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Q66 お葬式の費用とは?

母親が入院中で、お医者さんからは「覚悟しておいてほしい」と言われました。葬儀費用について心配です。どのくらい用意しておいたらいいでしょうか。(58歳女性)


A お葬式といっても20万円くらいで済ませる場合と1千万円以上かけるものまでさまざまです。
 自動車の価格にたとえて考えてみることができます。軽自動車、小型自動車、高級車、バン、トラック、バスなど機能、用途、目的等によって60万円くらいから1千万円クラスまであります。また、本体価格とカーナビをどうするか等のオプションの選択によっても変わります。
 250万円の車本体にカーナビ等のオプションを加えて、諸手数料を入れると330万円程度になることもあります。買う人の考え方によって大きく変わります。

 葬儀の費用も、安ければいいのか、それなりのレベルのサービスを期待するのか、また、人数、場所によっても異なってきます。
 お母さんをどういうふうに送ってあげたいかによって変わってきます。

 そこで参考になるのは平均費用のデータです。
 07年の日本消費者協会の調査によると、全国の平均費用は次のようになっています。
(1)葬儀一式費用
 142・3万円
(2)通夜からの飲食接待費用 
 40・1万円
(3)寺院の費用
 54・9万円
 この(1)〜(3)を合計すると237・3万円となります。

 これで終わりかといえば違います。これには「香典返し」のお金が入っていません。仮に会葬者一人あたり3千円の品を132人(05年公正取引委員会調査)に贈るとすると39・6万円かかります。…(4)
 これ以外に、その他の費用があります。親戚の宿泊費などその家によって変わります。これが大体10〜30万円くらいかかりますので、とりあえず20万円としておきます。…(5)
 以上、(1)〜(5)を合計すると296・9万円になります。これが総支出になります。

 しかし、お葬式には「香典」という収入もあります。
 香典の平均額は約8千円ですから、132人が来たとして105・6万円の収入があります。…(6)
 また、公的な葬祭費も5万円程度出ますので、収入の合計は110・6万円となりますから、自己負担額は186・3万円です。

 でもあくまで平均の費用です。中身はいろいろと変更が可能です。
 (1)の「葬儀一式費用」には葬儀社への支払い、火葬費用、骨壺代、霊柩車代、マイクロバス代、式場使用料などが入っています。
 ここには基本葬儀料、オプション料金が入っています。基本葬儀料に含まれる範囲は葬儀社によって相違がありますので、注意が必要です。

 葬儀一式費用が142・3万円であるとすると、基本葬儀料は80〜100万円クラスでしょう。データは平均額ですからちょっと高めになっているようです。
 一般的なケースでの基本葬儀料は40〜60万円クラスです。そうであれば葬儀一式の費用は80〜100万円程度になります。

 (2)の「飲食費用」も考え方はいろいろです。通夜振る舞いをどうするかによっても変わります。仮に80人程度に1千円平均の飲食を振る舞えば8万円ですし、20人程度であれば2万円です。葬儀の後の会食費も20人程度が5千円の飲食をすれば10万円です。葬儀の後の会食10万円とすれば、合計で18万円です。

 (3)の「寺院費用」はそれぞれの考え方で大きく変わります。無宗教葬を選び、宗教者を依頼しなければ0円です。神道やキリスト教の場合は決まっていませんが、10〜20万円程度が多いようです。
 仏教では故人の寺との関係によって変わりますし、料金ではありません。戒名が信士、信女等の普通のもので、僧侶が一人の場合には20〜40万円程度で、院号付の戒名等を付けるお寺と深い関係の場合には70〜90万円程度のお布施となります。

 基本葬儀料ではどのランクを選ぶか、飲食、返礼品はどうするか、宗教者へのお礼は…と考えると選択肢がいろいろです。
 葬儀費用というのは、遺族の考え方によっていろいろ変わるのです。多くの場合、自己負担額は100万円以内に留まることが多く、会葬者が多いほうが総支出は増えても自己負担額は低くなる傾向にあります。



Q67 分骨の手続きは?

まだ両親は健在ですが、私たち子は2人姉妹なため、妹と私とで両親の死後は2人で遺骨を分け合おうと話し合っています。分骨するにはどのように手続きすればいいのでしょうか?(61歳女性)


A分骨するには、火葬されたすぐ後に分骨する場合と、いったんお墓に入れられた後で分骨するのとでは手続きが違ってきます。
 まず、火葬直後に分骨する場合ですが、火葬前に葬儀社に分骨容器を用意してもらうことと、火葬場に分骨したい旨を申し出ておきます。

 火葬するには自治体の発行する火葬許可証(「埋・火葬許可証」「火・埋葬許可証」という言い方をする自治体があります。法律的には「埋葬」は土葬のことで、日本では法律的には火葬も埋葬(=土葬)も認められています。実際には99.8%が火葬ですが、火葬または埋葬(土葬)の許可証という意味です)が必要で、火葬前に火葬場に提出し、火葬場から火葬終了後に「火葬済」との証印を押して返してくれます。この火葬許可証をお墓または納骨堂に納めるときに墓地ないしは納骨堂の管理者に提出する必要があります。
 火葬許可証は1枚しかありませんから、分骨するほうの分として火葬証明書(分骨証明)を火葬場管理者から得ます。そして分骨を納める墓地または納骨堂に火葬証明書(分骨証明)を提出します。

