので、きょうだい3人で話して、意見が合わなかった点については多数決で決定すると最初に申し合わせました。おじが来た後はおじの意見も参考にしました。くい違いといっても些細な点ですから、ルールさえ決めてあれば、感情を後にもち越すことはありませんでした。

 98歳で死亡した母の時は、母のきょうだいはすべて先立っていましたので、来たのは親戚といってもいとこたちだけでした。
 87歳で死亡した父の時は、5人きょうだいで唯一残った弟であるおじが来てくれました。その他はいとこたちでした。
 おじは自分の母である祖母の葬式では意見を言いましたが、父の葬式では終始口を開かず、父の子どもである私たちきょうだいのするままに任せてくれました。

「葬儀の挨拶状は子どもたちが書くように」というのが父の言いつけでしたから、挨拶状は兄が原文をつくり、私がそれに大幅に手を入れ、最後に姉がその文章を手直ししながら入力して完成させました。
 誰の名前で出すか、という時、母を最初に、生まれた順に、姉、兄、末弟である私の順に書き、最後におじの名前を入れました。おじに伝えると「ぼくはいいよ」と言いながら少しうれしそうでした。

「親戚が口を出す」というのは戦前の家制度の慣習が残っているところだけで、実際に口を出す可能性があるのは、故人のきょうだいたちであるのがほとんどです。きょうだいにはきょうだいなりの想いがあります。また、あって当然です。
 しかし、子どもにとっては、それを「本人のきょうだいの意見」とは受け取らず、「他人でしかない親戚が口を出す」と受け取り、感情的にぎくしゃくしがちです。それは子どもにとっては「ほかの誰でもない自分たちだけの親」という占有意識をどうしても抱いてしまいがちだからです。

 死亡した本人の配偶者、子ども、きょうだい、というのはそれぞれ本人に対して独特の強い想いを抱きます。その想いが一致すればいいのですが、とかくくい違い、感情的なもつれを生む一因となります。

 質問への回答は、相手の立場を理解して充分に話し合う、以外にはありません。そして最後は誰かが我慢しなければまとまらないことも事実です。
 人の死、というのは、それほど近親者にとっては感情のひだに抵触する出来事なのです。感情がもつれるほど、家族のなかで死別のもつ感情は強いものがある、と考えるべきでしょう。

 諍いがある、というのは家族がいる、ということ。遺体を引き取る身寄りさえいない死者が年々増加していることがむしろ気がかりです。



Q99 夫婦とも散骨をしたいが?

私たち夫婦には子どもがいません。それぞれの実家の墓はきょうだいの子が継いでいるので、自分たちは散骨をしたいと思っています。散骨について注意すべきこと、届出等を教えてください。(68歳男性)


Aまず、「散骨」について説明しましょう。
 散骨とは英語で「スキャタリングscattering」といいます。「スキャタscatter(撒く、ばらまく)」という言葉から生まれ、葬送用語としては「遺骨を粉々にして撒く」ことを意味するようになっています。

 欧米では国や州で法令で定めているところがありますが、日本には直接「散骨」に言及した法律がありません。しかし、どう行ってもよいわけではありません。

 1991(平成3)年に葬送の自由をすすめる会(当時=安田睦彦会長、現在=島田裕巳会長)が神奈川県の相模灘で「自然葬」と名づけて散骨を行い、話題となりました。万葉集にも散骨らしき記述が見られるので、日本でも古代、中世では行われていたと推測されていますが、近代以降では公にされた最初の事例です。

 日本で法律的に公認されている葬法は、「墓地、埋葬等に関する法律(墓埋法)」に基づく土葬(墓地への遺体の埋葬)、火葬、火葬後の遺骨の墓地への埋蔵、納骨堂への収蔵、そして「船員法」に定められた遺体を公海上で水葬することです。

「土葬」「火葬」「焼骨(火葬後の遺骨)の埋蔵」「焼骨の収蔵」「水葬」については法律に定められていて、実施には条件がついています。また遺体、遺骨については刑法190条に規定があり、「遺骨遺棄」「死体損壊」「死体遺棄」が禁じられており、遺体や遺骨については、遺体や遺骨に抱く社会的習俗としての宗教感情(遺体、遺骨に寄せる大切にすべきだという国民感情)を尊重すべきことが定められています。したがって墓埋法や船員法に定められていなくとも、刑法190条を無視した遺体、遺骨の取り扱いは禁じられている、と解釈されています。

 散骨(自然葬)について厚生労働省は、墓埋法では言及していないとして態度を明らかにしていませんが、以下のような法律的解釈が法曹界でほぼ共有されています。
「散骨(自然葬)については、あくまで葬送を目的として行われ、相当の節度をもって行われるならば違法とはいえない」

 この「相当の節度」とは、@遺骨を細かく砕き、原状をとどめない(外見から遺骨とは推定できない程度まで細かくする。ほぼ2ミリ以下)。A遺骨を撒く近辺の住民感情に配慮する(陸地では、生活用水として使用されている川、生活地域=農地、商店街、住居地とその近辺は避ける。海では、養殖場や海水浴場の近辺は避けて陸地から遠く離れた区域で行う)等をいいます。

