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Q79 事前相談は縁起が悪いか?

私の父(92)は入院中です。主治医からは遠まわしですが「死が近い」と言われています。幸い意識はしっかりしています。葬式となると何の知識もないので、事前相談でも、と思うのですが「縁起が悪い」でしょうか。(62歳男性)


A 死のことを話し、準備し、相談するのは、縁起が悪いことではありません。むしろ大切な家族を愛情をもって送れなかったとすれば、それは深い悔いを残します。
 いのちには、始まり(受胎、誕生)があれば終わり(死)があります。いのちの定めです。誕生のときには両親あるいは祖父母が祝ってくれたでしょう。家族の一員が死亡すれば遺された家族が大切に送るというのはごく自然なことだと思います。

 厚生労働省「平成20年簡易生命表の概況について」によれば、0歳児の平均余命は男性が79年、女性が86年です。日本は国際的な長寿国です。
 だが、100歳を超えて元気な方もいますが、幼児で死亡することもあります。いのちの長さは不定です。
「子の死」は親自身の「未来を喪う」と言われるほど痛切なものです。
 平均寿命に達するときは同級生の半分がすでに死亡している、ということです。そして残る人もいずれは死を迎えます。例外はありません。

 87歳で死亡した私の父は、早くから子どもたちに言い聞かせていました。自分の書籍の贈与先、遺影写真、延命治療を拒絶し自宅での死亡を希望、どこで葬儀をしたいか、など、こと細かく言い置きました。
 父は、すでに仲間の多くを見送っていたので、先に行った仲間のところへ行くという気持ちのようでした。

 私たち子どもは父がいくつかの持病をもち、脳梗塞も何度か経験し、頭はしっかりしているものの口や脚が不自由でいたので、父が今度倒れたら無理に延命をはかるのは父自身のためにもしない、と理解しました。できることは、死に至るまでできるだけ苦痛を緩和し、それなりに充実して生活できるように心を砕くことでした。実際の世話をしていたのは姉でしたから。姉の気持ちを第一にしました。幸い姉も同意見でした。

 父が最後に倒れたとき、生前の父の意思を理解していた主治医は入院を勧めることはありませんでした。
 まさに「大往生の死」でした。
 しかし、子である私は頭では父の間もない死を充分に理解していたつもりでしたが、死亡すると平静さを失い、激しい感情の起伏に襲われました。父が前もって指示しておいてくれなかったら、おそらく父の送り方でパニックになったでしょう。

 父は子に仕事を遺してくれました。それは葬儀に際しての挨拶状は子が自分で考えた文章で書くことでした。父がお世話になった方々へ、子が礼状を書くということは、父の関係者の想いを汲み取ることであり、同時に父親へ向き合う作業でした。短い挨拶状へ想いを込めるという作業は、困難ですが、これは父親の愛情であると理解しました。

「大往生の死」だからといって子は淡々とはできませんでした。父は死亡地では密葬にし、仲間や知り合いが多くいる地での葬式を望んでいたのですが、兄が混乱して父の死を知り合いに話したことから、少なからずの人が密葬にかけつけてくれ、もはや「密葬」ではなくなりました。
 また、「密葬」のつもりでしたから関係者全部にはお知らせしませんでした。後日改めて父の希望した地で「偲ぶ会」を開き、結果的には2回の葬式になりました。

「偲ぶ会」は父の死後50日後に行われました。父親の関係者は、後輩、教え子とはいえ、すでに高齢者でした。兄と私が司会し、集ってくださった方から父についての話をうかがう形を取りました。
 父から聞いていた話もありましたが、初めて聞く話もありました。初めてお会いする人もいました。その方々の父への想いに耳を傾け、熱いものが何度も胸に迫りました。それは父から子らへのかけがえのない贈り物になりました。父の孫にとってはほとんどが初めての話。孫らには「祖父の再発見」の時でした。
 少しのアクシデントはあり、精神的に疲れましたが、父と生前充分に話していたことが、父を送るのに役立ちました。

 家族の最期を看取るということは、死者のいのちを何らかの形で次へつないでいくことであると思います。
 確かに葬式は遺族を疲れさせます。でもそれはいのちをつなぐことの重さの表れで、回避すべきことではないと思います。
 誕生のときを家族が準備して待つように、死のときも準備しないで大切に送ることは困難です。




Q80 事枕飯の箸の置き方は?

