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 会社や団体を代表する場合、つい型通りの弔辞になりがちです。これが続きますと、参列者に飽きがきがちです。できるだけ、故人の人柄が浮かび出てくるような工夫が必要となります。

(例1)
 
 ○○市議会議長故松尾進様に対し、○○市議会を代表して追悼の言葉を述べさせていただきます。

 松尾議長と市の文教政策は切っても切れない関係にございました。松尾議長は、自ら若い時に教壇に立った経験から、子供たちの将来に深く思いを致しておられました。
 
 「腕白でもいい」というコマーシャルがございましたが、子供たちが安心して、伸び伸びと育つ環境整備のために特に心をかけられました。そのご尽力の結果が、4年前に安田地区に作られました子供自然公園でございます。
 ○○市の小・中学校には制服がございません。子供を心配するあまり、とかく管理にはしりがちでございますが、松尾議長は「子供というものは管理の対象じゃない。能力をいかに引き出すかだよ」とおっしゃり、周囲も説得されました。
 「大人がしっかりさえしていれば、子供というのはそんなにおかしなことにならないものだ。自分がだらしなくしていて子供だけを管理しようとするからかえっておかしくなるんだ。少しくらいハメを外すのが子供というものだよ」と申されました。
 おかげで、この○○市の非行率は県下でもっとも低い水準です。親と子の信頼に立った文教政策は当市の誇りとするところです。
 
 松尾議長は、名議長であられました。対立する意見は「お互いに市のことを思ってなのだから」と徹底して議論し、時には対立する相互の代表を自宅に招かれて調整に尽くされました。
 松尾議長を当市議会が失った痛手は計り知れないものがございます。ここに松尾議長のご遺徳を偲び心からなる哀悼の意を表します。
 
 この弔辞は最初と最後は型を守ったものですが、中心はよく人柄を表すものになっています。型よりも聞いている人にも説得力のある弔辞を政治家の方々には期待したいものです。

(例2)
 
 謹んで故山下稔会長の御霊にお別れの言葉を申し上げます。
 
 先月行われた、当社の展示会にはお元気なお姿を見せられ、「今年はいいよ。買いたくなるものが揃っている」とお声をかけてくださいました。ゆっくりお話する機会もなく、そのままになり、誠に惜しみきれない気持ちです。
 会長は、新しいことに意欲的に挑戦される方でございました。まだ、コンピュータが珍しい時期でございましたが、「これからは電子計算機が会社の心臓部を左右する時代になる」とおっしゃって、共同研究しようと申し出てくださいました。
 夜の9時頃自宅にいると「今、思いついたんだが、こんなことに利用できるんじゃないだろうか。研究させてみてくれ」と会社のデスクからお電話いただいたこともございます。難しい課題も多かったのですが、着眼されるところがすばらしく、私どもの挑戦意欲をかきたてたものでございます。
 ご高齢であるにもかかわらず、息子のような私どもに負けない若さをおもちでした。「頭が固くちゃ事業はやれないよ。自分が好きか嫌いかで事業を選んではいけない」とおっしゃっていました。孫のような若者の意見にも真剣に耳を傾けてらっしゃいました。
 
 当社が、今日システム開発で何とか認められるようになったのは、ひとえに会長のご指導と励ましがあった故でございます。一昨年、当社が創立10周年を迎えた折りには、「挑戦」とご自身で力強く書かれた色紙をちょうだいしました。これは私ども会社のかけがえのない宝です。
 
 ご家族、ご親族におかれましても、さぞかしお嘆きのこととお察し申し上げ、心から哀悼の意を表する次第です。
 私どもは、山下会長から生前いただいたご恩に厚く御礼申し上げると共に、心から安らかな永久の眠りをお祈りいたしまして、お別れの言葉といたします。
 
 仕事の関係先の社長の弔辞の例です。葬儀委員長の式辞では、この方はこういうこともした、と紹介しますが、弔辞の場合は、その方(会社、団体)との関わりに絞って述べられるのが良いでしょう。

(例3)
 
 相川幸子婦長
 
 婦長も長く心待ちにしておられました新病棟の完成を待たず、婦長は逝ってしまわれました。
 入院病棟が不足するため、他の病院にまわっていただかざるを得ない患者さんを婦長はつらく思って、関係者に本当に熱心に説いて回り、実現の運びとなった新病棟です。
 
 婦長は、私どもに「患者さんの気持ちになって接するすように」とおっしゃっておられました。「当然のことよね。でも、これが難しいのよね。だから、いつでも頭に入れておかなくてはいけないの」と打ち合せのたびにお話しされました。
 患者さんの病室一つ一つ必ず1日に2回顔を出され、明るく声をかけ、励ましておられました。内科の病棟では「相川婦長ファンクラブ」ができたほど患者さんには慕われました。
 
 その婦長ご自身が病に罹り、ご自身が入院患者になられました。「自分が患者になるとまだ足りなかったな、と反省させられるわ」とおっしゃってました。
 模範的な患者さんでした。とかく足が向きがちな医師や看護婦に、「私はワン・オブ・ゼムですから、私のところだけに来ないでね」と他の患者さんのことを気にかけられました。
 ご自身で希望され、病名の告知を受け、最期は痛みを和らげるだけの治療をご自身で希望されました。最期の最期まで意思的な生き方を貫かれました。
 
 「私だってメチャクチャ怖いのよ。でも、最期を看取ったいろいろな患者さんのことが思い出されて、励まされるの。30年看護婦やってたんだもの、私が負けちゃだめだと思うの」と語っておられました。
 婦長には、私たち職員一同、その仕事を通じて「共に生きる」という生き方を教わり、そして病と格闘されているありさまを身近で拝見させていただき、人の死に方のありようについても教えていただきました。
 
 心から「ありがとうございました」とお礼を申し上げたいと思います。
 私たち職員一同、地域の患者さんの力になれる病院作りに励むことをお誓いします。
 
 相川幸子婦長、安らかにお眠りください。

 「心に残る弔辞」とは、語る人自身が「心に残ること」を語ったとき生まれます。人の死が厳粛なのは、人の生が大切であるからです。亡くなった方と共に生きたことを大切に思うが故に弔辞があるのだという原点を忘れないでおきたいと思います。



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