 12年4月より墓埋法が改正され、墓地、火葬場等の許可、変更、規制等の運用については従来の都道府県知事から市区長(町村は都道府県知事のまま)に移譲されました。
 すでに北海道長沼町、七飯町、岩見沢市、埼玉県秩父市、長野県諏訪市、静岡県御殿場市では条例を設けて散骨(自然葬)の禁止や規制を打ち出しています。今後は市区レベルで規制が行われる可能性があります。

 また、こうした規制自治体が増加することを懸念し、NPO葬送の自由をすすめる会では議員立法で葬送基本法をつくる運動を行っています。

 なお欧米では散骨(自然葬)について墓地内に散骨用の区域を設ける例が多く、日本でも「墓地として許可を受けた区域内に散骨用スペースを設けて散骨を行うこと」は合法と解釈されています。

 墓地内に散骨する場合には火葬許可証(あるいは分骨証明=火葬証明書)の提出を求められますが、墓地以外に散骨する場合には届出あるいは火葬許可証(火葬証明書)の提出義務はありません(一部の散骨事業者は火葬許可証〔火葬証明書〕の提出を求めています)。

 夫婦2人の世帯で夫婦共に散骨を希望される場合、個々に散骨を行ってもかまいませんが、先に亡くなった方の遺骨を保管しておき、2人が亡くなった段階で、指定しておいた祭祀主宰者(家族以外も可)に、2人の遺骨を一緒に散骨してもらうよう委任しておきます。
 委任する場合、委任する人(NPO等の団体も可)と生前契約を結び、遺言で祭祀主宰者の指定さらには遺産の中から費用を支払う場合には負担付遺贈を指定しておきます。

 散骨(自然葬)は自然回帰希望者の増加、後継者がいない・いても死後を託したくない人の増加で、今後増えることが予測されます。



Q98 災害時の葬儀費用は?

災害時の葬儀費用は?(48歳女性)


A2011年の東日本大震災のような大災害では、被災して亡くなった方の家族も着の身着のままだったのでお金を所持していなかった方も少なくありません。
 お金がないと亡くなった方の火葬もできないのでは困ります。そのため災害救助法を定め、実質的に住民が困らないよう救助する仕組みができています。

 「災害救助法」の目的は「災害に際して、国が地方公共団体、日本赤十字社その他の団体及び国民の協力の下に、応急的に、必要な救助を行い、災害にかかった者の保護と社会の秩序の保全を図ること」(第1条)と定められています。

「応急的に、必要な救助」とありますので、あくまで緊急時に行われるものです。支援の対象者は「当該災害にかかり、現に救助を必要とする者に対して、これを行なう」(第2条)とあるように被災者に直接行われます。

 この救助の種類は、(第23条)
1.収容施設(応急仮設住宅を含む。)の供与
2.炊出しその他による食品の給与及び飲料水の供給
3.被服、寝具その他生活必需品の給与又は貸与
4.医療及び助産
5.災害にかかつた者の救出
6.災害にかかつた住宅の応急修理
7.生業に必要な資金、器具又は資料の給与又は貸与
8.学用品の給与
9.埋葬
 とあり、「埋葬」があります。

 この「埋葬」は、遺体の収容、安置、検案、納棺、火葬場への搬送、火葬、骨壺の費用とみなすことができます。
 あくまで応急的に必要な救助に限定されるので、きちんとしたお葬式をあげる費用や宗教者へのお礼等の費用は含まれません。
 また、市町村が棺、骨壺等の物品を手配して現物支給したり、火葬場までの遺体の搬送費用等の作業費を負担することがあります。

 しかし、事情があってすべてを市町村ができないものがあります。そのため「前項の規定にかかわらず、救助を要する者(埋葬については埋葬を行う者)に対し、金銭を支給してこれをなすことができる」とあります。

 今回の震災では火葬までの葬儀会館への安置や、納棺作業、遠隔地での火葬の費用等がありました。被災地の状況によっても市町村が直接救助ができたり、できなかったりの差がありました。
 このため各自が葬儀社に頼んで行ってもらった費用については領収書か請求書を添付して住民が市町村に請求することになります。

 今回の震災では先に葬儀社に被災者が支払って、明細書付きの領収書を添付して市町村に請求して住民に現金で支払われましたが、明細付きの請求書でも可能です。
 但し、今回は各市町村も葬祭業者も災害救助法の救助対象について理解が充分に行き届いていなかったので、実際には市区町村や葬祭業者によっての差が出ました。今後はこれを教訓に理解が統一されることでしょう。念のために市区町村に事前確認をしてください。

 今回の震災では、市区町村指定以外の遠隔地の火葬場への搬送費も後から認められました。また市区町村によっては約20万円(生活保護への葬祭扶助と同等程度)が埋葬費として支給されました。
 災害救助法の適用地区とするのは都道府県が決めますが、厚労省が適用基準を作っています。「災害により市町村の人口に応じた一定数以上の住家の滅失がある場合等(例 人口5000人未満 住家全壊30世帯以上)に行う」等。