私どもの地区では枕飯に「箸を二本縦」「箸を十字」に立てる、の2通りがあります。どのような意味があるのでしょうか…。(茨城県 45歳男性)


A この枕飯、一膳飯には正解がありません。各地域で慣習が異なっており、伝達経路が特定できないためです。飯ではなく、餅、団子の地域もあります。その混合も見られます。
 いずれにしても白米が力をもっていることを示しています。力というのは死者を黄泉から蘇生させる力であったりします。

 全国的に多いのは箸1本を立てるというものです。箸を下に普通どおりに横にして置く地域もあります。
 私は、原型となったのは、箸を横にして下に置いたもの、あるいは2本立てるものとの仮説をもっています。

 つまり死者(まだ完全には死者と認識されていない)に食べてもらおうという気持ちからです。
 それが死者を死者と認識することにより、普通、日常とは違う所作を行うという慣習が現れ、それが1本箸を立てたり、十字にしたりという慣習を生んだと考えられる、というものです。
 地域により、「これはこの辺りではこうするものとなっている」ということで伝わり続けたもので、慣習が「生活圏」という狭い範囲で異なったのだと思います。




Q81 旅支度の杖に死者の年齢は関係するか?

納棺の際、ご遺族・ご親族さまに一つひとつ意味合いを説明し、「末期の水」「旅のお支度」をお願いしています。私の地区の葬儀の70%以上が高齢者ですが、まれに40〜60歳の方の場合、「杖」は私の判断でお願いしません。「杖」は年齢に関係なくお願いしたほうがよろしいのでしょうか。
また、先日の納棺の際、「三途の川ってどのくらい大きいの???」と小学3年生のおじょうちゃんに質問され困ってしまいました…。(茨城県 45歳男性)



A 民俗はその地その地で解釈されてきたものですから、正解のない世界です。
●末期の水
 一般的には臨終の際に行う儀礼ですが、納棺のときにしてもかまわないでしょう。元来は「蘇生を願って」行ったものが儀礼化したものだと考えられています。でも死者に触れて別れるという意味にも考えられます。

●旅
 これは「あの世(彼岸)」への旅、善光寺参りに出かける旅、あの世では仏弟子としての修行する(四十九日)ための修行僧の姿、と大まかに3通りの解釈があり、「善光寺」も長野の善光寺ではなく、地域によって寺名が違ったりします。したがって「杖」は年齢に関係ないものだったでしょう。

 というのは、昔の旅は徒歩(草鞋)を前提としたもので、若くとも長時間になり、坂などでは杖がほしい、と思う人もいたでしょう。でも、これは想像力の問題ですから「若い人は不要」との考えもあり得るものです。

●三途の川
 この幅は「深くて広い」としか言いようがありません。でも向こう岸に見えたという逸話もあるくらいですから、見えないほど遠いとは限りませんね。渡し舟で渡ったと考えられ、その運賃が「六文」だったわけで。無論これは「六道」とかけた言葉でもあります。亡くなった直後は呼べば戻ることが可能とも思われていましたし。

 まぁ、向こう岸まで行って戻ってきた人はいないのでわかりません。あるおばあさんは「きっといい所なのでしょう。悪い所だったら戻ってきた人がいてもいいはずです」と言っていました。あっちの世界はいい所だ、と一般的に思われています。もっとも門番がいて地獄に落とされる人もいる、という話もあります。

 こういう民俗はその地で民話のように伝えられ、いく時代にもわたって人々の想像力でさまざまな脚色がされてきました。想像する楽しみがあります。
 三途の川を訊いた子に「どのくらいの広さかな、(死んだ)おばあちゃんからはこっちが見えているかな、どうかな」といった話が展開されるといいですね。
 決まった解答ではなく、その子らなりの死への考えが育つ機会になるといいと思います。
 民俗は、想像する対象としては興味深いものです。




Q82 葬儀料金は不透明?