 遺骨を3つに分けるときは、1つは火葬許可証があるので火葬証明書を2枚出してもらいます。
次に「いったんお墓に入れられた後で分骨する」場合です。
 この場合には、遺骨を納めている墓地または納骨堂の管理者に、墓地の場合には「埋蔵証明書」、納骨堂の場合には「収蔵証明書」を書いてもらい、分骨を納めるときに墓地または納骨堂に提出します。

 なお、分骨すると死者が成仏できない、生まれ代わったときに身体障害になる、たたりがある、などと言われるのは迷信です。
 そもそも関西地方を中心にして、本骨(喉仏=第二頚椎)を本山(本願寺、高野山など)に納め、残りは家の墓に納めるという慣習が古くからあり、これはまさに分骨です。

 また最近では手元供養という方法もあります。
これは遺骨の一部を人形やペンダントなどに納め、自宅に置いたり、持ち歩いたりするものです。
 遺骨を遺族が自宅に置く、遺骨の一部を身に着けるのは違法ではありません。



Q68 カロートが一杯、そのときは?

我が家のお墓は小さく、カロートには骨壺が4つしか入れられません。すでに祖父母、両親の骨壺が入っています。この後はもう誰も入れないのでしょうか?(64歳男性)


A 昔のお墓では、遺骨を納めるときに骨壺のままではなく、遺骨を出して入れたり、布に包んで入れたりしていました。現在のようなコンクリートでできた納骨室(カロート)などがない場合が多く、あっても底は土という場合が多かったのです。
 長野では市営墓地ですが、いまでも遺骨を納めるときには、骨壺から取り出して入れるような仕組みになっています。東京の下町の古いお寺のお墓では、いまでも骨壺から遺骨を出して納めている例があります。

 かつては墓は1坪(3u)単位が多かったのですが、いまの首都圏では0・6uなどの小さなお墓が多く売り出され、骨壺単位で納めようとすると数が限られるところがあります。一杯になったら、もうそのお墓は使えないのでしょうか?
 そんなことはありません。石材屋さんが勧めている方法は、古い骨壺からカロートの床にあけていく方法です。

 戦後のお墓が骨壺単位で納める方法が主流になったのは、改葬の場合を想定したからでしょう。改葬とはお墓の引越しのこと。この場合には、一体ずつ分かれている方が便利です。
 しかし、この骨壺単位の納骨(法律的には「遺骨の埋蔵」)、いつまでも土に還らない方式です。また、個人ということが死後も意識されている戦後の考えの反映とも言えます。

 最近注目されている樹木葬(桜葬、里山葬も含む)では一般に骨壺が用いられません。
 土葬の場合、土壌によりますが、長い年月の後では遺骨は原形を留めなくなり、「土に還る」ケースが多かったようです。しかし、現代の高温で火葬された焼骨がはたして土に還るかどうかはわかりません。



Q69 葬式での「義理」とは?

私の嫁ぎ先では近所で葬儀があると手伝わなければなりません。「どうして?」と訊くと「義理だから」という答え。私は「義理なら行かなくてもいいじゃない」と考えるのですが。(48歳女性)


A ちなみに『広辞苑』で「義理」を調べると「(1)物事の正しい筋道。道理」「(2)わけ、意味」」「(3)(儒教で説く)人のふみ行うべき正しい道」「(4)特に江戸時代以後、人が他に対し、交際上のいろいろな関係から、いやでも務めなければならない行為やものごと。体面。面目、情誼」「(5)血族でないものが血族と同じ関係を結ぶこと」と5つの意味があり、ここでも時代による意味の変遷がうかがえます。
 問題は(4)の意味に関してで、「義理」を有意味なことととらえるか、またあまり意味がないことととらえるかの違いです。
 葬式では本来「義理」は次のような意味で使われていました。
 葬式は血縁共同体、地域共同体が主体となって行われており、江戸時代までは棺、桶の提供、あるいは火葬や土葬の人夫またはその手配等を行う業者は都市ではいましたが、地方ではほとんどいなかったと思われます。

 向こう3軒両隣といい、八人組、五人組等といい、地域の仲間はあらゆることで連携していました。
 特にその1軒で死者が出たとします。その家の家族はいまで言う「グリーフ」を体験します。特に生活維持をしている人の死は、精神的打撃のみならず生活的危機も同時に招きます。地域の仲間が自分の家族のように思い、大変な家族に代わって葬具作り、炊き出し、連絡等を進めます。家族は弔いに専心することができました。こういう援助を受けた家族は地域仲間に「義理」をもっていて、仲間の家で死者が出ると「義理を返す」とばかりに熱心にサポートを行います。それがかつての「義理」でした。
言葉を換えれば、地域仲間の結びつきは濃いものでした。それが変わってきたのには要因があります。
 
 サラリーマン化が進み、地域仲間が生活共同体ではなくなったこと、地域仲間の援助が煩わしくなり葬祭業者に依頼したほうが楽だと考える人が出てきたこと、若い人は仕事で日中はいないので高齢者だけになり、やれることも限られてきたこと等、いろいろと考えられます。
「義理なら行かなくてもいい」という場合の「義理」の意味は、「大して重要な関係ではないが社会的体裁上行かざるを得ない関係」のことを言います。

 いまの葬式の個人化の流れは、「本人とは大した深い関係ではなく、社会的立場上『義理』で会葬せざるを得ない」関係者を排する動きでもあるでしょう。しかし友人・知人の中には故人に個人的にも世話になり、恩を受け、感謝しており、どうしても会葬してお別れさせてほしい」という「義理」のもち主もいることでしょう。積極的な意味での「義理ある関係」ならば、せめて会葬くらいはして義理を果たしたいと思うのではないでしょうか。



Q70 喪服とは?