 都道府県が全葬連(全日本葬祭業協同組合連合会)、全互協(全日本冠婚葬祭互助協会)、全霊柩(全国霊柩自動車協会)等の団体と支援協定を締結している場合には、協定に応じて都道府県が支援団体に支援を依頼し、その費用は都道府県から支援団体に直接支払われます。
 市町村が直接支援した費用については原則都道府県が支払います。
 国は都道府県の負担額の9割を原則として上限として負担するとなっていますが、災害の種類や程度によって異なります。

 災害救助法は東日本大震災のような広域な災害だけではなく、地域を限定して台風、大雪等の災害でも適用されます。
 今回の大震災では葬祭業者の考えに相違もあり、被災者に一切請求しなかった例、住民に過大な請求をした両例がありました。


Q97 安い葬儀はいくら?

そろそろ人生の仕舞い支度をしようと思っているのですが、葬儀は最低でいくらかかるのでしょうか?(72歳女性)


A最近多いですね。「安い葬儀」の希望が。葬儀の電話相談を受け付けているところに訊いたところ、「会葬者20人、親族10人でいくらかかる?」という電話がよくあり、数社から見積書をとってファックス等で送ると、中身を見ずにいちばん安い葬儀社を指定するお客さんがけっこういるのだとか。

「できあいのお葬式なんてないのに、それ以上詳しい情報もなしに見積書を出す葬儀社がよくいるもんだ」と聞いた私は、葬儀社の対応にも興味をもちました。あたかも「コロッケパン30個で見積書作って」と頼んでいるほうも、見積書を作るほうも、中間に入る相談センターも、同じようなものと考えているのではないか、と思ってしまいました。

ここはネットの出番、ということで「安い」「葬儀」をキーワードにして調べてみるとあるんですね。
 A社では返礼品と料理がないコースが42万円から、料理・返礼品が10人分入って63万円から。
 B社は「火葬式プラン」がお通夜・お葬式なし、返礼品・料理なしで16万8千円、「一日葬プラン」がお通夜抜き、返礼品・料理なしで32万8千円、「家族葬プラン」というのが通夜、告別式、式中初七日がありますが返礼品・料理抜きで48万8千円から。なぜか「家族葬」には式中初七日が入り、「一日葬」には式中初七日なし。

 C社の「火葬式プラン」は地域によって火葬料がかかるところ、寝台車の距離が違うので10万円から。「家族葬プラン」はなぜか親族中心の密葬で、しかし通夜、葬儀・告別式があって23万円から、返礼品・料理は別途のようです。「一般葬プラン」は安置料金、返礼品、火葬料、料理は別途のようで最低が28万円のようで、いろいろあるということでしょう。

 D社の「火葬式プラン」は17万8千円。ここは地域による火葬料の違いもなく(実際は住民かどうか、民間とか違うのになぜか一律です)、返礼品や料理はなく、僧侶を頼むことだけがオプションで5万5千円。「一日葬」が33万8千円、これに僧侶を頼むと8万5千円、料理は1人前3150円から、返礼品は1人前525円から。通夜、告別式・式中初七日で49万8千円。追加は僧侶16万円、料理は1人前3千150円から、返礼品は1人前525円から。ここがおもしろいのは寺院費用。一日葬の8万5千円の場合、手配料(葬儀社に入るのでしょう3万5千円、お布施(僧侶へ入るのでしょう)5万円と内訳を決めていること。どうもこの会社、全国で受けているが全国に営業所のある気配なし。要するにネットや電話で葬儀受注して地元の葬儀社に手配している感じ。この費用の中に手配料が入るのでしょうが、その内訳は示されていません。寺院費用のように明示したら明朗になるのに。

 E社は、「直葬」が17万5千円、但し東京都内の民間火葬場+式場利用はプラス15万円、首都圏の有料公営火葬場+式場利用はプラス5万円となっています。通夜なし告別式+式中初七日の「一日葬」は33万5千円、但し地域による火葬場+式場利用はプラス5〜15万円、料理は1人前3150円から、返礼品は1人前525円から。僧侶を手配すると戒名なしが6万5千円、戒名ありが8万5千円、紹介料はなし。「自宅葬」は39万5千円、有料火葬場利用はプラス6万円。僧侶は戒名なしが14万円、戒名ありが16万円。家族葬は49万5千円、有料火葬場や式場利用のプラスは他と同じ、返礼品や料理は別途、僧侶は他と同じ。これに通夜振る舞い、精進落としの料理、返礼品が各15名分を含み59万5千円。さらに生花祭壇をグレードアップすると79万5千円となります。

 これ以上の紹介はやめておきましょう。どの会社も満足度は自分のところが一番と言っており、どんなグレードの葬祭サービスかは一切不明。
 大きな文字で「追加料金一切不要」と大きな文字で書いておいて、オプションは小さな文字で書いているというのも共通しています。

 さらに中には全国各地のサンプル調査である日本消費者協会のデータと15名など前提つきの自社プランを比較しているところも。これは景品表示法違反です。

 僧侶紹介の定額化は、大都市では実際かなり進んでいるようです。これでは「お布施」ではないですね。
 ちなみに生活保護の葬祭給付は18〜21万円程度です。「納骨まで」と書いていますが、実際にそこまで含んだ運用はあまりないようです。


Q96 エンディングノートを親に書いてもらうには?

