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碑文谷創 1998.7 

第1回 変わる葬儀
第2回 自分らしい葬儀
第3回 死を考える
第4回 葬儀の生前準備

第1回 変わる葬儀

■「寅さん」の葬儀
 
 大船撮影所で渥美清さんのお別れ会が行われました。大船撮影所(当時)に寅さんの映画に出てくる江戸川の土手を実際に作りまして、草や枝も生えています。その上に寅さんの映画のスチール写真が飾られました。ここには何万人かのファン人が訪れました。
 
 このお別れ会の規模の大きさ以上に影響が大きかったのは、死亡直後の個人葬のもち方でした。
 渥美清さんが亡くなられた時は、ご家族の3人だけでご葬儀をなさいました。いわゆる密葬をなさったわけです。亡くなったこともマスコミに知らせず、終わってから通知された。密葬は政治学者の丸山真男さん、俳優の沢村貞子さん、その前には『サザエさん』の作者の長谷川町子さん、などがなさったこともあり、いまではすっかりブームになりました。渥美さんの場合、ご家族での密葬した後で松竹がお別れ会を主催しました。
 
■吉田元首相の国葬
 
 1967(昭和42)年10月31日、吉田茂元首相の葬儀が戦後初の国葬として日本武道館で営まれました。国葬ですから無宗教です。先立って行われた個人葬ではカトリックで営まれたようです。この年というのは中国では文化大革命が行われており、ベトナム戦争の最中、日本でも反対運動が激しく展開されておりました。リカちゃん人形が発売になり、ツィッギーが来日してミニスカートが全盛となった年でもあります。
 
 吉田元首相の国葬をなぜ取り上げたかと言いますと、これが日本での事実上最初の生花祭壇による葬儀でもあったからです。
 白木宮型祭壇が流行したのは戦後になってのことですが、現在では生花祭壇が人気を集めるようになっており、祭壇の話としては、白木祭壇から生花祭壇へ、という流れにあるとすら見えます。
 生花祭壇は、吉田さんの国葬の影響を受け、1970年代から北海道で花開き、80年代に九州に飛び火して、90年代になって全国に波及しました。いま、葬儀の祭壇で花を使うことがかなり流行しております。
 
■生花祭壇の変遷
 
 いまから10年前の90年に俳優の初井言栄さんが亡くなり、葬儀が行われました。これは祭壇というより一種の舞台、初井さんを送るドラマの舞台という感じでした。弔辞をその後亡くなられた大地喜和子さんが読んでいました。お花を敷きつめた生花祭壇で、遺影の下に色花が飾られています。お花がパーッと敷きつめられている感じで、周囲には木が配されております。舞台のような形です。約10年前から、舞台装飾の影響を受けて、生花祭壇が変貌してきました。
 
 91年の松山英太郎さんのご葬儀では、祭壇を真っ赤なバラだけで作りました。真っ赤なバラだけで祭壇を作ったことによって、葬儀の花は白であるという観念が崩れた記念碑的な葬儀の祭壇です。松山さんのときはもう真っ赤なバラだけです。4千本という数のバラです。
 人間国宝の杵屋佐登代さんの葬儀では、庭園をイメージして、両側面に竹などを配して祭壇を作りました。最近は祭壇に緑のものがずいぶん使われるようになりました。世の中の自然志向が反映されているのでしょうか。
 
 いま、焼香に代わって献花方式も人気を集めていますが、この方式にも変化が見られます。ある葬儀の祭壇の下に池が作られ、実際に水が流れておりました。そこで献花をしています。献花は花びらの上の部分だけを水に流すという方式です。
 献花というと、普通は菊とかカーネーションとか白い花を使います。ここでは白だけではなくいろんな色が使われておりまして、それを思い思いに流す形にしています。このように献花のスタイルもいろいろあります。最近は赤い色もあり、多彩な色が使われます。実際にオアシスに会葬者が挿していくと祭壇全体がうまく仕上がる、というようなものもあります。
 
■白木祭壇
 
 これまで、葬儀の祭壇といえば白木祭壇のことでした。
この白木祭壇は根強い人気があり、いまでも定番ともいうべきものです。
 葬儀で祭壇が中心となったのは、それほど古いことではありません。戦前までは葬儀のメインイベントは葬列でした。葬儀のことを「野辺送り」ということからもわかります。戦後、この葬列がなくなり、代わって告別式が登場し、この告別式用の装飾壇として祭壇が誕生したのです。
 祭壇の上部に置かれている寺院風の装飾物は「棺前飾り」といいます。昔はこの後ろに柩が置かれていました。さらにその昔は、これは輿(こし)で中に柩が入って、葬儀の時に火葬場あるいは墓地まで葬列を組んで運んだ葬具でした。今は葬列がなくなったものですから、柩を入れる輿の機能がなくなり寺院風の飾りになっています。それで祭壇が構成されて花が並んでいる。こういうデザインが典型的な形となっています。
 白木祭壇をなくし、生花だけで祭壇を作っている例もありますが、白木祭壇に生花を配した祭壇も多くなっています。
 