会社の同僚の母親が亡くなられ、通夜に参列することになりました。用意をしてなかったので、いったん家に帰って喪服に着替えたうえで参列すべきでしょうか?黒いネクタイを買ってネクタイだけ変えればいいでしょうか?(38歳男性)


A かつて会社人間が隆盛を誇ったときには「営業の人間は何かの時に備えて、会社のロッカーに黒服を用意しておけ」、「黒いネクタイは1本用意しておけ」と言われたり、はては駅の売店では腕に巻く黒の喪章を売っていたり。「お取引様に失礼のないように」とか「他人にマナー違反で笑われないように」とか言われて、その結果、いまでは葬儀の席だけでなく、通夜も黒服のオンパレードです。過剰な社会・世間・他人の目を意識しての礼服化が進んだ結果です。

 日本では本来は通夜までは死者を生きているごとく扱いますから、遺族すら喪服は着用しないもの。断念し死を受け入れ、葬式を出す時になって遺族は喪に服していることを表明し、喪服を着用しました。通夜に喪服を着て参列しようものなら世間知らずと笑われたものです。
 腕に巻く黒の喪章は、遺族に代わって受付等する人たちが、遺族側であることを示して付けるもの、会葬者側が付けるものではありません。



Q71  香典の相場は?

私の兄嫁が心筋梗塞で死亡しました。78歳です。兄は10年前に死亡し、兄のときは10万円包みましたが、今度は香典をいくらくらい包んだらいいでしょうか?(76歳女性)


A あなたのご家庭の経済状況によって大きく違ってきます。
 あなたのご家庭は、年金生活の世代でしょう。また、介護等でのお金に備える必要もあるでしょう。経済的に裕福とは言えないケースが多いでしょう。裕福であれば5万でも10万でも香典を包むのはかまいませんが、余裕がない生活ではそう無理もできないでしょうし、その必要はありません。
 他方、亡くなったお兄さんのご家庭は、おそらく甥や姪の方は40歳前後の方たちでしょう。この不景気のご時勢ですから何とも言えませんが、社会的には働き盛りです。葬儀を出すのに親戚の香典にそう頼る必要はないと思われます。

 一般に香典の相場は、近所の人の場合は3〜5千円程度、一般は5千〜1万円、深い付き合いの方は2〜3万円程度。親戚は3〜5万円程度、きょうだいや親の場合には5万円以上、と言われています。
 これらはあくまで「社会的相場」であって、個々の事情によって変わるのは言うまでもありません。また、葬儀後の会食(仕上げ、お斎などいろいろ言われますが)に出るか出ないかでも変わってきます。
 
 あなたのご家庭に経済的余裕があまりなければ1〜2万円ということもあり、普通であれば3〜5万円ではないでしょうか。経済的に余裕があり、先方にあまり余裕がなければ5〜10万円というのもあり得ます。
 香典というのは弔意の表現です。いくらでなければいけない、というものではありません。また、お金をいくばくか出すことにより、弔いに参加する、ひいては遺族の負担を減らす、というものです。昔は相互扶助とも言われました。
 ですから無理して高額を出すと先方はありがたいと思う反面、心理的に負担を感じる場合もあります。
 香典一つとっても死者とその家族と自分との関係を見直す機会になります。



Q72 お花は対で?

会社の取引先の営業部長が亡くなりました。会社としてお花を出したいと思うのですが、以前、「お花は対で出す」と耳にしたことがあるのですが。42歳男性)


A 葬儀のときに出すお花は一般に「供花」と言われています。「供花」は「供物」の一つと見られることもあり、「供花」と「供物」は別物と見られることもあります。
「供花」には一般的に「花輪(花環)」と「生花」がありますが、中部、関西では、造花の「花輪」ではなく仏花と言われる「樒」が用いられることもあります。

 樒は「しきみ」とも「しきび」とも言われ、シキミ科の常緑小高木で、葉は香気があり、お墓にも植えられることもあります。また、樒の葉で、「死水(しにみず)」あるいは「末期の水」と言って、死亡直後に死者の唇を水で潤すときにも用いられることがあります。
 最近では生樒(なましきみ)を見ることが少なくなり、代わりに生花が用いられたり、大阪あたりでは、簡略化のために、ボードに贈り主の名前だけ張り出す「紙樒」も現れています。

 かつては「個人は生花、団体は花輪」とも言われたこともありますが、最近は花輪も見られることが少なくなりました。葬儀の場所が斎場(葬儀会館)となることで、斎場建設にあたって付近の人から「外に花輪を出さないでほしい」といった条件がつくケースも多く、この10年、花輪は少なくなっています。

 生花ですが、今では「対で」ということはあまり言われないようになりました。対で飾られるのは「喪主」「遺族一同」「親戚一同」といったケースがほとんどで、一般の方が対で出すケースは少なく、1基単位で出すケースが多いようです。
「供花」については地域差もありますし、時代によっても変化が見られます。ですから、ここでお答えするのはあくまで一般的な潮流ということにすぎません。

 大きな葬儀では、祭壇の両横に名前の入れた生花が飾られたものですが、生花も祭壇ではなく、式場の両サイドやロビーに飾られたり、各々の花の下に贈り主名を入れるのではなく、まとめてボードに贈り主名を表記するケースもあります。
 1基の値段はいろいろとありますが、基準となるのは1万5千円というのが多いようです。



Q73 「密葬」と「家族葬」の違いは?