両親が80歳を越えました。病院には通っていますが、まあ元気にしています。歳ですから親の最後の希望のことも考えてしまいます。エンディングノートを書いてもらいたいのですが、どう話したらいいでしょう。(56歳女性)


Aおそらくご夫婦2人暮らしのようですね。ご自分が病弱であると不安はもっともなことです。全部を家族で完璧にしなければいけない、と考えるなら、それはできないでしょう。また、配偶者も自宅がどんな暮らしかわからないで言っているのではないでしょう。充分な看護、介護ができなくとも、家族と最期を過ごしたい、と思っているのではないでしょうか。

 在宅ケアを希望されるなら、まず医療面では病院の医師にご近所の訪問治療を行ってくれる開業医を紹介してもらい、医師同士の情報の交換をしっかりやってもらうことです。
 生活面では介護保険を用いた介護を受けられるように手配します。まず市区町村の介護保険課に行って相談するとよいでしょう。近所に地区担当の民生委員がいると思いますので相談するとよいでしょう。ご自分が世話をできないことを話してどういったサービスを受けられるかを相談します。
 こういった相談は娘さんにやってもらうといいかもしれません。

 こうした公的なサービスを受けることによって、家族だけではとうていできないことも可能になるでしょう。
 もう一つは、完璧を望まないことです。充分な身体的世話は難しいとしても、一緒にいる時間を大切にすることです。

 娘さんとは連絡がすぐ取れるようにしておくといいでしょう。
 終末期ということは配偶者も知っていて自宅がいい、と考えておられるのですから、病態が変化しても慌てないことです。価値の中心を本人が自宅にいられること、に置いて、治療して回復することは二の次にされるといいでしょう。

 娘さんにも多少は負担をかけるでしょう。しかし、あなたの意思として「無理しないで」と伝え、できる範囲での支援にしてもらうといいでしょう。お子さまが他にもいれば、こういうことになったから、と話して、娘さんだけにかたよらない、できる範囲での支援をお願いしておくとよいでしょう。


Q95 在宅で夫を看取れるか?

88歳になる夫が終末期に入りました。夫はしきりに家に帰って死にたい、と言います。しかし、私は病弱で世話をする自信がありません。娘が近くにいるのですが、娘に負担をかけるのにも躊躇してしまいます。(83歳女性)


A子どもが思うよりも高齢者は終末期や死後のことについて意思を伝えておきたい、と思っているようです。子ども側に「そうした話はまずいのではないか」という配慮がありすぎるようです。
 エンディングノートを渡して書いてくれるように望むのは難しいケースが多いです。むしろエンディングノートはあなたの手元におき、時間をかけてご両親の意思を聞き取り、あなたがまとめておかれるのがいいのではないでしょうか。

 エンディングノートは全部を埋める必要がありません。肝心のところが聞き取れていればいいとしましょう。
 ある程度まとまったら、ごきょうだいがいらっしゃれば来ていただき、皆の前で読んで確認するといいでしょう。ご家族が皆でご両親の意思を確認することは大切なことです。
 ご両親が今は内緒にしたいことがあれば、書いてもらい、それを皆の前で封をし、しまっておく場所を確認します。

 心配ごとがあればお子さんで手配して専門家の意見を聞くなどして解決しておくといいでしょう。
 財産に関することで希望があれば公証役場に行って公正証書の遺言を作ってもらうこともできます。拡散してわからなくなると困るので、置き場所を教えてもらうといいです。

 事務的なことも大切ですが、ご両親のお子さんたちへの希望、期待することをきちんと聞き取ることです。案外と両親の気持ちを知るということは難しいです。
 聞き方も大切です。何より両親の想いを引き継ぐ姿勢があることが求められます。遺産のことも大切ですが、それにばかり目が向くと、親は想いを話すことができなくなります。


Q94 遺体安置はいつまで?

兄が95歳の長命で死亡しました。甥から知らせがあったのですぐ行こうとしたら「葬式は2週間後で、それまでは斎場の保冷庫に預けたから、今は会えない」というのです。そんなに長く預けて大丈夫なのでしょうか。(82歳女性)


A遺体に対する感覚の差が遺族でも見られるようになっています。かつては病院で死亡した場合はまず自宅に送り、自宅の布団に寝かせて一晩を過ごし、翌日に納棺、その夜または翌々日に通夜、その翌日に葬儀、火葬…というのが一般的でした。東北等の火葬を葬儀に先だって行う「骨葬」地域では、通夜の翌朝に自宅から火葬をし、その足で寺へ行って葬儀を行い、その後で納骨する、というのが基本形でした。

 死亡してから葬式が終わるまでの日程が早くて3日程度、遅くとも5日程度が一般的でした。遺体はいつまでも保全できない、腐敗するからです。かつては自宅に遺体を安置しますから、安置が長期になると、遺体は異臭を放ち始めます。また顔も変化を始めます。遺族は遺体の尊厳が失われるという恐慌状態に陥ります。ですから遺体があまり変容しないうちに葬式をしてしまおうと考えました。