■個性的な祭壇
 
 作家の宇野千代さんの葬儀では、遺影の周囲は花額になっておりまして、その下にいろいろな花が並んでおります。きれいな色です。問題は左右にあります。宇野さんは桜が好きだったというので桜の木を持ち込み飾りました。こういうのは非常にユニークです。桜の木の下には宇野千代さんが好んでおりました桜がデザインされた着物が両袖に几帳という形で並んでおります。宇野千代さんという個性が際立った葬儀でした。
 
 三船敏郎さんの葬儀の祭壇には何もありません。映画のセットをそのまま再現した形で、映画のスチール写真をそのまま遺影として持ってきました。それが三船さんの葬儀の祭壇です。祭壇らしくありませんけれども、贅沢といえばこれ以上の贅沢はないかもしれません。
 この亡くなった方の個性を活かした葬儀というのも、ここまで徹底はしませんが、大きな支持を集めるようになっています。
 
■遺体中心の葬儀
 
 高橋和子さんは「サザエさん」のカツオの声をなさった声優の方です。普通の白木の祭壇を用いておりますが、周りのお花の使い方がものすごくカラフルです。そして、布張りの棺を使っております。この棺は、上のほうが半分開いていて対面できるようになっています。遺体を見せるのはいやだという方もいますが、アメリカなどでは葬儀の時にはお一人おひとりとお別れしていただくというスタイルで、そういうスタイルが日本でも出てきたということです。
 
 俳優の千秋実さんの場合は祭壇をいっさい使っていませんでした。お花と棺で構成されているものです。それほど大きなものではありませんが、花の使い方がずいぶん自由な感じで展開されていました。こうした祭壇を使わない装飾というのも現れてきました。柩が中心というのはアメリカ式でもありますが、戦前の葬儀ではあたりまえのこと、遺体中心という原点に還ったものともいえます。千秋さんの棺は、布張りの上のビロード棺です。このビロード棺は、高峰三枝子さんや美空ひばりさんがお使いになってから普及したというものです。
 
 関西の大学の先生のご葬儀では、ご家族で密葬をなさいまして、後にホテルで「偲ぶ会」という形でなさいました。立食形式です。祭壇というのは、遺影写真に少量の花をあしらっただけです。こういうごく簡素な飾りつけの葬儀もあります。
 
■遺影の変化
 
 料亭のご主人が亡くなったのですが、この方は音楽が好きだったんですね。ジャズはクロウトはだしだったようで、演奏している時の写真を遺影として用いました。遺影写真に正装したきちんとした格好のを選ばず、その人を彷彿させるような写真に変わってきています。
 ソニーの盛田さんとサントリーの佐治さんのご葬儀で、大きく新しいものが登場しました。遺影写真が3枚なんです。今までは遺影写真というと1枚だったのが、3枚使われました。これによってかなり立体的にその人が浮かび上がってきますね。3枚というのがミソであろうと思います。これは登場したばかりですが、今後こういう形式は比較的増えてくるのではないかなと思っております。
 
 その人らしさ、ということの表現として、最近は写真がたくさん使われるようになってきております。式場内や式場の入口とかに、その人の生涯の写真あるいは作品、思い出の品とかを展示するメモリアルコーナーを作るのが葬儀の最近の流行…とまでにはまだなっていませんけれども、そういうことがよく行なわれるようになっております。
 
■タブー視されなくなった葬儀の話
 
 葬儀については95年くらいから、ずいぶんマスコミなんかでも取り上げるようになりました。かつては葬儀とか墓の問題というのはかなり社会的にタブー視されていたのですが、85年頃からターミナルケアの問題で、死あるいは終末医療、死の看取りの問題といったことが取り上げられました。89年あたりからお墓の問題が取り上げられてまいりまして、95年あたりから葬儀の問題、寺のこと……永六輔さんが『大往生』という本を出されて、茶の間でもお葬式の話をすることができるような時代になっています。
 
 その前に『お葬式』という映画がヒットしたことを記憶されている方もいらっしゃると思います。これは伊丹十三さんが作られた映画なんですが、実はあの映画で使われてその後ヒットしたのが、布張りの棺です。それまでは木製の棺でしたが、布張り棺が映画で使われまして、それ以来、特に女性の方の人気を集め、いま、東京あたりでは女性の3分の1ぐらいの方がこれを使うようになってきています。
 葬儀は、その昔は地域共同体中心のものであったのですが、戦後の高度経済成長期あたりから社会儀礼色の強いものへと変化してきました。いま、個人的なものへ変化しようとしています。
 
第2回 自分らしい葬儀

■その人らしさを表す葬儀のスタイル
 
 いま、ここ10年くらいの間に、急速に葬儀が変化してきています。多様化してきているといえます。
 いまの流れの一つは「その人らしさ」です。要するに、葬儀はみんな同じではないんだよと。亡くなった人の生涯を受け止めれば、それぞれ違ってあたりまえということです。ご婦人が亡くなられた場合とか、あるいは若い人が亡くなられた場合とか、高齢の方が亡くなられた場合とか、それぞれやはり違ってくる。その人に合わせて変わってくる。そのもっとも現れているのがお花の使い方です。色花が使われますし、草花も使われます。
 