母が危篤状態にあり、そろそろ葬儀費用の準備をしなければと思っています。葬儀にかかる費用にはどのようなものがあるのでしょうか。(東京都 52歳女性)


A 葬儀費用は大きく分けて5種類になります。
  @基本葬儀料
  Aオプション
  B葬儀社が立て替える費用
  C料理や返礼品にかかる費用
  D宗教者へのお礼
 一般に@〜Cは葬儀社を通して支払いが行われます。
 Dの宗教者へのお礼は、料金が決まっているわけではなく、それぞれの事情等を勘案してお礼する、つまり料金ではなく「お布施」です。葬儀費用でも性格が違うものです。

 葬儀社の広告で注意したいのは、「葬儀費用」をどの範囲のことを言っているかということです。@だけのこと、@とAのこと、@〜Bまでのこと、あるいは@〜Cまでのこと、たまに@〜Dまでのことを言っていることもあります。
 @〜Dまでを含んで総額まで入っていると親切そうですが、これは違います。

 Dの宗教者へのお礼は、本来はそれぞれが自分の所属している寺、神社、教会へ頼むのが本筋です。仮にお寺が地方にあっても、お寺に相談すれば来ていただけるケースが多いです。もし、依頼先がない場合には葬儀社に紹介してもらえますが、その場合でもお礼は葬儀社ではなく、宗教者へ直接します。
 宗教者へのお礼はあくまで葬儀社へ支払うものとは別、と考え、含むとするところはむしろ問題だと考えたほうがいいでしょう。




Q83 葬儀料金の注意点は?

葬儀費用を考える場合に、事前に注意しておくべきことは何ですか。(埼玉県 48歳女性)


A Q82で説明したように、葬儀社へ支払う葬儀費用は、@基本葬儀料、Aオプション、B葬儀社が立て替える費用、C料理や返礼品にかかる費用…から成ります。
 @の基本料は、基本的にかかる人件費、祭壇設営、進行、遺体処置等、ここにほとんどが含まれています。大きな葬儀であれば人員も多数必要になるので、変わります。
 Aのオプションは、葬儀日数によりドライアイス等の必要量が変化しますし、棺を、セットに入っていた桐棺から布張棺に変更すればその差額が要ります。棺は遺族によって好みが違うというので、基本料とは別にオプションになっている例も多いです。また、写真の大きさや額の種類によっても変わります。それぞれのお客の好みや事情で変わるもの、これがオプションです。将来は祭壇もオプションになるかもしれません。

 Bは葬儀社が一時立て替えてくれる費用のことで、寝台車や霊柩車、火葬料、骨壺代などがこれに入ります。
 Cは「変動費」と言われるように、会葬者数や親族の数によって変動します。やってみなければわからない費用です。

 総額@〜Cを含んだ金額と言っているところは、たとえば親族10名、その他の会葬者20名などと前提としているだけで、人数が追加になれば金額は変わります。
 問題は一式総額料金の場合に内訳が明確になっているかどうかです。内訳の個別で料金が設定されていない場合、不要なものをカットしたり、逆に追加になったときにどう変わるかが予測つかないからです。

 公正取引委員会が調査して問題になった一つは、最初の見積もりと請求時の金額が相違していた事例で、そのほとんどは変動費の問題でした。
 たとえば「総額80万円だと言っていたのに100万円請求された」という場合、見積時には親族10人、会葬者20人としていたものが、実際には親族が30人、会葬者は40人だった、というケース。「総額80万円コースだったから、これ以上かからないと思っていた」という誤解からくるものでした。

 事業者に必要なのは「これ以上一切かかりません」という安心を強調するのではなく、起こり得る問題点を事前にはっきり言っておくということです。契約における事前告知すべき重要事項を告知しなかった、として問題にされることがあります。
 総額一式方式はこうした問題点がありますから、@〜Cを個別に料金設定しているほうが結果的には安全だということになります。
 なお、@の葬儀基本料では内容が明らかになっていることが重要です。特に葬儀の質を決めるのは人的サービスです。内容本位で選ぶことが大切です。




Q84 「葬式」とは何?