 現在は早めに納棺してドライアイス処置をすれば腐敗の進行を多少遅らせることは可能になりましたし、エンバーミング処置を行えば1カ月程度の保全は可能となりました。遺体の状態によっても大きく変わります。
 しかしエンバーミングするのでなければ2週間以上の引き延ばしは、遺体を公衆衛生上安全に保全するのは無謀です。

 死亡したと判定された時点で遺体への関心をなくす遺族が出てきました。これは葬式をするかどうか、というよりも重要な問題ではないでしょうか。
 冷蔵庫に入れれば安全なわけではないのです。


Q93 社葬で香典は受け取らない?

私どもの会社は従業員数約2百人ほどの中小企業です。会長が危篤で社葬の準備をしていますが、個人葬と社葬の合同葬を企画しています。香典の扱いですが、社葬では香典を受け取らないものでしょうか。(50歳男性)


A「社葬で香典を受け取らない」と言われているのは、初期に社葬を企画した人が面倒を避けようとして行ったもので、そうしなければならない、というものではありません。
「社葬」は会社が運営と費用負担を行う葬儀ですが、葬儀である以上、同時に参列・会葬する人は故人を弔い、故人の遺族へ弔意を表明する意味があります。

 そもそも「香典(香奠)」とは「香を供える」という原義からわかるように、「故人を弔い、故人の遺族へ弔意を表明する」手段の一つです。「社葬」はその運営方式や費用においての意味で、葬儀の内実を変えるものではありません。
 したがって香典は会社が受け取るものではなく、故人の遺族が受け取るべきです。受付では会社の人間は会社としてではなく、故人の遺族の代行をしているものであって、そこで受け取った香典の全額を後で遺族に渡せばよいのです。香典返しをする場合には会社の名と費用負担で行うのではなく、遺族の名と費用負担で行います。その作業の企画・手配等を遺族の同意を受けて会社が無償支援するのは何ら問題ではありません。

 問題は、香典を会社が受け取り、会社の名で香典返しをする場合です。この場合、会社はその費用を経費としては認められず、香典収入は雑収入に計上する必要があります。
 これを、「社葬」は会社の全責任で行うものだからと、面倒を回避して「香典辞退」とした例が多かったために、「社葬での香典辞退」が一般化したのです。

 葬儀の本来の意味を考えれば、葬儀形態のいかんにかかわらず、香典は故人および遺族に渡されるものだということがわかります。
 香典については、参列・会葬いただいた方に故人がお世話になったことへの感謝として行うもので、香典に対して気持ちだけはいただき、現金は辞退させていただく、ということはあり得るでしょう。しかし、香典は任意の気持ちの表明としてあるのですから、面倒とかの理由で香典辞退に走るのは主旨が違うもののように思います。

 香典を受け取る、受け取らないは、葬儀をどのように行うか、という主催者側の考えに基づくものです。しかし、辞退の理由が「面倒」というのでは、その葬儀の主旨に疑問がつくように思います。


Q92 お葬式はいる?

母は82歳ですが、今は元気で実家で一人暮らしをしています。でも高齢でもあり娘としては心配です。実家に母は「私が死んでもお葬式はいらないからね。と言います。何でも15年前に先だった父の葬式で会葬者に頭を下げ続けで、「こんなお葬式はいらない」と思ったそうで、娘に自分と同じことをさせて迷惑をかけるのがいやだというのですが、私は納得できません。(55歳女性)


A 最近の消費者アンケート結果を見ると、「お葬式は簡素に」「お葬式で迷惑かけたくない」「お葬式はいらない」というような意見は、若い人よりも高齢者に多く見られます。
 その理由を考えると、一つは、子どもに迷惑をかけたくない、というのがあります。
 もう一つは、以前にした家族のお葬式でいやな思いがした、というのがあります。

 お母様の場合、特に15年前に経験したお父様のお葬式に悪いイメージをもっておられるようですね。
 バブル期の頃のお葬式に反発を感じた方は少なくありません。
 喪主を務める方には、親戚が「あなたは喪主なのだからしっかりしてね。皆さん忙しい時間をぬって来られるのだから失礼のないように」と言われた人も少なくないでしょう。

 しかし「それっておかしくないか」という疑問をもつ人たちが出るようになりました。遺族が死者を弔うことが充分にできないなどというのはおかしい」、また「こんなお葬式をすると子どもに迷惑をかけるから私の場合はやらなくていいから」と言う人が増えています。

 そもそもお葬式は、お葬式に参列、会葬される方々をもてなすためにあるわけではありません。主役はあくまで亡くなった方ですし、弔う中心は遺族です。遺族が死者と充分な別れの時間をもち、自分たちが弔っている、と思われないようなお葬式はお葬式ではないのです。