■選んでおきたい、自分の遺影写真
 
 遺影写真も相当変化してきています。昔は歯を見せてはいけないとか、笑った顔の写真はよくない、などと言われましたが、今はもうどんどん歯を見せるし、笑ってもいます。正装もしないでジャンパー姿のもあります。要するに、その人らしさが出ればいいという形です。
 額はよく黒枠でやっておりますが、花額があったり、黒リボンをかけるというのも少なくなりました。また、カラー写真が多くなりました。
 最近、お年寄りなどに──この中にもいらっしゃるかもしれませんけれども──毎年正月には遺影写真を撮るという方がいらっしゃいます。誕生日に毎年遺影写真を撮るという方もいらっしゃいます。
 最後の3年間は寝たきりで死にました私の父もそうでした。あんまり若い頃の写真はちょっと気恥ずかしいという感じがあったのでしょうか、寝たきりになる直前の写真を遺影写真に使うようにと指定しておりました。お気に入りの写真で、家でくつろいでいたカーディガン姿の写真です。葬儀ではそれを使いました。遺影写真に結構こだわっていました。
 
 遺影写真というのは結構難しいものでして、あらかじめ選んでおきませんと、いざという時になかなかいい写真が出てこない。葬儀の時は本当に慌てていますから。あまりいい写真が出てこないから、ちょっと服装がまずい、着替えさせようという話に結局なってしまいがちです。
 今はみなさん、写真を撮る機会がたくさんございます。遺影写真などはちゃんと選ばれておくといいかなと思います。中には1枚だけじゃ表現しきれない方がいらっしゃいます。三木鮎郎さんが亡くなった時、いろんな写真が祭壇の焼香する前にずらっと並べられておりました。
 また、晩年のものだけではなく、若い時からの写真があると、いいものです。私の学生時代の友人が亡くなって、葬儀に参列したんですが、遺影写真にびっくりしたんですね。若い時しか知らない人間が急に年をとって現れると、何か他人の葬儀に来たみたいな感じがありました。よく見るとやはり面影が残っているんですが、若い時の写真もあると、「あっ、こいつだったな」ということがすぐ浮かび上がってくるものです。
 遺影写真の中に生きている人を入れないという慣習がありましたが、最近は平気で出しています。お孫さんと一緒、ご家族と一緒の様子とか、そういう写真が使われます。その人の生活感がいろいろと現れている写真が使われるようになりました。
 
■葬儀に流す音楽は……
 
 葦原邦子さんのご葬儀では、舞台全体にきれいな花が並びました。いったん個人葬をおやりになってますから、遺骨が正面に置かれました。遺影は、芦原さんの晩年よりももう少し前の演奏会の風景の写真です。きれいな時の写真を飾ったというものです。実際にここでプロのミュージシャンたちが演奏会をいたしました。葬儀で演奏することを「献奏」といいます。演奏を捧げるという形です。ご自身の葬儀が音楽会になったというものです。「音楽葬」といいます。
 最近の葬儀で変わってきた一つは音楽です。クラシック音楽も使われますが、ジャズも使われます。デキシーランドジャズは元々は葬式の葬列の時の音楽でした。戦争体験のある方は軍歌をよくお使いになります。音楽というのはその人の青春時代を現すものですから、将来はロックなど多彩になると思われます。
 
 演歌はさすが葬儀に似つかわしくないと思われるかもしれませんが、最近はよく使われます。
 私の友人がガンで死んだ時、そいつがカラオケが大好きでして、演歌をうなっていたんですね。それで焼香の時と出棺の時に、そいつがしゅっちゅううなっていたオハコの演歌が流れましたら、もうたまんなくなりましたね。そいつは酒飲みで、しつこいヤツでしてね、ただし心の優しいいいヤツだったんですけれども。演歌が人生そのものだというヤツだったんです。そのオハコの演歌が流されて、彼をよく知っていた会葬者がみんなオロオロし始めました。知らない人はキョトンとした顔をしていましたけれども。
 
 今では、音楽は何を使ってはいけない、こういうふうに使ってはいけないということはなくなりました。お坊さんのお経と合わせて流すわけにはいきませんが。音楽を流すのは式が始まる前とか、あるいはお経が終わって焼香してお別れしている時とか、あるいは出棺の時とかですね。
 