最近『葬式は、要らない』という本が売れたり、火葬だけの「直葬」などが紹介されています。「葬式」とはいったい何なのでしょうか。(38歳女性)


A どうも世の中には「(お)葬式」という言葉の中身が説明されないために、それぞれ異なった「葬式」観が出て、それがまた議論の混乱に拍車をかけている情況です。

 葬式は「人の死」があって行われるものだ、ということは共通認識としてあると思います。そこからまず話を始めることとしましょう。
 次のような状景を思い描いてみてください。
 病院のベッドに85歳のおばあさんが横たわっています。周囲にはおばあさんの娘とその息子がいて見守っています。医師と看護師がいて、医師がおばあさんの脈を診ています。

 おばあさんは娘一家と同居していたのですが、病気になり入院をしていました。
 入院の時に医師は「お歳ですから完全な回復は難しいでしょうが、急に悪化するということもありません。入院して、しばらく安静にしておきましょう」と言ってくれ、入院後は1日おきに家族が見舞っていました。きょうも娘が見舞ったときには、特に変わった様子がありませんでした。

 夜7時、病院から「危篤」という電話があり、二人は入院中の病室に駆け込んだところです。
 医師が脈を診たり、目の瞳孔を観察していましたが、ゆっくり家族に向き直り「ご臨終です」と言い、黙って頭を下げました。
 娘にはおばあさんが入院して以来、いずれ来る死について覚悟はあったと思いますが、医師に「急にということはない」と言われたので、死はやはり「急」だと思ったでしょう。
「老い」があり、「闘病と見舞い」があり、そして「危篤」の知らせがあり、医師からの「死亡判定・通告」があり、そこで「家族」は「遺族」になるのです。

 家族はまず事態がどうなっているのかを理解するのに混乱した頭で考えるでしょう。考える間もなく死者に飛びつくかもしれません。
 看護師はしばらく家族の様子を見守り、点滴器具があればそれを取り外し、茶碗に水を入れ綿棒と共に家族に差し出し、「お別れを」と言うでしょう(末期の水、死水)。

 これからどうしたらいいか、家族は考えます。
 でも、事態は進みます。
 看護師により死後の処置をされ、新しい浴衣に着替えられ、霊安室にストレッチャーで運ばれ、葬儀社は決まっているかと訊かれ、決まっていなければ病院付きの葬儀社を紹介され、自宅まで寝台車で運ばれ、自宅の一室に安置されます(枕直し)。

 それから葬儀社を決め、葬儀の日程や仕方を打ち合わせます。日程や葬儀の場所が決まれば関係者に連絡します。檀那寺があれば来ていただき、枕経を上げてもらいます。その日は縁が深い親族や友人と一緒に過ごし、翌朝に納棺。親しい関係者が弔問に来ます。夕方、斎場(葬儀会館)に移動し、夜に通夜。

 翌朝は葬儀を行い、出棺。火葬場でお別れし、控室で待機。火葬が終わったとの連絡で拾骨し、骨壺に入った遺骨を抱き、斎場(葬儀会館)に戻ります。還骨法要、繰り上げ初七日法要を終えて、関係者と一緒に会食。来ていただいた方々を送り出し、自宅に戻り、後飾り壇に遺骨を安置。これで葬式が一応終わります。

 上の例はよくある例ですが、若くて交通事故に遭っての死などは看取りの機会がありません。いろいろな死があります。
 また、誰に連絡したらいいか、宗教や葬儀社はどう決める。どんなお葬式にするか。返礼品や料理…と決めることはたくさんあります。

 面倒だから通夜、葬儀はしないでおこう、とすれば直葬。ほんとうに親しい人にだけ来てもらうならば家族葬。どんな人がどのように亡くなったかで、連絡する範囲も違ってきますし、「親しい範囲で」と思っても口伝えでたくさんの方が会葬するケースもあります。また、死者と家族が不和で看取りがいない、いても友人というケースもあります。また、自宅で亡くなり、自宅で葬儀というケースもあります。単身者で家族は遠距離というケースもあります。亡くなる人、周囲にいる人、亡くなり方、と葬式の変動要因はさまざまです。

 でも、どんな形態であろうと、死者を弔い、葬るということは、たとえ立ち会いが葬儀社の担当者1人だけであっても行われるのです。
 また、誰にも共通する葬式の型があるわけでもありません。葬式は要、不要ではなく、人の死の受けとめ方のありようが問題なのです。





Q85 お葬式でトラブルを防ぐ方法は?