 参列する人、会葬者の方々にしても、自分たちは接待されるために来ているわけではありません。皆さんは亡くなった方を弔い、自分たちが弔意をもってきたことを遺族に示し、哀悼の言葉をちょっとでもかけられたら、と思ってくるのです。失礼にあたらないように、などということは考える必要がないのです。もし心配なら、葬儀社の人に「自分たち遺族はお弔いに専念するから、後はよろしくね」と言っておけば、「どうぞご遺族はお亡くなりになった方のことだけ考えていてください。その他は私どもがきちんとやりますからご心配なく」と応えてくれるでしょう。

 お葬式では思いがけない人が声をかけてくれたり、故人にお世話になった、とお礼の言葉を言われ、とてもよかった、という人がいます。遺族の方が死者を想う気持ちが強いとそれは参列者の人たちにも伝播して、死者を想う気持ちがいっぱいのお葬式ができます。

 亡くなった方とのお別れ、お見送りは、遺族にとっては二度とないたいへん重要な機会です。
 大切にお葬式を行うというのは、祭壇を大きくすることでも、会葬者の数を集めることでもありません。心の問題です。だから親だから、自分のお葬式だから、と子どもが弔う気持ちを否定したり、子どもや孫から弔う権利を奪えないのです。お金がときどきお葬式を狂わせます。でもお葬式でほんとうに大切なのは心のもちようなのではないでしょうか。

 よく雑誌などで「お葬式のマナー」などが特集されます。でも突き詰めればマナーなどはどうでもいいのです。死者のことを想うこと、弔うことが欠けることほど失礼なことはありません。
 お葬式に出席する機会があまり多くないから「恥をかきたくない」と心配されるのでしょう。宗派や宗教も違えば習慣は違います。全部知っている必要はありません。ある人はどんなお葬式でも白封筒に「弔」と一言書いて香典を持参していました。誰からも文句も注意も受けませんでした。

 親しくしていた方の通夜に行ったら、ポロシャツにジーパンという人が最前列に座っていました。お経が終わると、喪主と一緒に立ち、ポロシャツ姿の人が、目を真っ赤にして「旅先で兄の死を知り、飛んできました」と言うと、参列者に感動が広がり、誰も故人の弟さんの服装を責めませんでした。

 お葬式は故人のために行われるのですが、故人を想って集まる人たちにも大切な機会です。死者は、社会に出て生活したのであれば、家族だけの存在ではありません。故人と親しかった人にも弔う権利はあるのです。しかし、お客様に失礼がないように、と遺族が死者を放っておいてお世話するのはおかしなことです。


Q91 死後に人はどうされるか?

15年前に祖父が亡くなったときは葬儀社に勧められて湯灌をしました。皆で最後は脱脂綿に消毒をかけて顔を拭きました。今も変わらないのでしょうか。(50歳女性)


A 今「湯灌」と言われているのは昔からあった葬式の時の習俗とは異なります。
 順に説明しましょう。
 昔のお葬式の記録を見ていると「沐浴」というのが登場します。辞書には「もくよく、と読み、髪・体を洗い清めること」とあります。神道では神社に参拝する前に沐浴することがあります。簡易には「手水」と言って、参拝の前に手を洗います。「心身を清らかにして神仏の前に出る」ためです。ほかに、滝水に入って修行するように、「行、修行として行い、神仏に願いをする、あるいは神仏に自らを浄めて捧げる」ことを表します。

 日本では「亡くなった方は仏道に励んで成仏する」あるいは「浄土に行く旅姿にして送る」という考え方が古くからありました。そのため亡くなると「修行の旅に出る」「お浄土へ旅する」ために家族や地域の人が亡くなった方の身体を洗い清め、死装束に着替えさせて納棺するという習慣ができました。親しい人たちが現世での死者との暮らしに感謝して、懇ろにお別れして送り出すという意味があったようです。

 でも今では「死者に近くいた人が湯灌してお別れして送り出す」という昔ながらの湯灌を見ることはほとんどありません。代わって登場したのが葬儀社に斡旋された「湯灌」業者です。専門家がするのですから手際もいいし上手です。
 昔は湯灌を家族や地域の人がすると、不慣れや腰が定まらずにするものですから、遺体を落としたり、ぶつけたり悪戦苦闘した話も残っています。大酒呑んで酔っ払った状態で湯灌した人もいたようです。

 近親者による湯灌が専門家の湯灌に変わる前に日本人の生活に大きな変化がありました。自宅ではなく病院で死ぬ時代になったことです。
 病院では息を引き取ると、看護師が湯呑み茶碗に水を入れてきて、今では綿棒を用意してくれます。  死者を看取った近親者が順に綿棒に水を浸し、それで死者の唇を潤します。それを「死水」「末期の水」と呼ばれました。

 息を引き取ろうとする人に水を飲ませて回復させようとしたために行ったこと、とも説明されます。また、汽車もバスもない時代、長旅に出る時は今生の別れ」になるかもしれない、というので「水盃」を交わした習慣があったことから、あの世に旅立とうとしている死者と最期のお別れをする」とも説明されています。