■葬儀の服装
 
 喪服の話をちょっとさせていただきます。今、会葬者もみんな黒い喪服を着用しますが、喪服というのは「喪の服」ということで、喪に服するから喪服を着用するのですね。戦前の写真を見ておりますと、喪服を着ているのは遺族だけです。あとはみなさん正装をなさっています。結婚式や何かの式典に出られるような正装をなさっているんですね。
 昔は日本の喪の色というのは白でした。今でも北陸のほうに行きますと、喪主が白を着ることがあります。明治30年代になりまして、日本は欧化政策ーヨーロッパのいろいろな文化を取り入れるようになりました。ヨーロッパでは黒が喪服で、黒というのはヨーロッパの喪の色を取り入れたものです。皇室が最初です。初めはなかなか馴染まなくて、都市では大正年代から、本格的に定着したのは戦後のことです。
 戦後、1950年代くらいから会葬者までがいわゆる喪服を着るようになってきた。遺族だけじゃなくて、喪に服していない人までもが着るようになった。流行というのがあった時代でしたので、周りが黒を着ていると自分も着ていかないと何か弔っていないように思われるからというので、みんなが着るようになり、あっというまに定着しました。

 いつか小渕さんがヨルダン国王の葬儀に行った時に、黒を着ていたのは小渕さんだけで、あとはクリントンさんもその他の元首もみんな黒じゃなかったという新聞記事がありました。
 本来の喪服という意味からも見直していいのではないかと思います。
 遺族の喪服が白であったのは、死者と同じ服装ということからきていました。死者は白の経帷子を身にまといました。あの世に渡るための修行僧の服装です。
 だが、最近はそこにも変化が見られます。その人らしい服装を身にまとってという方が増える傾向にあります。個人化・個性化の影響です。
 
■変化する通夜・葬儀の流れ
 
 遺影写真やお花とか、音楽だけではなく、式の流れもずいぶん変化してきております。東京では最近、お通夜の会葬者が7で、葬儀・告別式の会葬者が3。そのぐらいに変わってきています。お通夜のほうが圧倒的に多くなってきています。
 また、最近では、遺族が「本人をよく知った方を中心に葬儀をしたい」とお話しになるケースが増えてきました。
 ある方の奥さんをガンで亡くされました。お通夜は自宅でご家族に奥さんと直接日常的なつながりのあった近所のご婦人方だけでなさいました。みなさんには事前に「お通夜は近親者だけでしますので、お通夜ではなく、葬儀・告別式にお出でください」と連絡しました。そして翌日に、東京の場合は火葬場に併設した式場が多いですから、そこで夜に葬儀・告別式をしたんです。昼間はお仕事があるでしょうから、と夜に集まっていただいた。終わった後はちょっと食事の用意をしてありまして、親しい人たちはそこでいろいろ交歓してお話しして三々五々帰る。その席に出ないでお帰りになった方もいらっしゃるし、ゆっくりお話ししていられる方もいらっしゃる。そして翌日朝、火葬しました。その時も「家族だけでいたします」とみなさんはお断りしました。
 火葬には、40人とか、みなさんも行かれることが多いと思います。ご親戚の方も行きたいという方がいらっしゃると思います。しかし、火葬というのは遺体との最後の最後のお別れの時ですね。ですから遺族にとっては非常に辛いものがあります。その人が奥さんを亡くされてご家族だけで火葬をなさったのは、もう自分たちだけで思う存分、人の目を気にしないで別れたいということだったようです。人の気持ちも変わってまいります。それに応じて行なうということも出現しております。
 
 葬儀の時は柩でするのが一般的な形です。北海道の函館は、大火事の影響で葬儀の前に火葬する形になっているようです。東北から北関東にかけて、長野や静岡の一部もそうなのですが、やはり葬儀の前に火葬をします。遺骨で葬儀をするので、これを「骨葬(こつそう)」といいます。
 先に火葬しておきますと、葬儀はすぐにやらなくてもいいというメリットがあります。とりあえずご家族だけで密葬にしておいて、都合のいい時にみなさんにご案内して、改めてお別れ会をやる、あるいは告別式をする。ですから、2週間後、1か月後という形でできるわけです。そういう形も増えております。
 香典というシステムはどこにでもありますが、お別れ会では香典もありますが、会費制で行なうというものがあります。遺族が中心なのではなく、集う人がみんなで送るんだということで、費用を分担します。いくら包んだらいいだろうかと迷うことはありません。まぁ親しい方はそのほかに別に包むこともあるようですが。お別れ会は、会費制で行なうほか、服装も黒を着ないというスタイルが多くなってきております。
 
第3回 死を考える

■お通夜の本当の意味
 
 お通夜の時には日本では黒を着ることが流行っていますけれども、かつてはお通夜の時は黒を着なかったんです。それからお通夜の時は香典を持っていかなかったんですね。
 それはなぜかと言うと、死の受容の問題なのです。法律的には、死は医師が決めます。死亡を判定し死亡診断書を発行するとか、そういう形で医師が判定するわけです。ただし、遺族というのはなかなか死を受け入れられないものですよね。
 僕の友人の場合、若くて死にましたので、本当に信じられない思いでした。なんとか生き返ってほしいという気持ちがありました。そういうものです。
 