最近、同年輩の友人と会うと「自分のお葬式」の話になります。でも話していて「密葬」と「家族葬」の違いがよくわからず混乱しています。(72歳女性)


A 「密葬」「家族葬」「親族葬」「直葬」「出棺葬」「火葬式」「荼毘葬」「炉前葬」…やら、いろいろな言葉が使われていて、皆さん混乱しています。葬儀社さんも言うことが違うし、インターネットで見てもいろんな言葉、いろんな説明が行われています。僧侶の方も迷っていますし、学者の方もトンチンカンな理解をされていることが少なくありません。ですから一般の方がわからないというのももっともなことです。

 前掲の言葉で「密葬」以外は新しい言葉です。新しいといっても「家族葬」が95年頃でしょうか。その他は2000年以降によく聞かれるようになった言葉です。
 では古い順に説明していきましょう。(今回は密葬と家族葬に絞ります)

「密葬」の原義は「密かに行われる葬儀」のことです。ですから近親者(=とても親しい人。血縁だけを言うのではありません)以外には連絡しないで、近親者だけで行われる葬儀のこと。場合によって葬儀前に死亡が他の人に伝わっても「近親者だけでしますので」と断って行われる葬儀のことです。

 でも「密葬」は葬儀社や僧侶といったプロも間違えやすいのです。プロが説明するのは「本葬に先立って場合に行われるもの。本葬と対になる言葉」です。この方々は社葬や貫首さんなどの高僧の葬儀をイメージしておられます。

 社会的に影響力のある方の場合、大勢の方々が集まりますし、準備もたいへんです。ですから死亡直後はうちうちで葬儀をしておいて、準備や連絡をして1カ月後などに本葬をするというスタイルをよく取ります。
 そこで最初の「うちうちの葬儀」を「密葬」と呼びました。なぜ「密葬」なのか? それは皆さんにはご連絡しないで行われるからです。「密」は「秘密」の「密」です。

 しかし、社会的に影響力のある人の死は伝わりやすく、「密葬」と言っても200人以上集まることが少なくありませんでした。会葬者がたくさん集まるのであれば、それはもう「密葬」とは言えない。会社や教団が主催していない(場合によっては、すでに関与している場合があるが)ということで、「個人葬」と言ったほうが相応しい事例がたくさん出てきました。

 ちなみに「個人葬」とは、企業や団体が主催しない、遺族が出す葬儀のことです。
 農家の場合、農繁期に葬儀を行うのは手伝ってくれる人に悪いので、とりあえず近親者だけで密葬をしておき、収穫が終わった頃に本葬をするということもありました。
 しかし、本葬を伴わない「密葬」は昔から例がないわけではありません。近親者以外には閉じて行われる葬儀のことで、自死者の場合や心中した人の場合に、遺族が隠れるようにして葬儀を行うことがあります。

 90年代になると、大げさな葬儀はいやだと「密葬」を選ぶ人が出てきました。あくまで本人と親しい人だけでやろうという考えの人たちです。でも「密葬」と言うとなんとなく「隠れてする葬儀」という少し暗いイメージがありました。

 95(平成7)年頃から「密葬」に代わって「家族葬」という言葉が出てきました。この言葉は温かなイメージだったので、すぐに人々に受け入れられました。「義理でいやいや来る人たち」による「形式ばった葬儀」ではなく、「本人をよく知る人たちだけで温かく、形式ばらずに送ってあげたい」というのがバブル崩壊後の人々の心情にマッチしたようです。でもこの言葉は死者がどういう人であるかによって「本人と親しかった人」の範囲が変わります。当然と言えば当然のことですが。

 ですから「家族葬」と言っても、数人だけのものから70人くらいまでのものまでいろいろあります。あっていいのです。親しい人の範囲はそれぞれなのですから。中には「家族だけのが家族葬、親戚が入ると親族葬」などとくだらない定義をする人がいます。葬儀社も遺族が「家族葬にしたい」と言っても、よく話を聴いてみないと、遺族がどういう葬儀をしたいのかわかりません。

 また、本人と親しい人がたくさんいるのに、その人たちを排除して行って、後でもめごとになったり、秘密にしたつもりが関係者に知られ、予想を大幅に超える会葬者数となったりもします。
 中には、葬儀をするのが面倒で単に簡単にすませたい人が「家族葬」を選ぶ場合もあります。私はそれを「葬儀ではなく死体処理」と言います。

「直葬」その他については次号で説明します。



Q74 「直葬」が流行っている理由は?