 死水が終わると、看護師さんは「ご家族の方は外でお待ちください」と言って、死者の体を拭いたり、傷口には包帯やガーゼで処置し、また胃にある食べかす等を出させ、お尻からは腸内のものを取り出し処置します。お尻や鼻等の穴には内容物・血液・体液が出ないように脱脂綿を詰めます。そして新しい浴衣に着替えさせ、髪を整え、男性には髭を剃り、女性には化粧をします。

 最近では着替えや化粧に家族の参加を求めることもあります。家族が想いをもって死者の身を整えることは家族の心のケアに役立つというので「エンゼルケア」とも呼ばれます。
 病院で行う死後の処置は、看護師が患者の身体を拭く「清拭」と呼ばれることも、「湯灌」と呼ばれたこともあります。この処置費は実は死後に行われる処置なので、健康保険の対象にはなりません。多くの病院ではサービスとして行われますが、有料のところもあります。一般には3万円以内です。また、この処置は医療行為ではないので看護師資格を必要としません。

 今、行われている湯灌は病院から斎場(葬儀会館)や自宅に搬送され、納棺を前に行います。長く入浴させてやれなかったからと依頼する遺族もいます。昔は簡易浴槽に水を入れ、その上からお湯を足して適温にしてお風呂に入れたものですが、近年はお湯で雑菌を増殖させ腐敗を進行させるので、水シャワーで洗浄することが多いようです。身体を清めたら死装束に服をあらため納棺する、というのが手順です。

 気をつけたいのは病院の死後の処置も葬祭業者斡旋の湯灌や納棺も、一見きれいになったように見えますが、死者の体内で進行する腐敗を止めたり、なくしたりはできない、ということです。腐敗の進行をゆっくりさせるためにはドライアイスを処置しますが、最近では部屋全体が冷蔵庫になる保冷庫に保管したりします。


Q90 高齢者のお葬式、どうしたらいい?

95歳になる母がいます。身体は元気ですが認知症になっており、娘の私のことも実の娘とわからなくなっています。母の友人も今はいません。死んだとき、母のお葬式はどうしたらいいか、お坊さんを呼ぶべきか、迷っています。(75歳女性)


A  お父さんは、30年前に企業の役員をなさっていて突然の病気で亡くなり、その時は葬儀社の紹介でお坊さんを頼んだそうです。会葬者が400人くらい集まった盛大なお葬式だったようで、お坊さんも5〜6人来たといいます。お母さんが認知症になったのは10年前からで、今ではお付き合いをしている友人もいない、ということです。

 お父さんの七回忌まではお寺で法事はしたが、その後はすっかり足が遠のいているとのこと。
「お墓参りは?」と訊くと、お父さんの時に、民営霊園を求めたので、特にお寺さんとの付き合いはしてこなかった、とのこと。
 これを聞いて思ったのは、お坊さん、お寺との関係が、高齢者世代でも疎遠になっている、ということです。これまで若い世代に「お寺との関係がない」「宗教的背景がなくなった」と言われることが多かったのですが、それは若い世代だけのことではないのだ、ということです。

 今亡くなる人の中心世代は80代です。この世代の人にとっては、子どもの時代、お寺は自分たちの生活区域の中に当然あった風景であり、寺の庭は遊び場だった、という記憶をもつ人も少なくなかったようです。特に「宗教」などを意識しなくても馴染んだ存在だったように思うのです。
 しかし、それだけではないのです。今の60代以降は事実上戦後世代ですが、70代以上というのは少年少女期、青年期を戦前の飢餓、戦争、戦後の荒廃を体験した世代だということです。極端に言えば経済的にはもちろんのこと、文化的にも断絶を体験してきた世代なのです。

 調査をすると今の葬式の小型化を望んだり、「迷惑をかけたくない」と思っているのは、若い世代よりも70代以上の世代で強いのです。
 戦争体験というのがありますから、「高齢者世代」と一括りできない世代だということはここで留意して話を次に進めたいと思います。

 周囲を見ても昨日まで元気だった老人が朝急に息を引き取る、あるいはほとんど寝たままで、一般的には「危篤」と言っておかしくないのだが、数カ月生き延びる人もいます。80歳以上の人の最期は先が見えにくいもののようです。

 震災で多くの人が年齢に関係なく瞬時に喪われました。そうかと思えば、超高齢社会となり、「いのちが尽きる」ように亡くなる人がいます。今日本では1年間の死亡者のうち80歳以上の人の死が半数を超えました。昔であれば80歳以上の死はわずか、長寿は珍しいことで、お祝い気分で葬式が行われた、と言われます。

 介護する人が子であっても、子も高齢者という例は多いです。死亡直後、介護に疲れた子が一時的に解放感を味わうことがあっても、けっして特異でも薄情でもありません。
 80歳を超えても元気で仲間と旅行を楽しんでいる人もいます。60代、70代の高齢者は「元気でいて、長患いしないで死ぬ」ことを願う人がほとんどです。
 しかし、人間は死に方を選べないのです。そして、どのような死にも軽重がないのです。大金を投じて先端医療技術を受けても、死ぬ時は死ぬのです。中には順序が逆になり、子を先に亡くす人もいます。