 お通夜の期間というのはいろいろありますが、日本の葬儀システムでは、亡くなった方を生きているかのように扱っている時間なのです。枕経をあげているのは、死んだ人にあげているのではなく、生きている者としてあげて、あの世に行くのにいろんな教えをお坊さんが語りかけているんです。また、お通夜でいろいろ食事なんか出すのは、周りの人に差し上げているように思いますけれども、実は亡くなった方に差し上げて、看護して尽くしている。ですから、かつては東京ではお通夜に香典なんか持っていったら突き返された。これは東京だけではなく各地であります。中部地方には、今でもお通夜の時に香典を出す場合には「お見舞い」と書くところがあります。なかにはご丁寧に「病気見舞い」と書きます。
 
 そしてお葬式の時に初めて黒を着ていく。お通夜の時に、夜通し看病したり何だりしても、やっぱり生き返らない。無理やり自分たちの心のうちで断念して、みんなで送ろうという形でお葬式をしていたのです。
 その境が近年特になくなりました。お通夜からもう正式な葬儀が始まっています。ですから、遺族にとっては家族の死をどういうふうに受け止めるかということに対する時間的余裕がだんだん少なくなってきている。以前はお通夜は本当に親しい人だけが来て、葬儀・告別式はみなさんが来てお別れをしていた。今はお通夜の時からたくさん来ますから、遺族が本当にゆっくり死者に向かう時間がとれないでいます。
 
■死は体で感じるもの
 
 いま病院で亡くなる方が全国的に75%です、自宅以外で亡くなった方が80%を超しています。15%程度の人しか今は自宅で亡くならないですね。自宅で亡くなる場合も大変ですし、病院で亡くなられる場合も病院に通って看病したり何だりで、特に女性の方はいろいろ大変なんです。
 身体的にだけではなく、家族が亡くなるとやっぱり心にものすごいダメージを受けますよね。ご家族あるいは配偶者、お子さま、いろいろな形で亡くなられたご経験がおありの方もいらっしゃると思います。死というのは頭でわかるもんじゃないですね。体で感じることなんです。
 
 私の父の話を先ほど申し上げましたけれども、3年間寝たきりでして、脳梗塞のため喋り口はおぼつかないのですが、頭ははっきりしていました。何かというと呼び出しまして、「お前、葬儀はこうやるんだ、覚えておけよ」とか、「骨はどこに納めろよ」とか、「どういうやり方をしろ」と、何回もくどいように言ってました。本がたくさんあった人間ですから、「自分の本はあそこに寄付したい」とか、いろいろ細かいことまで言っていました。
 最後まで「延命治療はいっさいするな、病院に入れるな、点滴はどんなになってもするな」と言っておりました。1ヵ月前の12月初めに「俺はあと1か月後に死ぬ」と言い出し、正月の料理を食べて後に食べられなくなりまして、本人の言のとおり、1ヵ月後に死にました。もう自然に死んだ。それも、訪問看護婦さんが来ていろいろやっていただいた直後に死にました。きれいにしてもらって息を引き取りました。
 
 われわれ家族もそういうことで、親の死ということを頭では覚悟して理解していたつもりでした。親はこういうふうに送ってあげよう、と事前には冷静に考えておりました。ところが、いざ死にましたら、やはりこんな親不孝な息子でも体が震えましてね、どうにも冷静になれない。しかも困ったのは、父親のことですからよく知っているわけですし、いやになるほど知っているはずなのですが、その瞬間、どういう顔の表情をしていたか、普段どういう口振りであったのか、ショックで一時的にすっかり記憶喪失になってしまいました。本当に訳がわからなくなってしまいました。
 その他、感情の起伏が大きくなりますね。親しい人が来てちょっと優しい言葉をかけられるものなら、ポロポロポロッと涙が出ますし。兄弟でも何かちょっと気にくわないことがあるとカッカッと怒りますし。誰かが冗談を言ったら、それでワーッと笑いころげる。自分でもどうなんだかわからないような状態になりました。
 
 よくお葬式で、たとえばお子さまが親を亡くして泣いている。だけど叔父さんが来てお酒を飲んで騒いでいる。それで子供は「あの叔父さんたちはいやだな、今の席を何と心得ているんだろう」と非難します。その叔父さんたちからみると死者は兄弟なんですよね。兄弟が死んでいるんです。叔父さんたちにも兄弟を喪ったショック、悲しみがあるんです。ただし、表現の仕方がわからないものだから、気分的に高ぶってああいう形でバカ話したり騒いだりしているのですね。そういう場面はよく見ます。
 
■喪の話
 
 いま、葬儀を死後の2〜4日の行事ととらえている人が多いですね。しかし、中世には四十九日までを葬儀ととらえていたようです。喪ということです。かつての喪は、遺族は死の穢れに染まっているので、遠慮して外出を控えて家に籠もる期間と理解されていましたが、もう一つの意味は、家族との死別の悲嘆が大きい遺族の心情を配慮して、死者の弔いに専念していい期間を社会的に保障したということであると思います。喪中を1年ととらえるか、あるいは2年、3年ととらえるか、はありますが、亡くなった人との関係で本来は変わるべきものです。配偶者を亡くしたり、子どもを亡くした場合には、1年経過しようと元気になれるわけではありません。こうした遺族の悲しみを配慮するということが、喪の習慣が崩れ、「喪中はがき」のように形式化することによって、どんどん失われていることが心配です。
 死というのは本人だけが体験するものではないのです。体験ということであるならば、それは遺族が体験することなのです。葬儀とは死別の体験のプロセスの一つでもあるのです。