先日、ご近所の方がお葬式をされたのですが、何かとトラブルが多く大変だったようです。トラブルなくお葬式をするのにはどうしたらいいでしょうか。(62歳女性)


A お葬式の世界もいろいろな変化があります。そのためにお葬式に対して描く思いが違っていることがトラブルを招く原因の一つになっています。
 トラブルには大きく分けて4つの種類があります。
@家族や親戚間のトラブル
A地域社会・企業等の社会的関係のトラブル
B葬祭業者とのトラブル
C宗教者とのトラブル
 以上を一つひとつ考えていきましょう。

@家族や親戚間のトラブル
 死者を中心に考えることが大事です。第1に考えるのは本人の意向、第2は配偶者の意向、第3は親や子どもの意向、第4はきょうだいの意向、第5はその他の親族の意向、と順序をつけて考えてみることです。

 本人、配偶者、親の意思は容易に考えるのですが、「子ども」関係にある人たちと「きょうだい」関係にある人で意向の確認が抜けることがあります。
 例えば90歳の母親が亡くなったとします。子どもが兄姉妹の3人だったとすると、姉と妹は結婚して姓が変わったから別と考えがちです。戦前の民法の世界では法律的には違うとされても戦後の民法では結婚しようが、姓が変わろうが子どもと親の関係は何一つ変わりません。いくつになっても親子です。お兄さんの意思だけで決めると、他の子どもとの間に感情的トラブルが生まれます。

「きょうだい」も同じです。とかく子の立場で見ると母親のきょうだいはおじさん・おばさんになりますが、死者である母親を中心に考えると、母親のきょうだいになります。同じ家族なのです。家族の意思を確認するときに抜けることがないよう配慮したいものです。

A地域社会・企業等の社会的関係のトラブル
 上の@の家族の意思が固まっていればAは容易です。密葬・家族葬にして地域の人や会社関係の人の会葬を断わる場合でも、町内会長とかキーになる人には死亡したことを伝え「本人の固い意思ですので、申し訳ございませんが」と伝えるといいでしょう。また、関係者にはお葬式が終わった後に、死亡の通知、生前お世話になったことへの感謝を心尽くして手紙にして出すことを勧めます。
 ただ本人の無二の親友にはお知らせして出席いただくようにするほうがいいでしょう。親しい友人には、血縁関係とは別の深い感情の交換があります。

B葬祭業者とのトラブル
 これを回避するためには、いちばんは生前に事前相談をして、行き違いのないようにしておくことが大切です。もし事前の打ち合わせがなかったときは、遺体を自宅に安置した後、家族で相談してから葬祭業者と打ち合わせするとよいでしょう。深夜に亡くなり、連日徹夜の看護をされていたとき、そのままの状態で打ち合わせをすると精神的にも身体的にもたいへんです。少し横になったりして休んでからの打ち合わせでかまいません。

 また、直接の親子関係や配偶者はそうでなくとも精神的に混乱したり、呆然自失状態になりかねません。それは当然のことです。そのときは親しいがちょっと離れた人、母親が死亡した場合に実の子の配偶者、母親のきょうだいの子、親友などに介添えを頼むといいでしょう。

 家族の意思を先に話し、わからないことは聞くとよいでしょう。もし葬祭業者が家族の意思に誠実に耳を傾けていると感じなかったり、説明がわかりにくいときには担当者を変わってもらうか、他の業者を呼んで相談したりするとよいでしょう。

 大切なことはモノが立派なことではなく、死者の扱いが丁寧か、家族と同じ目線で誠実なサービスを提供してくれるかです。料金には礼品や料理等、親族や会葬者により数により変動するものがあることに注意しましょう。

C宗教者とのトラブル
 できれば本人が生前に決めておくといいことです。「家の宗教」という考えがまだ強いですが、第1に尊重すべきは本人の信教・信条です。
 第2は、檀那寺があれば尊重したいです。仮に遠方に檀那寺があっても連絡すれば多くの場合には来てくれます。

 謝礼やお布施は個々の事情に応じ誠実にすれば案外問題はありません。「適当」という態度は問題を招きます。宗教者の依頼は家族の仕事です。葬祭業者の仕事ではありません。





Q86 「永代供養」はどういうこと?