 最近のお坊さんはよく言えば引っ込み思案です。どうもそれが人気のない理由の一つかな、とも思います。
 昔の住職のように、ぶらりと家を訪れ、縁側で将棋をさしたり、茶飲み話をして帰る人は少くなりました。
 でも相談をもちかけると案外親切な人が多いものです。葬式の形、体裁を整えるためにではなく、よく言えば「サポーター」としてこれほどピッタリな人はいません。
 高齢者の死は結構複雑です。家族の歴史をしみじみと思ったりしてさまざまな光景が頭を過ぎったり、次はいよいよ自分たち子の世代の番だと覚悟したりします。

 家族の死、いのちに向き合うのが葬式の役割です。家族であること、その死を確認し、葬ることです。
 お坊さんを葬式に呼ぶか呼ばないは自由です。義務ではありません。家族それぞれが、死者の前で素直に想いを出せる場をつくってくれるのが宗教者だったりします。家族や親戚の結びつきが少なくなった今、よき第三者として考えると結構役に立ってくれます。こんな角度から考えてみてもいいのではないでしょうか。


Q89 「事前相談、生前予約」とは?

85歳になる父が胃がんと宣告されました。父が死んだらおそらく家族が混乱して葬式等について話し合うどころではなくなりそうです。テレビで「事前相談」「生前予約」という言葉を知りましたが、どういうことでしょうか。(56歳女性)


A 「事前相談」は、予めお葬式について本人または家族が事前に葬儀社等と打ち合わせを行うことです。
 打ち合わせを終えて「では、これでいきましょう」と合意ができ、その葬儀社にお葬式を頼む約束をすることを「生前予約」と言います。

 つまり「事前相談」は、相談先の葬儀社等に実際にお葬式を頼むかどうかは決めていない状況でも行うことができます。複数の葬儀社と事前相談を行ったうえで、どこの葬儀社に依頼するかを選択することができます。もっとも「生前予約」のために、その葬儀社と打ち合わせても、気に入らなかったり、合意できない場合には予約する必要はありません。

 意味がないなと思える事前相談の例に次のようなケースがあります。
 複数の葬儀社にファックスを送りつけ、「親族10人、会葬者30人程度の家族葬をしたいのですが、いくらかかりますか?」と回答を求め、回答があった中から最も安い金額の葬儀社に決めるということです。
 ファックスでの見積請求には回答しない葬儀社もいるでしょう。そこは情報公開が遅れている会社だとは言えません。むしろ「どんな気持ちで、どんなお葬式をしたいのか」という肝心な情報抜きで見積書を出してしまうほうが軽率だと言えます。

 よく使われる言葉に「お葬式は百通り」があります。亡くなる人、家族、その両者の関係等によってさまざまなお葬式があるのです。
 お葬式をスーパーで売っている商品のように考えるならば、今ではネットで、そういう商品としてのお葬式を売っている事業者も、それを仲介する相談センターも見つけることは容易です。そういう人はあえて実際に対面して相談するという面倒な事前相談を必要としません。

 しかし、本人が、あるいは家族が納得できる別れ方、送り方を考えているならば、その想いを伝えて相談するのがいいでしょう。
 事前相談をしておくメリットは、いざというときにきちんと対応できることです。家族の一員が死亡するということは大きな出来事です。早くから覚悟していたにせよ、その時になると違うということがしばしばです。そこで混乱したりして、冷静で客観的な判断力を失うことはよくあることです。自分の死も家族の死も正確には予知できません。その時の自分の対応も予知できません。

 人間が死ぬ確率は百パーセントですが、予知やその時の思いがどうかは不確実なことなのです。
 また、人の死の発生の不確定さが事前相談、生前予約にはつきまといます。その時になって思いが変わることがあるのです。そして、事前の判断が正しいのか、その段になった時の思いが正しいのかわからないということです。「正しい・正しくない」ということではなく、家族や死者の周辺の人にとって適切かどうか、それは判定不能なことなのです。
 家族の思いの問題としてではなく、消費者保護という点から言えば、事前相談、生前予約は遺族にとって有利に働く傾向が強いでしょう。事前であれば冷静に数字を判断するでしょうから。そうでない場合は、一時の感情に流されて、消費者としては不利な判断、契約をする危険性が高いからです。
 しかし、確実に事前相談、生前予約において守られるべきルールがあります。

@事前の取り決めはいつでも見直しし、変更可能であること。
A事前の合意ができても、支払いは常に事後が中心になるべきこと。
B事前契約・会員システムの会費は、極力低くし、相当程度を超えるときは、解約に応じ、また返金等が可能となっていること。

 @については、人間の考えはいつ変化するかわからないし、10年以上長期になれば社会環境が変化することもあるということです。
 Aについては、10年先、20年先という長期になると事業者が行き詰まり、実行できない可能性があり、保証できません。
 Bについては、例として「入会金15万円」などと高額な入会金をとり、解約時に「入会金だから返金できない」と事業者が主張するのは社会的常識に反しており、消費者契約法にも違反することだからです。
 
 事前相談、生前予約には長所だけではなく危険もあります。また事業者側は消費者のリスクをなくし、安全に運用する責任を負わなければなりません。



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