新聞によると、東京ではお葬式をしない「直葬」が流行っているとか。70年、80年、90年と生きてきた方のことを考えると何か淋しい気がします。(72歳女性)


A 最新の『現代用語の基礎知識2008』(自由国民社刊)で、私は「直葬」について、次のように記述しました。
◆直葬(ちょくそう)
葬式をしない葬儀の形態を直葬と言う。死亡後、斎場や遺体保管施設に24時間保管した後、いわゆる葬式をしないで直接火葬に処するもの。火葬炉の前で僧侶等により簡単に読経をあげてもらう等の宗教儀礼を行うことはある。2000年以降に都市部で急激に増加した形態で、東京では20〜30%、全国平均でも10%程度あると推定される。

「直葬」は今始まったものではなく、身寄りのない方が亡くなった場合や生活保護を受けている方の場合に、「お葬式抜きの火葬だけの葬儀」が行われていました。  これが増えたのには92年のバブル景気崩壊後の長く続く不況が影響して、経済格差を生み、お葬式代すら出せない層の人々が増えたから、との指摘もあります。

 近親者だけで行う「家族葬」、葬式を行わない「直葬」の流行の背景には、経済不況、経済格差の拡がりは確かに影響があるでしょう。
 しかし、経済不況のみで直葬が増えているわけではありません。
 ある人は「お葬式不信」の感情に「直葬」を葬式の一選択肢とマスコミが報道したことで火がついた、と言っています。そうであると、「直葬現象」を最初にマスコミに紹介し、社会化した筆者が悪い、ということになります。

「直葬」は従来からあったものの、あくまで例外的なケースで、それを消費者にあえて知らせることはない。変に教えるから増加したのだ、という理屈です。
 言い訳するなら、「直葬」を情報として提供する前に「直葬の増加」という現象が起きたので、情報を提供したのです。順番が逆です。

「直葬の増加」という現象の背後には「家族の変容」がまずあります。
 80歳以上の死が死亡者数全体の47%を占め、まもなく確実に5割を超すことが想定されます。高齢者の半数は子どもと同居しない、高齢者のみの世帯です。単身者世帯、夫婦のみの世帯です。子ども世帯が同居していないケースが半数いるのです。

 葬儀には生前の本人との関係が大きく左右します。生前に家族とはいえ本人との直接の関係を絶っていたならば、死者を弔う、という葬式を行う必然性を感じない家族も残念ながら出てくるでしょう。
 かつてであれば、葬式についてのタブーがあったので、お葬式をしないならば地域から総スカンをくう可能性があり、実行に移す人は少なかったはずです。人前では悲しんでいる振る舞いをし、人並みの葬式を行ったのです。

 95年以降、多様な葬式の選択肢が提示され、葬式のコンセンサスが急激に崩れ、「人並みの葬式」というものがなくなったのが第一。第二に、家で葬式をしなくなったので近所の人に観られる心配がなくなったことです。80年代後半以降、拡がっていった葬式の自宅離れ。民間斎場(葬儀会館)の増加が親戚や地域の人の目による監視から解放しました。

 第三に、斎場に加えて火葬場等での遺体保管施設の充実です。遺体は特別の感染症以外では24時間経過しないと火葬できませんが、遺体をその間預かる施設があれば解決します。直葬を可能とする条件が整えられたのです。

 この直葬を「火葬式」「荼毘式」「炉前葬」と呼ぶことがあるのは、業者は「何もしないとダメかな」という遺族の揺れる感情に配慮して「3〜5万円で読経してくれる僧侶がいますよ」と僧侶を斡旋、火葬炉前での読経を勧めたことによります。
 その葬儀社斡旋の僧侶の読経が出棺時であれば「出棺式」と呼ばれます。というより葬祭業者は「何もしない」よりも、どこかで儀式化することにより形を作りたいのでしょう。

 もう一つ直葬を選ぶ家族に弔う気持ちがないのではなく、通夜や葬儀式・告別式という儀礼、儀式に意味を感じないため、近親者だけでお別れすることを選ぶ人々が出現したことです。家族を喪失する辛さはあるが、それは儀礼で解消されないとする考えも増加しています。
 葬式が斎場(葬儀会館)で行われ、葬儀が消費対象になると、簡単で安いものを求める人も増加します。




Q75 葬儀って必要なの?

先日、中学生の孫に「お葬式って必要なの?」と訊かれて、思わずドキッとしてしまいました。私自身が答えられない問いでした。(78歳男性))


A  ドキッとする問いですね。1951〜65年に、北イラクで4万年以上前のネアンデルタール人のシャニダール遺跡が発掘されました。墓地の人骨の周辺から花粉が発見された話は人々を驚かせました。フランスの歴史学者フィリップ・アリエス(1914〜84)が『死の文化史』でこのことを紹介しています。私もこの話に強く惹きつけられた一人です。

 当時この花粉は、「現代人の祖」であるネアンデルタール人が死者を埋葬する際に花を供えていたことを示すと推定され、受け止められました。
 アリエスはこの発見に触発され、有名な次の言葉を冒頭に書いています。

 かねてより信じられてきたように、人間はみずから死にゆくことを知っている唯一の動物だ、ということは、じつは確実ではありません。そのかわりたしかなことは、人間が死者を埋葬する唯一の動物だということです。