第4回 葬儀の生前準備

■なぜ生前準備が必要なのか
 
 ある方がご主人をガンで亡くされました。ずっと長く入院されていました。ガンですから本人もわかっていました。でも葬儀のこと、死後のことはなかなか話しづらかった。しかし、最後の時が見えてきて、やっぱりこれはいつまでもそのままにしていくわけにはいかないなと思われたのですね。夫は、自分の配偶者であるだけではなくて子供たちの親でもある。じゃ、この人間をどういうふうに送るかということは、やはりきちんとしておくべきだと考えて、事前にお話しされました。
 
 本人の希望を聞き、子供さんたちとも、こうしたい、ああしてあげたいと、話し合いまして、それをまとめておいた。それでいざとなったら、やっぱりそういう話を事前にしておいてよかったと言うんですね。その時になったらもう頭は真っ白になって、もう何がどうでもいいと思ったそうです。お葬式をしなくてもいいとさえ思ったし、どんな形で行っても自分は構わないと思ったそうです。ただひたすらボーッとしていたわけです。ショックを受けますと反応がなくなりますから、そういう状態に陥ります。それで、事前に話しておいてよかったということを、後になって書いておられました。
 
 いま、生前に葬儀を準備するということが出てきております。一つは、その時になると、家族はもうどうしていいのかわからなくなるということがあります。また、今は家族関係が相当複雑になってきております。みなさんご一緒に住んでいる家族より、離れている家族のほうが多くなっているのではないでしょうか。家族が全国各地どころか海外まで行っている方もいると思います。
 家族でも、それぞれ住んでいる環境や育った環境によって考え方がいろいろ違っているわけです。葬儀についても、北海道には北海道の葬儀の形があり、大阪に行った人とか、九州に行った方とか、各地で経験されている。そうするともっているイメージがそれぞれ違ってきます。さっきの密葬だとか、会社の関係だとか考える方、地域の関係のことを考える方、いろいろいらっしゃいます。あるいはお嫁さんの立場から実家の慣習を考えるということもあり、いろいろです。
 
 そういうことでそれぞれもっているイメージの食い違いから争いごとが起きがちです。そうでなくとも、葬儀というのは比較的喧嘩が起こる時なんです。普段やらなくてもいい喧嘩が起きるんです。みんな家族の死ということで精神的に高揚していますから。意見が違えば、本当に喧嘩になる。喧嘩、意見の食い違いは3割ぐらいの遺族で生じています。また、もう死んだ人間は放っておいて、遺産相続とか形見分けの喧嘩をする人が3割くらいいます。死んだ人への愛情もなく、死者をそっちのけにして財産争いをしている遺族がこれまた増えているのです。そういう事態を招かないためにも生前準備は必要になっています。
 また、最近は単身者の方も増えていますし、家族がいても「子供には迷惑をかけたくない」と生前準備をされる方が増えてきています。
 
■遺言
 
 私はお年寄りにお話をする機会が多いのですが、できるだけ書き残す、言い残しておいたほうがいいと言っています。それは、葬儀となると家族や周囲からいろいろな意見が出るけれども、本人がそう言っていたとなると、「死者に免じて許してください」と言うことができるんですね。これが死者に免じてではなく、「次男に免じて許してください」では通用しません。「死者に免じて許してください」と言うと、気に入らないと思う人がいても、「しょうがねえな」と話はまとまってくる。全部がまとまるわけではありませんが、かなりまとまる確率が高くなります。
 ですから、亡くなった時の家族の紛争を避けるためには、何か書いておいたり、言い残したほうがいい。それはどういう方法でもいいから、と私は申しております。
 
 実はいま遺言が流行っていて、遺言を書く方が多くなっています。遺言を書く方式には特別な場合を除いて3つあります。
 自筆証書、これは自分で全部手書きで書くものです。それと秘密証書に公証証書の3つです。
 公証証書は、公証役場に行きまして、公証人の前で口述して書いてもらうわけです。公証人という方は判事とか検事とかなさった法律の専門家ですから、その方にお話すればきちっと作ってくれます。無料ではありませんが、そんなに高いお金ではございません。
 秘密証書というのは、自分の書いたものを公証人に、「これが私の遺言です」と出して証明してもらうものです。
 遺言というのは法律的な文書ですから、修正の仕方が定められた方式と異なっただけで有効性がなくなります。自筆証書は誰かが見つけて破ってしまえば誰にもわからないという問題がありますし、本人が本当に書いたのか証明してもらうためには家庭裁判所に判断してもらう必要があります。公正証書がいちばん安全です。
 遺言の中に書いて有効な内容は、財産に関することと身分の証明に関することです。身分というのは、自分が婚外子、愛人に作った子を自分の子供であると認定するとか、そういうことです。廃嫡もあります。
 