実家の墓は兄が独身のため跡を継ぐ人がいません。兄は「永代供養を頼んだから心配ない」と言うのですが。(59歳女性)


A 言葉というのは難しいですね。よく、「お墓を買う」という言い方をしますが、厳密には「お墓を、期限を定めないで使い続ける権利」の入手を言います。これが「永代使用」ということです。
 期限を定めないといっても、肝心の「借り手」がいなくなれば使用権はなくなります。
 お墓の場合に「借りている」のは死んでお墓に埋蔵されている人ではなく、今生きて祀る人のことです。祀る人がいなくなると、いやな言葉ですが「無縁墳墓」とされ、官報に載せ、1年間墓所のところに縁者がいたら申し出てくれるよう書いた札を立てておき、1年間経っても申し出る人がいなかったならば、墓地の管理者がその墳墓を改葬、撤去することができる、と定められています。

 一般に墓所(墳墓として借りている地面)は借りていますが、墓石は建てた人の所有物です。使用しない からと1年で撤去するのではなく、一般に使用しなくなってから、お墓の管理料を支払わなくなってから、5年以上経過後に改葬手続きが行われます。契約(墓地の場合、「使用規則」という形が多い)によって定められています。

 最近出てきている有期限墓(10年とか30年の期限がついている墓)は「30年経ったら使えなくなる」というよりも「30年間の使用は保障されている」と考えると、「永代使用」よりも安定していると考えることができます。自分が死亡しても友人や知人がお墓参りができる期間は大丈夫、となります。「永代使用」は、お墓の跡継ぎがいなくなってから最短5年の使用しか認められないというケースがありうるからです。

 一般に寺院が「永代供養」と言っているのは、お墓それ自体のことではありません。たとえば位牌を作り、お寺の位牌堂等に安置し、「お寺が続くかぎり供養をします」という意味です。宗教的な供養はモノとしての墓石、遺骨を意味しないのだ、と考えれば、それで「期限なく供養される」権利を取得することになります。

 寺での「永代供養」は、現代の「権利」と同じように考えると、無理が出てくるところがあります。
 昔は供養を約束した住職が存命するかぎりで、その住職の死後のことまでは言及していない、とあいまいに理解されていたようです。住職が代わり、寺に縁者がいなくなったと判明したとき、新しい住職はその墓の処遇を考えたと言われます。

 寺院境内墓地は檀信徒が支える宗教共同体の施設という性格をもつので、寺は檀信徒の益になるよう考えるという信頼が根拠になります。
 反対に「事業型墓地」と分類される公営墓地や民間墓地(一般に「霊園」と名づけられることが多い)は契約に基づいてなされます。事業型墓地は「永代使用」という言葉を用いないで「使用権」として契約(使用規則)で使用条件を記載する例が増える傾向にあります。




Q87 キリスト教の献花の方式は?

結婚相手の家庭がクリスチャンなのですが、お葬式の献花など作法があるのでしょうか。(32歳女性)


A  キリスト教の葬式での献花は日本で「何もしないのは淋しい」という声に応えて出てきたものですから、作法として定まったものはありません。献花をしない教会もありますし、ルーテル教会やカトリック教会などのように焼香も選択肢にしている教会もあります。もちろん「キリスト教会式焼香」が定められているはずもありません。
 教会では故人と別れる方法として遺族や参列する人がいちばん自然な方法でいいですよ、ということですから、キリスト教会全体で決まった方法はありません。

 最近は無宗教(特定の宗教宗派によらない)の葬式が、公的な葬式は特定の宗教によらないということもあり、増加の傾向にあります。その場合の告別の作法は決まったものがあるわけではありません。遺族や運営に責任をもつ人が相談して自由に決めることができます。
 もちろん仏教の葬式でも、参列する人は自分の仕方で告別できます。真宗の門徒の方が真言宗の葬式に行って真宗式で焼香してもかまいません。ある人は黙祷だけでもかまいません。ただし、そこで行われる葬式の雰囲気を壊さないのが礼儀と言えば礼儀です。その場の宗教・信条を尊重するが、自らの宗教・信条を犠牲にする必要はありません。



Q88 「葬祭業」の世界は?