 実は今、考古学の発見はもの凄い勢いで進んでいます。ネアンデルタール人はヒト属の一種ですが、今ではDNAの解析により、現代人の祖ではないとされていますから、現代人が昔から死者を弔っていたかどうかは不明です。しかし、私はアリエスのこの文章に出遭ったときに、戦慄したことを思い出します。

 私自身の体験では、阪神・淡路大震災直後の神戸で見た光景が忘れられません。そのことを次のように書きました。

1995年の1月17日、阪神・淡路大震災が起こり、死者6千人以上、負傷者4万人以上の大災害をもたらした。数日後に現地に入ったが、焼け野原状態の長田地区に、ポツンポツンと小さな板切れに牛乳瓶の花一輪と水が入ったペットボトルが置かれていた。家族が家族の亡くなった場所に置いたのであろう。その祭壇が美しく、切なく見えた。(『「お葬式」はなぜするの?』講談社+α文庫)

 私が訪れたとき、震災後間もなくであったため、水道もまだ止まっていて、訪れた長田地区は焼け野原状態でした。戦争を知らない私は、戦災というものはこういう光景を言うのだろうか、と思いました。
 その焼け跡にいくつもの、その「祭壇」が置かれていたのです。
 それを見て確信しました。「葬儀が必要かどうかを論じるのは暇人のすることではないのか。葬儀は、せざるを得ないと遺族の心をせきたてるものではないのか」と。

 当時報道されたテレビで、神戸では充分な治療ができないから、大阪等の病院に行くよう医師から勧められた中年男性の対応にも身が震える想いをしました。
 転院の勧めを断固として断り「私にはしなければならないことがある」と言ったのです。その男性は震災でご家族を亡くされていたのです。葬りもせずに自分だけがここから出て行けない、と言っていたのです。
 人間の生命は、個体としては他の生物同様に、かぎりがあります。そのことは頭では早くから認識できます。でもそれだけでは死を「知っている」とは言えません。残念ながら、頭で認識するようには、感性では「死とはどういうものか」をわかることはできません。ですからお孫さんが発した質問はある意味で賢いと思うのです。「死」を頭で理解するだけでせず、問いとして表現しているからです。

 最近の「死についての教育」では、「人の死」を理解させる一助として「ペットの死」が教材とされることが多いようです。それが「極めて近い」ですし、そこには、死の体験で起こる感情を何とか感じてほしい、とする教師の熱心さが見てとれます。
 でも、「人の死」というのは普遍的に理解しようとしても難しいことが多すぎます。個別の人の固有の死があるのですから。身近な人が死に、お葬式をすることで、少しずつ私たちの死生観が形づけられていくのでしょう。

 最近、とみに憂えるのは「近親者の死すら」充分には体験できないお葬式が多くなったことです。子どもや若者の感性は驚くほど豊かです。しかし、「大人」が子や若者から死を体験する機会を奪っているように思うのです。


Q76 弟の遺骨を寺は拒否できるか?

先日、「弟の骨をうちの墓に入れたいのだが」と言ったら、住職に「弟さんは分家だから別だ」と言われました。腹が立ったので、いっそのこと寺を変えようと思うのですが。(74歳男性)


A いやいやひどい僧侶ですね。まだそんなことを言っている寺の住職がいるのですか。
 といっても、このお坊さん、古い考えではなく、戦後の新しい考えの人ですね。戦前の「家(イエ)」は大きな単位でしたから、長男であるあなたが了解していれば、弟であろうが同じ墓に入ることができました。
 実は戦後の民法でも、祭祀主宰者である長男のあなたが了解すれば、同じ墓に入れるはずなのです。

「イエ」を核家族単位に見るのは戦後の民法の考え方です。子どもが結婚すれば別の単位の戸籍をもつのです。おそらく住職はその戦後の考え方から、長男であるあなたの家族と弟さんの家族を別物として見たので、別だと言われたのでしょう。
 しかし、寺の墓地にも使用規則というものがあります。いわば契約約款だと考えてくだされればいいと思います。

 現在、使用を許されているのは、そもそもその墓所を借りている人、つまり長男として跡を継いだあなたになります。
 その墓所に入れることのできる遺骨を決定する権限があるのは使用者であるあなたです。
 使用規則には、寺院境内墓地であれば「檀信徒に限る」とし、場合によっては「葬儀法要などの仏事一切を当寺に委嘱してください。ただし、入檀以前の宗派は問いません」という細かい条件がつくことがあります。つまり無宗教葬やキリスト教の葬儀をした人の遺骨の埋蔵を寺院が拒否することもあるわけです。

 そのほか「墓地は使用を許可された者及びその親族のほかは埋骨できない。ただし使用者の申し出により管理者が許可した場合はこの限りでない」などと書かれています。つまり使用者の「親族」であれば問題ないのですが、「親族」の範囲が問題になります。
 民法725条によれば、「親族の範囲」とは「6親等内の血族、配偶者、3親等内の姻族」です。
 ですから、「親族」は、かなり広い範囲に及びます。使用規則で特に指定していないかぎり、親族は民法の規定するところによりますから、弟さんは2親等の血族ですから、使用者であるあなたが認めれば問題ないのです。