 財産に関することで、遺言がなかったために困ったケースがございました。
 ご主人が亡くなりました。奥さんと次男坊夫婦と一緒に住んでいたんですね。長男、長女はそれぞれ別に住んで家庭を営んでいました。3人兄弟です。ところが、その家には財産があまりなかったんですね。財産と言えるものは、小さな家しかなかった。長男が法定相続分をよこせと言ってきたんですね。長女も主張しました。普通そういう時は、奥さんの生活を守るために、子供たちは相続しないで、お母さんがみんな継ぎ、お母さんが亡くなったら自分たちで分けようというふうになるものです。普通のうまくいっている家であればそういうものです。法定相続にしたがって分けるとなると今住んでいる家を売らなければならない。お母さんは住む家を失ってしまいます。歳をとっていると、そういう生活の変化は非常につらいものがあるんです。そういうときに、本人が遺言を書いていれば、そういうことにならなくて済んだんです。それぞれの家庭の事情に合った遺産分割が遺言で可能になるのです。
 
 ただし、遺言でも困ることがあります。葬儀についてはこういうふうにしてほしいといくら書いても、法律的に有効ではないんです。聞く人が遺言を尊重しようと思うならそうなるんですけれども、法的には遵守義務がありません。
 そこで有効にする手段としては、遺言で祭祀主宰者の指定を行うということがあります。「祭祀主宰者」とはお墓を守る人、あるいは葬儀の喪主をする人、仏壇を守る人のことです。相続財産は分割できますが、仏壇やお墓などの祭祀財産は分割して相続できません。一人です。自分の考えを実現してもらえる人を祭祀主宰者に指定すると、遺言に書きます。その人が喪主となることによって、葬儀を自分の希望どおりに実現させることが可能になるのです。さらに複雑なケースはどうするか、という方法もありますが、細かくなるので、ここでは割愛します。
 
■遺言ノート
 
 遺言で葬儀のことを書くのは法的な拘束力はありません。しかし、本人が書いたことというのは、やはり子供はまじめに受け取るものなんです。最近アンケートをとりますと、本人の生前意思は尊重するという人がずいぶん多いんですね。特に今喪主となることの多い50代、60代の人というのは。今の50代は学生時代に暴れたりなんかした人が多いのですが、そうかといって合理的であっさりしているかというとそうじゃありません。親の意思を尊重しようという気持ちは強いですね。それだったら別に法律的な文書である遺言でなくともいいわけです。
 
 ノンフィクション作家の井上治代さんが、そういうのを「遺言ノート」と言おうと提案しました。これは法律的な文書ではありませんから、自由に書いていい。遺言では認められていないビデオや録音でもいいんです。
 そこには、自分が葬儀でどういうことをしてほしいのか、あるいはしてほしくないのか、葬儀に誰が来てほしいのか、あるいは誰に来てほしくないのかと、いろいろなことを書きとめるんです。あの人だけには来てほしくない、絶対あんなやつには来てほしくない…そう思う人もいます。死んだ後はもうどうでもいいと思うんですが、それも一つのこだわりですね。お花はこういうのを使ってくれとか、どういうやり方をしてほしいとか。
 最近は葬儀のことだけじゃないんですね。自分の仕事やいろいろな身の回りのことをどういう形で処理してほしいということをお書きになる方がずいぶん増えてまいりました。
 
 これはだんだん核家族になってきたせいで、しかも今は高齢者だけの世帯がものすごく増えています。もうグングン増えています。3世代同居なんていうのは本当にどんどん少なくなっている。せいぜい高齢者ともう1人くらいとか、そんなものですね。そうしますと、子供たちと同居していないケースもものすごく多い。これから同居しないケースはさらに増えます。
 そうしますと、いざという時に子供がいないという人が増えている。子供がいても、家の中をどこをどうしていいかわからないわけですね。その人の大切な物がどこにあるかとか、友人関係なんかもわからない。昔、あのおじさんに会ったことがあるなといっても、自分が子供の時だから30年以上も前のことであると、どんな顔をしているかもわからないという感じでしょう。
 
 しかし、本人がいろいろ書き残してくれるとすぐわかりますし、その人たちと親しくできますから、子供たちにとってもいいことなんですね。ですから、遺言ノートを書いておくといいですよ。書き方は自由です。もし名簿を作るのが面倒だという方は、年賀状を整理しておくとか、そういうことだけでもいいですね。年賀状の中にはちょっと印をつけておく。朱色のペンが入っていたら重要な人だよ、ということがわかるようにしておいてあげる。
 人間、実際いつ死ぬかわかりません。長幼の順も変わるかもしれないのが死ぬということです。縁起が悪いと言わずに、後に残った人間のことを考えるとそのくらいしておきたいものです。
 