今、ホテルに勤務しています。充実感に欠け、葬祭業なら悲しみを抱えたご家族のお世話、というホスピタリティを発揮できるのではないか、と考え転職を考えています。(27歳女性)


A 最初に「ホスピタリティ」という言葉を整理しておきます。
「ホスピタリティ」が大切な仕事は、かつてはホテルの従業員(ホテルパーソン)それにフライトアテンダント(飛行機の客室乗務員)が代表的仕事とされていました。
 しかし今日では「お客に対してきめ細かなサービスが求められている」仕事ということでは、医療従事者、介護関係者、加えて葬祭従事者もそうです。「ホスピタリティ」は一般に「もてなし」と訳されていて、「人的サービスを提供すること」一般を指しても使われますが、ここにはもっと大切な意味があります。

 元来「ホスピタリティ」とは「ホスピタル(病院)」から転じた語です。病院は「病気の人に医療を提供する施設」ですが、特に病気等で困っている人たちのための施設の意味で用いられました。ホテルも豪華さよりも、「苦難な道のりを歩んでいる旅人に今夜1泊の安心したねぐらを提供する所」という意味合いが源になっています。
 したがって、「ホスピタリティ」は「マナーに富んだ接客」「好感を得るサービス」というよりは「(何らかの理由で)困っている、支援を必要としている人に対して、相手の身になって考え、相手が必要とすることを、思いやりをもって行う人的サービス」というのが本来でしょう。

 葬祭業で「ホスピタリティ」が課題になったのは、90年以降です。
 第1の理由。葬祭業の仕事の評価軸が変わったことです。かつては葬儀のための道具の提供、祭壇や外観を葬儀の場にふさわしく整えることに中心がありました。死者や遺族の世話は、宗教者、親戚、地域の人の仕事でした。葬祭業はどちらかと言えば「職人」の世界でした。
 
 1970年前後から葬儀の仕事は少しずつ変化してきます。一つは人々の暮らしが豊かになり、豪華さが求められたこと、もう1つは、地域の人が高齢になりお手伝いができなくなり、その代替として、受付、会葬者や車両の案内・誘導、納棺等の遺体処置、遺体の搬送が葬儀社の仕事に加わった点です。町内会や親戚の仕事だったものも「プロに任せよう」と葬祭業者に委託するようになりました。今の「請負」の形が普通になりました。

 90年代になると、遺族は「消費者」という意識を強くもつようになりました。葬儀の場所も80年代までは自宅が多く、大きな葬儀は寺で行ったものですが、今や斎場(葬儀会館)で葬儀をするのが普通のこととなっています。

 第2の理由。「葬祭業者に大切なことを託す」ようになってみれば、葬祭従事者のお客に対するサービスレベルの低さ、お客をお客とも思わない態度が許されるわけではなく、自ずと変えることを余儀なくされたことです。各葬祭業者は競うようにして飛行機の客室乗務員・ホテルパーソン経験者から「お客に対する態度、マナー、言葉遣い、礼儀作法、接遇の要領」の研修を受けました。
 接遇に関しては、20年前と今日とでは隔世の感があります。

 葬儀は今や大きく個人化の道を突き進んでいます。葬儀が個人化すればするほど、葬儀における葬祭業者の役割は家族に近づきます。
 極端に言えば、祭壇等に対する評価よりも人についての評価が厳しくなりました。
 形態よりも「死者を弔う」「遺体をケアし死者の尊厳を守る」「遺族の心情に寄り添う」等の近親者等の喪の作業にとって重要なことを、けっして大げさにではなく、サポートすることが期待され、その質が評価を分けるようになってきています。
 近親者が自ら死者と充分に向き合い、別れ、そして送り出すことの支援こそ必要なのです。それぞれ異なる遺族に寄り添うので一様ではありません。資質においては、人の心の傷みに対する豊かな感性や深い人間性が要求されるようになりました。

 とはいえ、実際にホテルから葬祭業に転職すると、その違いも認識するでしょう。毎日のように死者に接するのです。それを「片づける」のではなく、誰も見ていなかろうと尊厳をもって接しなければいけないし、それが仕事です。最初は大きなストレスを抱えることでしょう。
 また仕事に時間的な余裕がありません。それでもきちんとした仕事を求められます。接する遺族は混乱動揺にあります。けっして甘い世界ではないことを承知のうえで参加されることを期待しています。



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