 仮に「妻の妹の娘」であっても3親等の姻族になりますから、民法上の親族の範囲に入ります。
 ちなみに「血族」とは本人の血のつながる人たち(自然血族)と養子縁組をした人(法定血族)を言い、姻族とは配偶者の血につながる人たちです。本人と配偶者の関係は0親等、上に行くと親が1親等、親の親(祖父母)、親の子(きょうだい)が2親等、親の親の親(曽祖父母)、親の親の子(おじ、おば)、きょうだいの子(甥姪)が3親等です。これが6親等まで続くのですから、その範囲は広い範囲になり、昔の大一族を含むものとなっています。曾祖父のきょうだいの子までが6親等です。
 さらに「使用者の申し出により管理者が許可した場合はこの限りでない」とあるのですから、これは親族ではない、たとえば友人の遺骨でも、「墓地の管理者が許すならば埋蔵できる」と読めます。

 また、遺骨の埋蔵にあたっては、火葬済みの証印のある火葬許可証または分骨証明(火葬証明書)、改葬のときには改葬許可証の提出が義務づけられています。
 だいたいが寺院境内墓地の使用規則において共通していますので、その寺で葬儀法要を行い、証明書が付帯しているかぎり、弟さんの遺骨の埋蔵を寺は拒否できない、と解釈することができます。弟さんが2親等、弟さんの子は3親等で、まだ同じ墓に入れる権利があることになります。
 理屈では以上のようになりますが、最近のお坊さんで、弟や妹たち、きょうだいの家族は分家とか別家と解釈する人がけっして少なくないのは残念ながら事実です。そのため寺との紛争が起きる例が少なくありません。

 その結果、檀家であることを辞める場合には、今までの墓を改葬する必要があります。
 改葬するためには墓にある遺骨を取り出し、原状復帰する必要があります。この工事には1平方メートルあたり約10万円かかるというのが墓石関係者の解説です。また、新しいお墓を求めることになると、その費用がかかります。


Q77 「直葬」とは?

最近東京で流行している「直葬」とはどういう葬儀ですか。(72歳女性)


A「直葬」は「ちょくそう」と読み、「お葬式をしない葬儀」のことです。
 以下、『現代用語の基礎知識2010』に掲載した説明をあげておきます。

▼直葬(ちょくそう)
葬式をしない葬儀の形態を直葬という。死亡後、斎場や遺体保管施設に24時間保管した後、いわゆる葬式をしないで直接火葬に処す形態の葬儀。火葬炉前で宗教者により簡単な宗教儀礼を行うことはある。2000年以降に都市部で急激に増加し、東京では20〜30%、全国平均でも10%程度ある。

「直葬」は葬儀社によっていろいろ言われています。「炉前葬」「火葬式」「荼毘葬」などです。
 アメリカでも日本の告別式にあたるヴューイング[エンバーミングされた遺体を大理石等の棺(キャスケット、宝石箱が原義なだけに立派な棺)に入れて、一人ひとりが遺体と対面してお別れするもの]をしないで、エンバーミング(消毒、整顔、防腐、修復、化粧)をせずに火葬(クリメーション)する形態の葬儀を「ディレクト(ダイレクト)・クリメーション」と言うようです。

 日本では「火葬のみの葬儀」は、実は昔からあったものです。それは身元不明者や生活保護の受給者の葬儀で「福祉葬」と呼ばれたものです。
 今、葬儀の個人化や簡略化が進んだ結果、究極の「簡略化」である「直葬」が選ばれるケースが少なくありません。

 これには景気も影響しています。長引く不況が生活者の財布を圧迫し、葬儀にお金をかけられない人が増えたことです。「福祉葬」をせざるを得ない人、生活保護を受給はしていないが、単身者で身寄りのない人、縁者はいても遠縁なため引き取り手がない人も増えています。また、老夫婦のみの世帯で、遺された人の老後にいくらお金がかかるかわからないために、葬儀費用を抑制しようとする人もいます。

 地方自治体の場合、身寄りがない人がその地で死亡した場合には、葬儀をする(といっても最低限の火葬中心ですが)ことが定められていますが、地方自治体財政の危機から、身寄りのない人の遺体を献体登録者の少ない地方歯科大の解剖実習の素材として提供するようなことも行われています。

 しかし「直葬」が注目されるのは、「葬儀の費用がない」わけではなく、「葬式をする意味を感じない」という理由で、葬式を拒否する人が少なくないことです。
 それには本人が「葬式をされたくない」「葬式のためにお金を使うな」「葬式は周りに迷惑をかける」と言い残しているケースも少なくありません。
 また、家族が「葬式にお金を遣うのは無駄」「死者よりも生者にお金を遣うほうが有効利用」、中には「なんで葬式を出す必要があるのか、死んでくれてせいせいした」というケースさえあります。
「葬式をするよりも家族が死者の側に寄り添って時間を過ごしたほうが有効」と考える人もいます。

 かつて葬儀はタブーであり、地域によって執り行い方に暗黙のルールがあった時代では、本人や家族がどういう思いをもとうが、人並みの葬式が行われ、その費用も親戚や地域、関係者が「香典」を持ちよって負担したという時代がありました。だが、それもだんだん少なくなってきました。
 いいか悪いかを別にして、「葬儀の自由化」「葬儀の多様化」の時代が到来し、また縁者が葬式の費用も運営も負担してくれていた時代は終わりを告げようとしています。