■葬儀の話は元気なうちに
 
 私の父親は87歳で死にましたから、友人がほとんどいなくなっておりました。しかし、教え子みたいな存在はたくさんいました。その人たちがどこにいるかわからないと困るわけです。よかったのは、最後は姉と同居していましたから、姉が年賀状を全部代筆していたんですね。名簿をこれでいいかと全部本人と確認しながらやっていましたから、だれに連絡しなくてはいけないかということはわかりました。ずいぶん助かりました。そういうことを用意されるといいし、またお子さんの立場でも、ご両親の元気なうちに意見や話を聞いておくといいと思います。
 いま私は葬儀とかお墓の話で公民館などに行くケースがあります。そこには60代、70代の方がたくさん来られます。むしろ若い人が少ないんです。来られる方たちは、自分たちの葬儀をどうするかということを真剣に考えているんですね。どうしてほしいか、あるいはどうしてほしくないか、こういうことをしてもおかしくないのか、とか聞きにくるのです。
 
 実はお年寄りは自分の葬儀のことを心配していて、それをなんとか子供たちに伝えたいと思っているわけです。ところが、子供たちのほうが何か縁起が悪いんじゃないかと思って、そういう話を話題にしないようにしている。こういう話はむしろしてしまうと安心するものです。してしまえば、後は安心して元気に生きられるものです。
 「こういうふうにしてほしい」、「じゃ、そうするよ」…とやっておくと、お年寄りは後のことを心配しないでいいわけです。後はいま生きていくことについて充分精力を注ぎ込めるわけです。できるだけ元気なうちに家族でお話をなさったらよろしいのではないかと思っております。
 
■やっていいこと・悪いこと
 
 葬儀というのはいろいろなやり方ができるものです。しかし、いろいろなやり方といっても、やってはいけないということがあります。それは亡くなった人をないがしろにする葬儀です。これはやってはいけないことです。亡くなった人を中心に葬儀というものは行なわれなくてはいけない。とかくすると、亡くなった人が中心でない葬儀というのが結構行なわれがちです。亡くなった人が中心で行なわれているならば、いろいろなやり方がありだと思います。
 法律的なことを一応言っておきます。法律的には、亡くなったら医師が死亡を判定し、死亡診断書を発行します。これを添付して死亡届けを役所に出す。そして火葬許可申請書を出して火葬許可証をもらう。火葬は特別な感染症以外(昔は法定伝染病といいましたが、今は1類、2類、3類および指定の感染症をいいます)は24時間たってから火葬にする。24時間以内は駄目ですよということですね。
 
 葬儀のやり方については、軽犯罪法に「葬式妨害をしてはいけない」ということはありますが、法律には、葬式をこうしなくてはいけない、とは書いてありません。火葬には火葬許可証が必要です。また、遺骨を墓地とか納骨堂とかに納めるならば、同時に火葬許可証を提出しなければなりません。
 最近話題の散骨については、法律的にはいまだ確立していません。有力な法解釈としては「遺骨を捨てるのでなくて葬送を目的として、周囲の人などが嫌がらない場所で、節度をもって行なうならば違法ではない」となっております。節度をもったやり方というのは、たとえば森に入ったら遺骨が落ちていた、というのではみんなびっくりしますよね。遺骨を細かく砕いて撒いてしまえば、原型が全然わからない。細かく2ミリ以下程度に砕いて撒く必要があります。また、生活用水のところで撒くと嫌がる人もいます。本人は「骨はカルシウムだから栄養になるんだ」と言っても、嫌がる人がいる以上、やはり他人の感情は充分に考えないといけません。
 法律的に葬儀を規制するのはそんなものでございます。遺骨は捨ててはいけませんよ、死体も捨ててはいけません、死体を損壊してはいけませんよ、というようなことは書いてあります。法以前の常識であろうかと思います。
 本当にその人のためになるかどうかということを中心に考えて行うのであるならば、方法はいろいろあるんだろうなと思いますね。問題はその中心の気持ちがだんだん薄れることで、そのほうが心配です。
 
 いま葬儀が変わり目にあります。そこで怖いと思うことがあります。たとえばいま散骨の話をしましたが、散骨が本人の意思であるならばいいでしょう。しかし、遺骨の処理に困って散骨する遺族もいるわけです。これは遺骨遺棄です。立派な刑法違反になります。
 また、家族だけで親しく、本当にしみじみ送るために密葬にするのはいいでしょう。ただし密葬が流行ってきますと、こんなヤツのために葬儀までしてやれるか、いま密葬が流行っているから密葬でいいだろうとやるのは、これは葬儀ではなく、単なる死体処理だと思います。
 ですから、同じ形態をとっても、やっていいものと悪いものというのがあります。問題は形態ではなくて、そこにある精神というか心のもち方だろうと思います。人間の生活が変わってきますと葬儀も変わってまいります。しかし、死者を弔う心という基本的なことが、これからますます重要になっていくのではないかなと思っております。
 
(本稿は、2000年10月9日北海道北広島市で行った講演を加筆修正した)
 
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