 人は死亡すると、その遺体は腐敗するので、何らかの方法で遺体処理されてきました。それはチベットであれば「鳥葬」であったり、海岸縁では洞窟に遺体を置いたり、山の周辺に置いてくる「風葬」、木の上に柩を置くものや、そしてよく知られている「土葬」「火葬」などがあります。
 しかしそれで終わらず、何らかの「弔い」(それは文化や宗教により異なりますが)をしたのが一般的であり、それが死への文化的装置であった「葬式」だったのです。

 周囲の人間が死者を弔い、家族の悲嘆に共感を寄せる、それはきわめて人間的行為です。一人ひとりの人間の生を受け止め、それに対峙することが遺された人たちにも必要な行為だったのです。
「葬式不要」というのは、現代の弔い方、あるいは人のどこかに問題があるから、という気がしています。今は「死者との関係」が問われている時代のような想いをしています。


Q78 お寺、お墓の選び方は?

私は次男です。東京に来て長いのですが、葬式のとき、お坊さんはどこに頼めばいいのでしょうか。田舎のお寺とは付き合いがありませんので。(68歳男性)


Aいくつかの選択肢があります。
 一つは田舎の菩提寺の住職に相談することです。
「次男」という言い方をするところをみると、長男か、その長男の子どもが田舎のお寺の檀家になっているように思います。長男にしてもその子の甥や姪にしても、お付き合いはあると思いますので、菩提寺の意向を訊いてもらう。あるいは、その方に断って菩提寺に電話をして相談してみてはいかがでしょうか。

 あなたのご両親も田舎のお寺の檀家であったならば、その子であるあなたも檀家の家族の一員です。あなたがご自分の葬儀を菩提寺にお願いしたいと言うならば、菩提寺の住職はきっと来られると思います。その際に往復の交通費と宿泊費はお布施とは別に実費相当を包みます。
 また、菩提寺の方が来られない場合には、東京で菩提寺の住職のお知り合いのお寺を紹介してもらうようにお願いしておきましょう。

 よく「田舎の僧侶はわざわざ来てくれないだろう」と早合点して、葬儀社に東京のお寺を斡旋してもらいがちですが、まずは田舎の菩提寺にお願いするのが筋です。
 田舎の菩提寺にあるお墓に入る予定であれば、なおのことです。
 よく「次男だから田舎のお墓には入れない」と思っている方がいます。それは田舎のお墓を現に管理している方(長男またはその子ら)が拒否した場合で、認めてくれるならば入ることができます。

 ただし、あなたの配偶者やお子さんたち家族が「近くがいい」と希望されるのであれば別です。
 そのとき、考えることは2つあります。
「葬式や法事を頼むお寺はどうするか」ということと、「墓地はどうするか」です。
 墓地もお葬式や法事も同じお寺で、とお考えでしたら、自分の脚を使って調べることです。お寺と墓地の2つの要素がありますが、第一にはいいお寺、つまり信頼できる住職のいるお寺です。
 いい住職なのだが、墓地は不足している、というならば、住職が墓地探しに協力してくれるはずです。

 葬式や法事は田舎の菩提寺の住職にお願いするが墓地は東京で、というならば墓地を探します。
 檀家となるお寺は決まっているので、宗旨を問われることのない公営墓地か民営墓地になります。
 墓地以外に納骨堂という選択肢もあります。また墓地にしても樹木葬墓地があり、こちらはお寺による経営が多いですが、檀家になることを条件としていないケースが多いです。また、話題の散骨(自然葬)を選ぶ方もあるかもしれません。

「お寺を選ぶ」というのは案外難しいところがあります。宗派も重要ですが、ちょっと置いて話を進めます。
 第一に重要なのは、先述したように住職の人間性です。自分も家族も相談にのってくれそうか、という視点が重要です。お寺は葬式や法事だけのお付き合いにあるのではなく、いろいろな面で相談相手になってくれることが大切です。住職の人間性を確かめるには何回か通い、お寺の行事に参加してみればいいでしょう。

「お寺を選ぶ」ときの条件にならないのは大きい寺か小さいお寺か、ということです。お寺の世界、けっして大きいお寺に信頼できる僧侶がいるわけではなく、小さなお寺に優れた僧侶の方がけっこういるからです。
 次に根本的な宗派の問題です。
 一口に「仏教」といっても、さまざまです。
 仏教では、一つは田舎の菩提寺と同じ宗派か、という問題です。同じということで選べば便利なことが多いです。

 しかし、信仰の自由は個人にありますので、自分が最澄が開いた天台宗系がいいか、空海が開いた真言宗系がいいか、法然の浄土宗がいいか、親鸞の浄土真宗系がいいか、日蓮の日蓮宗(法華宗)系がいいか、禅宗(道元の曹洞宗、栄西の臨済宗)がいいか(他にもあります)、考えましょう。宗派はそれぞれ特色がありますから、この機会に勉強してみるのもいいでしょう。勉強すると結構楽しくなるものです。
 勉強した結果、「この教えがいい」と選ぶ人もいれば、「根本はみな同じだ」と宗派に執着しない人もいます。お寺やお墓の選び方から深い世界に触れる機会も生まれます。




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